森井聖大ファンクラブ通信

    マイペース・マイワールド

    鯨子物語あとがき

    そもそも鯨子物語はどうやって生まれたのか?
    疑問に思う人もいるだろうから、最後に、あとがきとして、このことを説明しておきたい。
    6月の半ば、第五回福岡ポエイチの際、まず牟礼鯨と会ったことから、この物語ははじまったと言っていい。
    だがこの時はまだ鯨に子どもは無かった。
    その後、数時間、鯨と話をしていく。
    特に文学フリマ出入り禁止措置については、前回の錆助通報事件と無関係ではないことから、時間を割いて詳細を聞いた。
    そうして、自然と解決するだろうと思っていた問題が解決するどころか、全く進展していない実情を知らされた。
    私は「何とかならないものだろうか」と鯨の事を何となく頭の片隅で考えることになった。
    色々な問題に関して思考する毎日だが、経験上、大事なことは、頭の片隅で何となくである。
    幾日かすぎた頃、鯨ではなく、不意に鯨子が実体をもった存在として十数年後の世界から現れたのだった。
    私は、まっすぐ、眼前の鯨子を見つめ、鯨子の声に耳を傾けた。
    そうして気づいたのだ。
    この問題を解決することができるのは、鯨でもなく、私でもなく、他の誰でもない、鯨子だけだ!と。
    いつの時代も今現在というものは非常にわかりにくい。
    大局的な視点でもう一度見つめ直すことが必要なのだ。
    そこに問題の本質を問いかける存在として、鯨の子である鯨子が生まれた、と思う。
    ここまで言えばわかるだろう。
    鯨子というのは、そういうものだ。
    鯨子という存在を介した時、鯨や、高村や、山崎や、黒瀬や、望月といった人物たちは、何を思うのだろうか。
    数十年後の世界の住人であり、文学フリマに行くことを欲した鯨子にどういう言葉をかけるのか、どうこの事を説明するのか。
    私が一連の鯨子物語で描きたかったことは、そういうことである。
    百都市構想しかり、文学フリマの規約しかり、立場ある者の立ち居振る舞いしかり、鯨子という視点を持たずに事を進めることは危険なことだという精霊の声でもある。
    声無き者の声を聞くこと、それが文学の本質でもあるのだから。


    終。

    Posted by 椰子金次郎 on  | 0 comments  0 trackback

    鯨子物語3

    カーテンを開けると、朝陽が射しこんだ。

    ベッドの上に寝ていた鯨子は、気だるそうに、目を覚ました。

    「ねえ、おじさん」

    私は、食卓に座り、わかばを吸っていた。

    「父は救われたでしょうか」

    「どうだろう。ただ言うべきことは言った」

    「このままここにいたいけど、父が心配するから……」

    「そうか、残念だが」

    「わたしも名残惜しいです」

    そういって鯨子は肩まで伸びる艶やかな髪をかきあげた。

    奇妙な色気が部屋を満たし、昨夜のことが思い出された。

    まったく若い女っていうのは……。

    「父上によろしく!」

    私は、苦役を伴う痴情を追い払うように、わかばをもみ消した。

    すると鯨子は生霊のように忽然と姿を消した。

    それから、私は、真っ当な形で痴情を満たすべく、パソコンを立ち上げた。

    そうして、慣れた手つき(2クリック)で、FC2アダルトにアクセスし、検索窓に〈え〉と入力した。

    すぐさま検索候補に〈SM熟女緊縛〉と出てきたのであった。

    よし!










    Posted by 椰子金次郎 on  | 0 comments  0 trackback

    大義名分なき文学フリマ出入り禁止措置に対する人間愛的考察

    前回の記事〈砂漠化する文学フリマの冷やかな闇ー牟礼鯨氏への理不尽な制裁ー〉でも述べたとおり、発端には、牟礼鯨氏と高村暦氏という二人の男女の別れ話の拗れがあったわけだが、そうだとしても、そのことを早合点し、牟礼鯨氏の主張をそのまま受け入れ、「邪魔な元カレを陥れる為に警察を利用して」とか「別れ話に税金を使いやがって」とか「普段は作家を気取っておきながらこんな時だけ女を武器にして」と舌打ちし、はじめに警察へ駆け込んだ高村暦氏を責める浅はかな輩が出てくるのは真意ではない。
    高村暦氏側からすれば、三鷹ストーカー事件の直後だったことを悪意に満ちた策略として利用したわけではなく、むしろ連日のマスコミ報道で、事件と同じようなことが自分の身にもふりかかると本気で思うようになり、うら若き可憐な一人の女性として、どうしていいかわからず(日本国民の当然の権利として)警察へ相談にいった、と解釈した方が妥当であろう。
    一旦嫌いになった人間は生理的に受けつけないものだ。
    ただ視野に入る場所にいるだけで死の宣告のようなもので、生存を脅かされるほどの恐怖心が芽生えたとしても何ら不思議なことではない。
    男女関係の終わりでは双方同時にタイミング良く愛想が尽きることはほぼ無い為に、必ずと言っていいほどいざこざが起き、常には考えられない人間の感情が噴出し、精神的に不安定にもなり、双方や周囲、誰もが困惑する場面が往々にしてあるが、そういう場面で、周囲までもが二人の混沌や喧騒に波長を合わせれば、混乱は益々広がり、収拾がつかなくなる。
    よって、現在、このような状況になったのは、牟礼鯨氏のせいでもなく、高村暦氏のせいでもなく、あくまで問題は、その後の、山崎氏からはじまる文学フリマ事務局側の不適切な対応にある、と考えられる。
    警察というものは、周知の通り、犯罪予防の為に、ましてやストーカー事件の後ともなれば、とりあえず何かあったら困るからというただそれだけの理由で警告を出して当然なのである。
    問題の根源は、文学フリマ事務局が、それを真に受けて、精査することなく、安易に、出入り禁止措置という処分を下したことにある。
    このことによって、文学フリマ事務局という組織が、組織ぐるみで、実質的に、牟礼鯨氏を変質者と認定し、文学フリマ関係者間での「あいつストーカーらしいぜ」「まあ怖い」という牟礼鯨氏への汚名を確定させたのである。


    3月26日 山崎代表が西瓜鯨油社へのサークル参加証発送を保留したと鯨に知らせる。金沢事務局の切ってきたカードに対し鯨が切れるカードは文学フリマ金沢事務局への批判のみとなる。

    4月19日 鯨は第一回文学フリマ金沢の会場に入る。山崎代表、東京の望月代表、黒瀬珂瀾氏に取り囲まれ入場から30分もたたずに退去勧告を受け退去する。

    第一回文学フリマ金沢の騒動についてより



    一方だけの意見を聞き、一般参加者を変質者扱いした、このことの罪は大きいのではないか。
    もちろん私は誰かの責任を追及するつもりはなく、そんな権利も持ち合わせていないが、ただ、文学フリマの代表者や名のある歌人の方が揃いも揃って、文学の名を貶めるような軽率な行動をしたことへの反省だけは促しておきたい。
    それにも増して、ただ単純に勘違いして変質者扱いしただけならまだしも、事なかれ主義もしくは決断力の無さから1年以上にも渡り変質者扱いし続け、出入り禁止措置を撤回することなく、その後の牟礼鯨氏のインターネット上での真実への希求であり切実なまでの訴えである捨て身の文章に私情を乱され憤慨した挙句私的制裁の意味合いで出入り禁止措置を継続しているならば、なおさら、文学フリマの闇は深いだろう、と懸念する。
    私の考察など誇大妄想狂の戯言として一笑にふされ無視されることはわかっている。
    ただ、一介の名も無き21世紀的文学生活者として、ひとりの心を持った人間として、私の文学や人間への誠実の為にも、声小さく力弱くとも、これだけはお願いしたい。
    早急に牟礼鯨氏への出入り禁止措置を撤回してもらい、変質者の汚名を払拭してもらい、名誉を回復してもらいたい、と切に願う。

    どこの世界の人間が変質者扱いされたままで生きていけるだろう。

    どこの世界の人間が無実の罪を人に着せたまま生きていけるだろう。

    もはや文学以前の問題であり、人間としての心があるかないか(他者への思いやりがあるかないか)の問題だ。
    想像力があろうとなかろうと少し考えれば誰にでも分かるはずだ。
    文学フリマ事務局というのは、その名の通り日本最大の文芸即売会を催す組織であり、その名の通り事務的であるのだとしても、一個人は一つの精神で、小さくともそれぞれの人生を、懸命に生きているのだ。
    このままでは3人の精神が危うい、と、ただそれだけを危惧している。


    I can either take responsibility for it or not.Either way I have no one to blame but myself.



    全ての文学青年へ捧ぐ。


    Posted by 椰子金次郎 on  | 0 comments  0 trackback

    牟礼鯨土砂降りの涙3ー想像ー

    降り止まないのした。

    ずぶ濡れになりながら東の空みあげる。


    今頃きっと泣いているんだろう……。


    砂浜に打ちあげられたのように。

    大きな体よこたえて。


    まるでのふち……さ迷うように。






    Posted by 椰子金次郎 on  | 0 comments  0 trackback

    砂漠化する文学フリマの冷やかな闇ー牟礼鯨氏への理不尽な制裁ー

    文学フリマHPには、文学フリマの理念と目的として、このように明記されている。

    本イベントはプロ・アマ、あるいは個人・任意団体・法人といったあらゆる人の参加を認めています。そして、すべての参加者はあらゆる面で平等の立場であるというのが、「文学フリマ」という「場」の原則です。



    牟礼鯨氏は、1年以上の長きに渡り変質者の汚名を着せられ賛同者もない孤独な状態の中、実際は理念も糞もない文学フリマの闇を白日のもとに曝け出し真実を訴えながら、文学フリマ事務局の不正を糺すべく孤軍奮闘してきた。
    だが、暖簾に腕押しのような言論活動に疲れたのか、先日、戦いの最前線でもあった西瓜鯨油社ブログを閉鎖する旨を発表した。
    一方、私は、牟礼鯨氏への理不尽かつ不可解な事務局側の対応について違和感を覚えながらも、明言を避けていた。
    そもそも牟礼鯨氏と高村暦氏による男女間のトラブルが発端だったことから、「口出しするのは野暮だろう」という常識的な考えがあり、放っておくしかなかったのだ。

    私=鯨は現在文学フリマ・アライアンス主催の全てのイベントを出入り禁止となっている。文学フリマとは文学作品の即売会のことで、現在は東京、大阪、福岡など日本の諸都市で即売会を開催している。 この文学フリマへの出入り禁止措置は、鯨は文学フリマ・アライアンス全体のスタッフである高村暦の職場に近づいてはならないという警視庁の警告に基づいている。高村暦とは書籍工暦というサークルを率いている人物でかつて私=鯨と肉体関係があり、離別調停中に突如として発狂(知人からの伝聞)、まとまりつつあった離別話を全て帳消しにして文学フリマ金沢事務局や文学フリマ・アライアンスそして他の文芸系同人誌即売会のスタッフなどを巻き込んで鯨を文芸同人界隈から追放することを画策(知人からの伝 聞)、「鯨は高村暦のストーカー」をしているというストーリーを創作して警視庁にもちこみ(警察から事情聴取)、三鷹ストーカー殺人事件で「ストー カー」という言葉に敏感になっていた警視庁の警告を引き出して鯨を文学フリマから追放することに見事成功した烈女である。

    山崎拓・高村暦騒動についてより



    いずれほとぼりが冷めれば、出入り禁止処分も取り消されることだろう、と安易に考えていたところもある。
    しかしながら、予想に反し、あれからもう1年以上の月日が流れた。
    そうして牟礼鯨氏は、一向に何の動きもない文学フリマ側に絶望したのだろう、失意の中、西瓜鯨油社ブログを閉鎖する、と発表した。
    私は、この一報を聞き、かつて文学フリマへある種の熱意をもち参加していた一作家であり、誰よりも21世紀的文学生活者でありたいと願う人間として、このような事態(哀しき結末)になるまで静観していたこの1年余りの自らの態度を恥じた。
    そうして、文学フリマという催しの存在意義でもある一個人作家の言論を無視し続ける事務局側の冷たく理不尽な対応に、このまま何も自分の意見を明言せぬまま、何事もなかったかのように終焉させてはいけない、と思うに至った。
    もはやこれは文学の在り方の問題である。
    この問題が、記憶はもとより記録にも残らぬまま自然消滅的に消えていくのは、同時代の人間や事柄を記述し後世に伝える役目もある文学にとってあってはならないことだ。

    一人の参加者の全存在を懸けた悲痛なまでの訴えを黙殺して、このまま何もなかったかのように全国に文学フリマを拡大していくことが、文学にとって、本当に良いことなのだろうか?

    このままでは文学の聖地やオアシスなどではなく、日本全国に文学の砂漠化をもたらすのではなかろうか。
    そもそも作家は、徹頭徹尾、言論で勝負すべきである。
    警察や行政の思惑に擦り寄った時点で文学や言論は無に帰する。
    そのようにして出来上がったイベントで、どのようにして文学を表現できるだろう。
    それが文学というならば、ましてや作家というならば、その文学や作家に何の意味があるだろう。
    現実から目をそむけ、目の前の不正を見て見ぬふりして、作家以前にもはや人間として、何を語る資格があるだろう。
    どんな賢い人間にも間違いはある。
    昨日の間違いは今日正せばいい。
    明日を作るのは今日しかない。
    文学フリマが文学の御旗を掲げ全国に拡大していくのならば、事なかれ主義ではなく、体裁を整えることだけ考えるのではなく、それ以上に、文学精神を全国に浸透させるべく奮闘して欲しい、と切に願う。
    大きくなった文学フリマにふさわしい、大きく豊かな精神性をもった作家陣やスタッフ陣になってもらいたい、と切に願う。

    もういい加減、根拠の希薄な入場禁止処分は撤回すべきである!

    私は、自らの胸に何度も問い質した結果、何の得もない、むしろ不利益しかないのだが、しがない一個人に認められた表現の場であり私の唯一無二の言論の場であり私という生まれてただ死んでいくだけの一小市民の精神の記録でもある当ブログにおいて、自らの意思を表明する決意をした。
    言うまでもなく、この決断は、牟礼鯨氏の為というよりも、文学フリマの為であり、何よりかつて文学フリマへある種の熱意をもち参加していた一作家である私自身の文学の為である。


    永遠の文学青年たちに捧ぐ。



    文学とは人間愛である!目覚めよ!

    Posted by 椰子金次郎 on  | 0 comments  0 trackback
    このカテゴリーに該当する記事はありません。