森井聖大ファンクラブ通信

    マイペース・マイワールド

    森と人とチェーンソーの話

    土曜日は杉林に入り、杉の木の伐採をしてきた。
    花粉症の人なら無理な仕事だろう。もう花粉が舞っている。
    生まれて初めてチェーンソーを使ったのだが、思いのほか難しかった。
    それに恥ずかしながら、チェーンソーを間近で見たのも初めてで、チェーンソーはその名の通り自転車と同じようなチェーンでとびとびの刃を高速で回転させる構造なのだと初めて知った次第だ。
    重量が約5キロある原付と同じ50ccのエンジンをつけているチェーンソーを使い、100本の木を伐った。
    といっても伐採の手伝いで、興味深々に見ている僕がチェーンソーを使わせてもらったのは一回きりだった。
    それも当たり前で素人がやると下手すると死んでしまうのだから。
    今回の仕事は、幹の下の方から枝がでてきたものや幹が曲がったものや鹿が角を研ぎ皮がはがれたものなど、それ以上放っておいたら、真っ直ぐ伸びた形の良い木の邪魔をするような商品価値のない木を伐るというものだ。
    山というものは木の値段で決まる、要は良い木が何本あるかだ。
    商品価値のない木は早めに伐っておかないとそのままにして馬鹿でかくなるのを放っておけばもうどうすることもできなくなる。
    山に木を植え育てる人は、何十年もかけ、時として100年以上の年月をかけて育て、その子供や孫の為にその生涯を注ぐ。
    自分の利益はほとんどないのだが、先代が同じように木を育てているから、子供の為というより、先代への恩返しの為に山(木)を育てている。
    自分の利益だけを求めたり現世での得を求める気の短い人にはできないものだ。
    今回、伐採したものは、太さ直径50cmくらいで高さは10メートルくらいのものばかりだ。
    何百本もの木が密集して生い茂っているなかで、高い木を倒す時、一番気を使うのが倒す方向だ。
    そのまま伐るだけでは曲がっている方向に倒れるが、高い位置に枝が生い茂り倒れるのを邪魔するとそのまま倒れず、倒れ掛かったまま止まったり、思いもよらない方向に倒れる。
    それをうまく倒す為に、チェーンソーでの伐り方がある。
    それでも幾度か木が倒れてくるのから逃げながら、命の危険と隣り合わせの仕事をしている人々に尊敬の念を抱いた。
    いつか彼らの物語も書きたい。
    中上健次のように土着の人々の普通の暮らしの中に、何か人間としての尊厳があるような気がした。
    散弾銃を持ったおじさんがやってきて、僕らが休憩していたところで輪になって話した。
    イノシシは田んぼなどで稲を荒らし、鹿は木の皮を剥ぎ樹液が行き届かず木は枯れるのだ、と言う。
    米を作る農家にとってイノシシは天敵で、植林している森の民にとっては鹿は天敵だ。
    「都会からやってくる週末ハンターが一番悪い、あいつら何もわかってねえ。厳しさも辛さも何も。猟は森と人を守るためにやっているんだってわかってねえ。むやみに銃を撃ちたいだけ。イノシシ一頭自分でさばけないで、俺らに頼み、肉だけ持って帰ってイノシシとったって喜んでる。イヤなことは何もしないで、いいとこどりしている。俺らは生きる為に殺しているんだ」
    偶然にも、こういうことを知り得たのだから、言葉を紡ぐことが嫌いな人の代わりに何かを伝えなきゃならない。
    みんな生きる為にやっていることだってことを。


    杉

    Posted by 椰子金次郎 on  | 0 comments  0 trackback
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