マイペース・マイワールド

    心おもむくままに

    戦争映画を観終えて

    ようやく借りていた戦争もののDVDを観終えた。
    独自に感想を書いたものは戦争資料としても映画としても感銘を受けたものだ。
    残りはまとめて感想を書く。

    『俺は君のためにこそ死ににいく』
    2007年。
    監督・新城卓。主演・徳重聡。
    脚本・製作総指揮・石原新太郎。
    映画としても資料としても特筆すべきところがなかった。
    鹿児島県知覧の陸軍航空隊から飛び立った特攻隊員と食堂のおばちゃんとの物語で、石原慎太郎が脚本・総指揮ということで期待していた分、がっかり度が大きかった。
    井筒監督が「戦争を美化している」と発言し話題になったが、僕個人的には戦争美化というより人間美化で少しばかり入り込めなかった。
    登場人物全員を立派に描くような物語はリアリティがない、と思った。
    だがところどころ胸に迫る場面もあった。
    最後、特攻に飛び立つ前に隊員たちが円陣を組んで、隊長が言う。
    「最後にこれだけは確認しておく。
    死んだら靖国神社の拝殿の前で待っとけ。
    みんな揃ってから入ろう」
    だが隊長だけ生き残り、戦後、自分の言葉に苦しめられる。
    「みんな待っているはずだ・・・」
    自暴自棄の生活を送りながらも生きようとした元隊長に食堂のおばちゃんが言う。
    「どうしてアンタだけ生き残ったのか考えてみんしゃい」

    『太平洋奇跡の作戦・キスカ』
    1965年。
    監督・丸山誠治。主演・三船敏郎。
    原作・千早正隆 「太平洋海戦最大の奇跡」
    確かに噂どおり円谷英二の特撮が臨場感があった。本物の艦隊に見えた。
    戦闘ではない、米軍に包囲されたキスカ島に残る日本兵5000名の救出作戦である。
    玉砕しかないという絶望的な状況の中、北方司令官は「見殺しにすれば帝国海軍が後世に恥をさらすことになる」と当時激戦が続いていた南方から六隻もの駆逐艦を借り出し救出作戦を敢行する。
    この北方とは今で言う北方領土の北方でキスカは千島列島の先カムチャツカ半島とアラスカ半島の間あたりにあるアメリカ領の島だ。
    濃霧を利用し、米軍に気付かれないようにキスカ島に接岸し、5000名を1時間で救出するという作戦は文字通り奇跡に近い。
    この救出艦隊の司令官を三船敏郎が演じる。
    三船の役どころは目だった戦果もない落ちこぼれの司令官だ。
    三船を作戦司令官に推した北方総司令官は反対する将校たちに概ね次のように言う。
    「これは戦闘ではないから戦果をあげなくて良い。手柄をたてたがる者ではつとまらん。手柄をたてたいと願うと冷静さを失う。無血撤退なのだから何よりも冷静さがいる」
    手柄をたてたいと願うな。冷静な判断力を失う。
    (この言葉は勲章を欲しがり文芸新人賞などに応募したがる若者にも相通ずる言葉だろう。)
    そうして作戦は成功し、5000人の命を救った帝国海軍は後世に美談を残した。
    もちろんその後救出された兵士が南方戦線に駆りだされたのかもしれないが、それがこの作戦の真意ではないのは作戦失敗時の損失が成功に比して大きすぎることでわかる。
    この他に硫黄島の戦いの前に父島、母島、小笠原諸島から島民を本土に疎開させたり、硫黄島の決戦のあと兵士を救出していたり、帝国海軍は結構そういうことをやっているのだが、そこはあまり知られていない。
    戦後教育的な人は何だかすべてを悪にしないと気がすまないようだが、それを言ったから戦争が正義となるわけでもないと思う。
    戦争自体は悪だが、その中でも正義を断行した日本人の姿があったことは、日本人として誇りに思う。

    『発掘された国策映画』
    当時の人が観ていた映画を観ることができて素直に参考になった。
    陸軍省や海軍省が製作しているのだが、全体的に戦争賛歌というよりは、戦死した人の分まで最後まで頑張ろう、後世に恥じないようにしようという感じだった。
    戦争映画を数本まとめて観て、キーワードとして【後世に恥じないように】という言葉が頻繁に出てくることに気付く。
    こういう考えは現代では希薄になっている言葉でもある。
    だが僕はこのヒロイズム的な考えは好きだ。
    ヒロイズムは悲劇を生むこともあるが、未来を想う時必要な思想だと思う。
    ヒロイズムなき時代は未来に繋がらない空白の時代だとも思う。
    【戦争は悪である】と【後世に恥じないように】は区別して、後者は是非とも復権させたい考えだ。
    当時の靖国神社の映像があった。
    境内に張り紙があって、こう書いている。
    「英霊に感謝。遺族に敬意」
    これも戦争とは切り離し復権させたい人間として当たり前の心情ではないだろうか。
    まだ何も解決していない。
    僕は歴史を知った上で、これから靖国神社の扱いにたいしても積極的に議論に参加していきたい。
    先の戦争で親族が死ななかった者などいるだろうか。
    そう考えるとみんな遺族ではないのか。


    そうしてよく全体主義という名を冠してナチスと日本を同じように扱う人は自国の歴史を知らないのではないかと軽蔑する。
    アンネの日記は読んでも、自国の先輩である現代の老人や遺族の言葉を聞いていないのでないか。
    日本の歴史とドイツの歴史を同じと思っているのだろうか。
    あるいは突如全体主義や帝国主義にかぶれた日本が意味もなく凶行を犯したみたいな、浅はかで単純な考えを、どうしてそんなに自信をもって言えるのかわからない。
    後世への恥を考えた先達と前世へ敬意を払わない現代人。
    今を積み重ねて歴史が作られていく世界なのに、今しか見ない人が何と多いのだろう。
    今が大事なのは明日を想ってのことで、もし明日がないのなら今日もそれほど惜しくない。
    明日を想わなくても明日は訪れるがそれは今日と何も変わらない明日だろう。

    ともかく先の【戦争】と【歴史】と【現代】を考えながら、明日から『交響曲』執筆にとりかかる。



    Category : 読書・映画
    Posted by 椰子金 on  | 0 comments  0 trackback
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