森井聖大ファンクラブ通信

    マイペース・マイワールド

    熊本電鉄で行く熊本プチ散策ーくまモン電車でGO!-

    天皇陛下ではありませんが、下々の生活を覗き見るつもりで、散歩に出かけました。
    川沿いをゆっくりと歩きながら、水の流れや草花、私が歩くたびに飛び跳ねるバッタ、子どもたち、自転車のおばさんなどとすれ違いながら、30分ほど歩くと、不意に自転車やバイクが並んでいる駐輪場のようなものが見えました。
    「何だろう」
    好奇心から近づくと、駅でした。
    熊本電鉄の駅でした。
    特に目印もなく、町の風景に溶け込みすぎているから、駐輪場に気づかなかったら、駅だとわからないままでした。
    熊本電鉄は、正式名称を熊本電気鉄道株式会社と言うそうです。
    明治の終わり頃に開通した古い鉄道なのだそうです。
    そうして、18の駅しかない、とても短い弱小路線です。
    駅と言っても、駅員も駅長も誰もいない駅でして、一つだけのホームがありました。
    ホームに行くと、ICカード読み取り機はありましたが、券売機がありません。
    「どうやって乗るのだろう?」
    不安になりましたが、よく見ると、ホームの入り口付近に整理券をとる箱がありました。
    どうやらバスの乗り方と同じようだと気づきまして、整理券をとり、ホームに入り、一つだけのベンチに座りました。
    時刻表を見ると、30分に1本程度来るようでした。
    電車を待っている過程で、5人程度の乗客が来ました。
    その中の一人の青年は、折りたたみ自転車ではなく、普通サイズのママチャリを押してホームに立っていました。
    この電車には、こんな大きな自転車も乗り入れができるようでした。
    まさに市民の足だと感心しました。
    ほどなくして2両編成の電車が来ました。
    まずは北熊本駅で降りました。
    電車の終点は藤崎宮前でしたが、上熊本駅に行くには、ここで乗り換えないといけません。
    前に夏目漱石の資料館に行った際に、上熊本駅前に漱石の銅像があると聞いたことを覚えていました。
    北熊本駅には駅舎があり、駅員がいまして、そこで整理券を見せてから料金を払うシステムでした。
    北熊本駅を出て、散策しました。
    北熊本駅は3号線沿いに位置していましたから、結構、色々な店が立ち並んでいました。
    少し歩くと古着屋のセカンドストリートがありました。
    前々から、バイク用の服が欲しかったので、立ち寄りました。
    一時間程度店内を隈なく見てまわり、デニムオンデニムに決め、お手頃価格の500円のGジャンと500円のGパンを購入しました。
    再び北熊本駅に戻り、電車を待つことにしました。
    しばらくすると、電車が来ました。
    おー!
    くまモンの電車でした♪

    くまモン電車到着

    くまモン電車は人気があるようで、10代の女子たちや、家族連れが写真を撮っていました。
    私も、負けじ、と撮りました。

    くまモン電車扉

    電車内も、くまモンづくしでした。
    色んな表情のくまモンがいました。
    10代女子たちは「カワイイ」を連呼していました。
    私も、声には出さないまでも、同じ気持ちで、女子たちに紛れ、写真を撮りました。
    「マジ、かわいい」
    「くまモンって、どんな表情してもカワイイ」
    そう心で思いました。

    くまモン電車内ハート

    くまモン電車内扉

    あっという間に、終点の上熊本駅に着きました。
    この駅には駅員がいないらしく、電車の先頭に行き、バスと同じように、ICカードをタッチするか、車掌の前で整理券と料金を入れるシステムでした。
    降りると、JR上熊本駅と、路面電車が隣接してありまして、駅ロータリー内に観光マップがありました。

    上熊本駅マップ

    出ました、熊本恒例・夏目漱石です。
    そして道を挟んだ反対側に夏目漱石像が建っていました。
    信号を渡り、夏目漱石像と対峙しました。

    夏目漱石像

    確か記録では159センチの漱石なので、等身大より、ちょっと小さい感じでした。
    台座を取ったら、140センチくらいでしょうか。
    漱石としても、まさかこんなところに、紛らわしいレベルの実際の自分よりちょっと小さい像が立ち、風雨にさらされ続けているとは(あの世で)想像すらしていないことでしょう。
    「勘違いされるやん。せめて159センチで建ててよ!」とか思うかもしれません。
    そこから、路面電車に乗ってもよかったのですが、もうついでなので、熊本市街方面に歩きました。
    すると、わが輩通り、という看板までありました。

    我が輩通り看板

    看板の下に2000と書いてありましたから、つい最近、2000年に名称を思いついたようです。
    少しは期待していたのですが、特に、漱石関連の店があるわけでもありません。
    何の変哲もない、車用道路の歩道です。
    「なんのこっちゃ」
    一人ツッコミをいれました。
    そんなこんなで、わが輩通りを通り過ぎ、熊本城の内堀沿いを歩きました。
    熊本城に近づくにつれ、ボコンボコンという地響きを伴う、何やらケタたましい音が聞こえてきました。
    「何だろう?」
    どうやら地震で崩れた石垣の工事をしているようでした。
    ショベルカーで石垣を壊しているようです。

    熊本城工事中

    熊本市街を見下ろすように立っている偉そうな熊本城を、ぶっ壊したら、さぞかしスッキリすることでしょう。
    金閣寺ではありませんが、工事のおじさんが、あの修行僧と同じように伝統など糞喰らえと開眼し、ショベルカーで熊本城をぶち壊す、そんなことを想像してみました。
    しかし、三島由紀夫のパロディですし、一つの小説作品としては弱い気がしました。
    どっちでも良いことなのでしょう。
    それから、熊本中心部のアーケードを歩きながら、しっかりしたコンセプトで、なかなか面白い試みをしている本屋・蔦屋書店に行きました。
    すると、ちょうど、本屋大賞を受賞した何とかという作家のトークショーをやっていました。
    名前は忘れましたが、パッと見、金髪豚野郎な感じの人でした。
    私は、人の好みであまり好き嫌いはありませんが、何だか自堕落な気がして太った男性だけは、どうにも好きになれません。
    興味本位で、その方の書いたアウトローが何とかという本を立ち読みがてらパラパラめくっていましたら、書店員が声をかけてきました。
    「席が空いているので、良かったら是非」
    ですが、そのアウトロー風味の作家が、
    「いやね、編集者がね、どうたらね」
    という、いつもの商業作家あるある的な笑い話をしているのが聞こえてきましたから、やめました。
    軽く会釈をして、その場を立ち去りました。
    それにもまして、どういう意図かはわかりませんが、読書は個人的体験であるのですから、作家そのものなど本当は関係ないのです。
    生活に作家などいるでしょうか。
    本があればいいんです。
    このあたりに、蔦屋書店さんのコンセプトのぶれのようなものを感じ、少し残念に感じました。
    しかし、全体的に、のんびり過ごせて充実した一日でした。
    それというのも、熊本電鉄とくまモン電車のおかげでしょう。
    この路線の、落ち着いた雰囲気が、好きになりました。
    これからも、経営難に負けず、存続して欲しいと切に願います。
    私も微力ながら、たびたび利用したいと思います。
    今日は本当に有難うございました。


    終わり。


    参照サイト:熊本電鉄HP

    Category : 熊本地震関連
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    ばってん荒川FOREVER

    何の因果かわからぬが、熊本に来て、熊本を見つめ、早1年。
    夏目漱石からはじまり、天草四郎を経て、今ようやく、ばってん荒川にたどり着いた。
    このブログを読んでくれている人ならわかるだろうが、まずはじめの段階で、「ばってん」の特異性に気づいてはいたのだ。
    だが、先入観というのは恐ろしいもので、それがただの方言だという先入観から、とても大事な要素、その方言を象徴する大事な人物を忘れていたのだった。
    文学の名に引きずられ、文学を過信した自分の節穴ぶりが情けなくなるが、夏目漱石などという熊本とは一切関係ない人物に惑わされ遠回りしてしまったのだ。
    1年という月日が巡るまで、熊本にとって一番大事な人物であるはずのばってん荒川を想起するには至らなかった。
    熊本県民の中には、熊本城を築城した明主・加藤清正がいる。
    更には、日本史はもとよりローマ法王までも知っている伝説の救世主・天草四郎がいる。
    そして、この『肥後にわか』という伝統喜劇を継承し熊本精神を笑いで表現し続けた男・ばってん荒川がいる。
    ばってん荒川を調べる過程で、『にわか芸』の本来の意味も知った。
    このことは、コロンブスがアメリカ大陸を発見した時の高揚感にも似ている。
    吉本新喜劇は、大坂にわかであり、浅草軽演劇は江戸にわかである。
    私にとって、ばってん荒川は、アメリカ大陸であり、そこにあったのに気づくのが遅かっただけの、新大陸であり、新発見であり、大発見だった。
    そうはいっても、九州以外の人間の中には、ばってん荒川を知らない人もいるだろう。
    私も、恥ずかしながら、何となくしか知らなかった。
    見たことある程度だった。
    ばあさん(お米ばあさんというキャラ)の格好をしたおっさんという認識しかなかった。
    つまりは、今の今まで、ばってん荒川を、どこにでもいるただのローカルタレントと勘違いしていたのだ。
    では、ばってん荒川とは、何者なのだろう。
    結論を言うと、ばってん荒川は、熊本人そのものであり、いわば熊本精神の真の表現者だった。
    全国区のTVで活躍するウッチャンナンチャンの内村も熊本出身であるが、幼少期からばってん荒川を見てきたからだろう、憑依芸(キャラに扮するコント)というジャンルで、明らかにばってん荒川の影響下にある。
    また、ばってん荒川の弟子・ばってん城次は無論のこと、現在熊本を代表するものまねタレントであり名司会者である英太郎が今熊本で活躍できているのは、あくまでも熊本での芸能活動に固執し全国区という悪の枢軸に巻き込もうという勢力に断固として抵抗し熊本芸能を守り発展させたばってん荒川の「肥後にわか」を通した熊本への愛と努力の恩恵だろう。
    新しいところでは、2015年の紅白歌合戦に、熊本出身の島津亜矢が14年ぶりに出場した。
    歌ったのは、ばってん荒川から受け継いだ歌『帰らんちゃよか』だ。
    島津亜矢は他を寄せ付けぬ歌唱力と気迫で熱唱し、年末最後の話題をさらった。
    この『帰らんちゃよか』という歌には元々こういう経緯がある。

    1、元はフォークシンガー関島秀樹が1995年に作詞・作曲した「生きたらよか」という曲があった。

    2、ばってん荒川がそれを「帰らんちゃよか」とタイトルを変え、1996年にキングレコードからリリースした。

    3、後に島津亜矢が、ばってん荒川がこの曲を歌うのを聴き、感銘を受け、ばってん荒川に直接、「私にもこの曲を歌わせて下さい」と頼んだところ、「お前ならよかたい!大切に歌わなんぞ!」と快諾され、2004年にテイチクレコードからシングルとしてリリースした。

    4、その後、島津は「NHK歌謡コンサート」などの歌番組で度々この曲を歌い、2015年の紅白歌合戦にこの曲でばってん荒川の霊魂を背負い出場。熊本県人だけでなく全ての迷える子と親に感銘を与えたのだった。

    wikipedia「帰らんちゃよか」より抜粋編集



    関島氏の「生きたらよか」というタイトルでは重みがありすぎた。
    それを「帰らんちゃよか」に改題したところが、ばってん荒川の才能を如実に物語っている。
    島津亜矢の熱の入った歌い方の背景には、ただ故郷を離れ都会で夢を追い挫けそうになった自身と郷里の両親を重ね合わせたという事だけでなく、間違いなく、ばってん荒川の霊魂が乗りうつっているのだ。
    論より証拠である。
    ばってん荒川「帰らんちゃよか」と、島津亜矢が歌う「帰らんちゃよか」を聴き比べて頂きたい。
    下記の動画1で共演し、まずばってん荒川が歌い、その後島津亜矢が歌っている。
    だが、ここでの島津亜矢は、ばってん荒川の背後霊に気圧されているのか本調子ではない。
    だから、面倒だとは思うが、1の動画での、父と母を巧みに歌い分ける希代の肥後にわか芸人ばってん荒川の歌唱を見た後、動画2で、島津亜矢がばってん荒川を背負い魂を込め歌いあげる「帰らんちゃよか」を聴いて頂きたい!

    1


    2





    ばってん荒川死去から10年。
    熊本地震があり阿蘇山が噴火しても。
    ばってん荒川(お米ばあさん)が生きていたなら。
    きっと、こう言うことだろう。
    「心配せんでよか」
    と。
    そして。
    「帰らんちゃよか」
    と。




    Category : 熊本地震関連
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    地震ふたたび

    再び大きな眩暈がした。
    だが、もう間違えない。
    これは地震だ。
    久しぶりに長い揺れだった。
    不意にあの時の恐怖が蘇る。
    Σ(д゚||)ガーンΣ(  ||)ガーンΣ(||゚д)ガーンΣ(||゚Д゚||)ガーン
    一体、いつ収まり、いつ終わるのだろう。
    5月か6月に不動産屋が来た際に、「このアパート、震度と関係なくだんだん揺れが激しくなるが、大丈夫なのか?」と聞いた。
    「耐震設計ですが、それが何度の地震に耐えられるかまではわかりません」
    しかし、どこにももう安全な建物はなく、県内どこのアパートもマンションも一戸建ても同じく危険なのだ。
    昨日こそ、行政は、厄が晴れたかのように、災害対策本部を解散したばかりだった。
    何とも、皮肉な話だ。
    熊本地震の県災害対策本部が解散ーNHKニュース
    だが、これも致し方ない。
    自然は予定調和というわけにはいかない。
    地震学者も、行政も、予言者も、占い師も、誰も、何も、アテにはできない。
    町内放送が、また、あの時と同じように、地震警報を伝えている。
    私は、先日名づけたばかりの、我がバイク「テリー」が倒れていないか見に行った。
    テリーは、日系アメリカ人らしく勇ましく踏ん張っていた。
    安心した私は、ヘルメットを被って、荷物をリュックにまとめた。
    ヘルメット
    ヘルメット姿もなかなかサマになってきた。
    キャーゞ(^o^ゝ)≡(/^ー^)/"""パチパチ
    いざとなれば、テリーと共に、旅に出よう。
    あー、とはいっても、面倒くさいな。
    ε-(ーдー)ハァ
    あー、怖い、こわい、コワイよー。
    (。□。;)逆さガビーン!!


    Category : 熊本地震関連
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    益城復興サイダー

    錆助通報事件が何月だったか、熊本地震が何月だったか、色々なことが重なり、よくわからない。
    錆助はもう逮捕され独房にでも入ったのか音沙汰が無くなったが、地震の方は、未だ小さな揺れが毎日のようにあり、現在進行形だから、終わったことなのか、終わっていないことなのかも、よくわからない。
    そんな中、今まで知らなかったのだが、こういうサイダーが発売されていた。

    益城復興サイダー

    どうやら、一番被害が大きかった益城町では給食センターが崩壊し現在でも小中学生の給食がない状態らしい。
    現在、小中学生は、給食ではなく、弁当を支給されているとのことで、給食ならば1日250円程度だったのが、弁当になって1日500円にもなり、益城町の親は被災者が多く給食費の値上がりに対応できないだろうとのことで、その分の差額250円を今はNGO団体などが援助しているらしい。
    だが、来年3月に支援も終了する、という。
    そういう切迫した経済的困窮から、このサイダーの売り上げの一部を、この2倍に高騰した給食費(弁当代)に充当することを、熊本県議が企画し、まずは県内の熊本らしい名のスーパー「よかもんね」などで販売をはじめたとのことだ。
    このラベルは数種類あり、全て益城町の小学生が大好きな人を描いているとの事だ。
    この世紀末リーダー伝たけしのような絵も、彼らの父か母なのだろう。
    しかしながら、幼稚園~小学校低学年までの子どもが描く絵というのは、何故こうも、いつの時代も同じなのであろうか。
    これは日本だけの人物描写の癖なのだろうか。
    ふと物思いに沈む。
    ただ、全国と比して違いがあるとすれば、母の絵は全国と同一だが、父の絵は熊本に溢れる男顔『もっこす顔』である。
    参照サイト:「益城サイダー」発売ー熊本日日新聞
    ちなみに、このサイダーをどこで手に入れたかというと、生活費の為に小銭を稼ぐつもりで行った、パチンコの景品だ。
    目的を達成し、カウンターに行くと、カウンターの女性店員が、「今日はチップスターではなく、このサイダーを是非とも」とかなり真剣に頼んできた。
    私はいつも余り玉ではチップスターと決めているし、私がどれほどチップスターが好きか店員も知っているなか、それでも勧めてくるのだから、かなりの本気さが伝わってくる。
    「わかった。たまには世の中の為に何かしよう。ただ私がボランティアらしいことをしたとネットには書くなよ」
    「もちろんです。ありがとうございます!」
    家に帰り、早速ワインに入れ、瓦礫のなかで立ち尽くす子どもたちを思いながら、スパークリングワイン気分で飲んだ。
    こんな私でも、微力ながら、益城町の子どもたちの役にたったか、と思うと感慨深い。


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    大眩暈2

    翌日、丑の刻だった。
    またもや大きな眩暈に襲われた。
    もはや私は、立つことも座ることもできず、床に突っ伏した。
    ポルターガイスト現象のように、電気が消え、暗闇の中、あらゆる家具が飛び交った。
    怪奇現象がおさまると、身の危険を感じ、外へ飛び出した。
    外には、私を見張る公安のように、たくさんの人が立っていた。
    ここで、ようやく、気づいた。
    これは、ただの眩暈でも、ましてや狂気でも、悪霊の仕業でも、ない。

    間違いなく国家権力の嫌がらせである。





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