おパチンコで負けたお前へ

    今日もおパチンコで負けた。
    おパチンコ中の値動きは激しく乱高下を繰返した挙句すっからかんに負けた。
    最後の方は玉を購入しながらまるで倒産する会社の株式を購入するようなものだと思った。
    私が投資した会社は破産し私の投資金もろとも無くなったのだ。
    それでも私はおパチンコが好きだ。
    勝っても負けても、たとえ借金を作っても、こうして日がな一日おパチンコを打てた喜び!
    お前は知っているだろ?
    たとえ財布が空になっても心は満たされるものだ。
    おパチンコ屋というのは牧歌的であり、ふる里的である。
    じいさんばあさんは毎日通い公民館よろしく休み休み1パチを打ちながら談笑している。
    そうしながら、煙草を吸い、珈琲を飲み、ぼんやり玉の行方を追い、ほとんどが当たらないリーチアクションに一喜一憂する。
    みな一様に無表情だが心の内では喜怒哀楽が渦巻いている。
    隣のおっさんが座ってすぐにかかると悔しがり、後ろの兄ちゃんが怒って台を叩いたりすると宥めたり、横に綺麗な姉ちゃんが座るとそわそわしたりする。
    おパチンコ台という機械と相対していながら不思議なことだが、どんな場所よりも人間味が溢れている。
    おパチンコ屋に集う人々は悪いこともできない道徳的な心優しき子どものような人ばかりだ。
    だからお前はダメ人間ではない。
    パチンカスでもない。
    立派な戦士だ。
    負けてもいいのだ。
    命があればまた戦える。
    明日は明日の風が吹く。
    フィリピンからマッカッサーを追い出しても、数年後日本本土に支配者としてマッカッサーは帰ってきた。
    9回裏の逆転サヨラナホームランも枚挙に暇がないほどだ。
    勝負は終わってみないとわからない。
    戦況は目まぐるしく変わるものだ。
    今日負けても明日勝てばいいだけだ。
    勝負し続けるお前が好きだ。
    世の中の陰口や罵詈雑言に屈することなく、お前にもお前が好きになって欲しい。
    お前は何もせず人の陰口を言うような心の腐った人間ではない。
    高校球児がやっている甲子園なんかより、お前の人生を賭けたおパチンコの方が見応えがある。
    自らリスクを負い崖っぷちに実存を追い込むストイックなお前を、私は愛す。
    おパチンコに負けたからといって、さらには負けても通うからといって、世間はお前を依存症とか病気とか言うかもしれない。
    だが何も依存症とか病気というわけではない。
    簡単に言えば、ただ負けが込んだだけじゃないか。
    だからメソメソするな!
    明日勝てばいいじゃんか!
    うん、明日は勝てるよ。
    いや明日負けても明後日があるさ。
    いやいや明後日負けても明々後日があるじゃないか。
    なあ、お前、どこまでもやってやれよ。
    お前が諦めなければ、お前が死ぬまで勝敗はわからないんだから。
    だから、さあ、戦士よ、今日はゆっくりお休み。
    健闘を祈っているよ。
    Good Night.

    おパチンコについて

    超能力者はいるのかいないのか。
    清田くんはエスパーなのか何なのか。
    最近1人自室でスプーン曲げをやっている。
    手を使わずに念力だけで曲げようと30分ほど力んでいるがうまくいかない。
    メンタリストDaigoのように力学的な知識と技術を覚えればできるのだろうがそれでは意味がない。
    このままでは一生かかっても曲がらないかもしれない。
    もしかすると明日ポキっと折れるかもしれない。
    それはそうと、パチンコをパチンコと呼び捨てで呼ぶから、パチンコを蔑み自分すら蔑んでしまうのである。
    パチンコ依存症の人も、迷惑を蒙っているその家族も、そうでない方も、騙されたと思って、これからは頭に「御」をつけて、「おパチンコ」と丁寧に呼んだ方がいいのである。
    言葉一つで現実は変わるのである。
    ちなみにパワースポットという和製英語を作ったのは、エスパー清田くんなのである。
    さて、その、おパチンコだが、おパチンコに行く人のほとんどは金を稼ぎに行っていないのである。
    私もその1人であるが、勝ちに行ったつもりが深層心理では、負けに行っていることが多々あることに気づいたのである。
    よくおパチンコ依存症の知人が悔しそうな素振りで、しかし、どこか楽しげな表情で、こんなことを言ってくる。
    「ケツの毛まで抜かれたよ」
    おパチンコは止め時により勝とうと思えば誰でも勝てるのにである。
    だから私が返す言葉は、当然こうなる。
    「そうか、負けに行ったんだな」
    それでも大体のおパチンコ依存症の知人は、ピンとこないらしく、私の言葉にキョトンとする。
    当人たちは気づいていないのだろう。
    全ての依存症に共通しているのは、勝つか負けるか、成功しているか失敗しているかだけではない。
    病識があるかないかが最大の分岐点なのである。
    勝とうと思えば勝てるものを負けるのだから、負けに行っていることを知れば、もう依存症ではなくなるのである。
    おパチンコに行く理由について、色々な人が、色々言うが、どれも間違っている。
    本当のところは無になりたいだけなのである。
    おパチンコ玉を見つめ無心になり、財布からなけなしの金が消えていくことで無一文になり、日常では味わえないそのような無の境地からおぼろげな有が湧き上がり、心の底に沈んでいた思考が眼前に現れるのである。
    ああ、人生って、何もないんだな。
    向上心やら安定性やら社会性やら全て吹き飛ばし、何もないという核心だけを持ち、とぼとぼ家路へと歩いていく。
    帰り着くと、藪から棒に、ヤケ酒やらヤケ自慰やらをし、さらに核心を深めるのである。
    そうして、最後、布団に入り、眠りにつく寸前に、こう思うのだ。
    それでも、生きよう。金はなくなっても、まだ命はある。
    だからしておパチンコ依存症対策はいつも見当違いなのである。
    誰だって負けたい時がある。
    無一文になりたい時がある。
    無から有を作り出したいのは、超能力者や芸術家だけではない、一般市民だって同じなのである。
    私たちは、金の為に生きてはいない、ただ生まれたから生きているのであるからして、このように、おパチンコによって、自己を超越するという行為を、一生涯繰返すのである。
    だから、おパチンコは、これから先も、存在し続けるのである。




    深夜考

    こうして生きているようでいて本当は生きてなんかいない。
    本当のところ人間は当の昔に此の世からいなくなっているのだ。
    もしくは本当はみな病床にでも臥していてこんな風な夢でもみているのだ。
    深夜、白昼夢、誰もが、こんなことを考えているのだ。
    人間とは何だろう。
    朝がくれば忘れるだろうが、また数ヵ月後、同じような心細い気持ちになるものだ。
    (自分が傷ついたからって、人を傷つけていいわけじゃないのだ。)

    豹的肉体

    急に腹が出てきた。
    いや、正確にいうと、腹が出ていることに気づいてしまった。
    それが、およそ、3ヶ月前だった。
    これまで何をどれほど食べても飲んでも太らなかった。
    これが、いわゆる中年太りというものであろうか。
    石原慎太郎は太陽の季節で若き力を誇示したが、最近では老衰を晒すことにより人間の生涯を作家として最後まで表現している。
    かくいう私も、これまで、いわゆるデブを馬鹿にしてきた人間であった。
    デブは現代病であり、生活習慣病であり、農耕民族的自堕落な日常生活を何ら自戒することなく行ってきた者たちの成れの果てである。
    そのような考えであった。
    しかしながら、老いの過程で、私自身がデブとなってしまったのである。
    無論、何をどう喚こうと、農耕文化の成れの果ての現在に生きているのであるから農耕民的ぶよぶよ体型になるのは当然なのだが、それでも忸怩たる思いが人一倍湧いてくるのであった。
    ということで、私の中の他の私たちを集め、緊急の臨時集会を開くこととなった。
    その中の一人からはデブになるのも面白いという意見もあった。
    だが、最終的には、作家の端くれとして世情と関係なく自らの言動に責任を持つ必要があるのだから、運動や食生活など日常生活の改善が必要だという意見にまとまったのである。
    すぐさま、私は、閉店セール中のアウトレットの靴屋に駆け込み、少年時代からの憧れプーマのシューズを半額の2500円で購入した。
    その後、しまむらに駆け込み、中高生に人気のFILAの上下ジャージ&Tシャツの3点セットを1980円という格安特価で購入した。
    それらに着替え、次の日から、近所の公園で、奥様たちにまぎれ、ウォーキングをはじめた。
    数日たち、ただ歩いているだけではつまらなくなった私は、村上春樹よろしくジョギングをはじめた。
    30分がいつからか1時間になった。
    そして、家では、国民的アニキ長渕剛兄ィよろしく筋トレをはじめた。
    毎日、全身鏡の前で全裸になり、無残に突き出た腹を見つめ、やれやれと嘆きジョギング、何クソと憤り筋トレを続けたのであった。
    1ヶ月が過ぎた頃には、あの腹筋ローラーをAmazonにて700円で購入した。

    そうして、約3ヶ月たち、私は、豹となった。

    いつの間にか、腹はひっこみ、竹槍をかついだアフリカ原住民男子のような無駄のない豹のような肉体を手に入れた。
    全身鏡の前で全裸になりながら、うっとりする毎日である。
    最近では、買い手はあるかしらという懸念はあるものの、そろそろ三島由紀夫よろしくヌード写真集でも出そうかと思いはじめているところである。
    現在、大体、こういう感じである。
    豹



    無所属(永遠の)新人

    どうでもいい話に賞なんてあげるバカに貰うバカ。

    どうでもいい詩に賞なんてあげるバカに貰うバカ。

    誰かがどっかのコミニティで偉そうに話してるよ。

    恥ずかしいね。

    ヘタクソなだけならまだしも、心無いくだらない言葉の羅列に。

    作家だとか。

    詩人だとか。

    名乗っちゃって。

    今日もまたどこかで。

    誰かがどっかのコミニティで有名だって威張ってるよ。

    どうかしてるよ、情けないね。

    私、これだけは、宣言しとく。

    私、どこにも、属さない。










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