編集者という自覚

    昨日は仕事から帰り21時に寝て、今日深夜1時に起きた。
    最近、こういう感じが多い。
    4時間睡眠法という本を昔読んだことがある。
    その時は4時間しか寝ないということができなくて、こんなものは机上の空論でしかないと何となく諦めていたのだが、忘れた頃に、いつのまにか4時間睡眠法が身についている現実に自分でも驚いている。
    昔読んだ本のことなど何一つ覚えていないのだが、長い年月をかけて、骨身にしみて血肉となっていくような気がしている。

    長い年月をかけて染みこむことは、もちろん本だけではない。
    自分の立場なども同じようなものだと思う。
    最近、今さらながら『何故?』の編集長だという自覚がでてきた。
    多分、ずっと考えているからだろう。
    『何故?』で何をしたいのか、または何ができるのか。
    当初、小説が書きたくて始めたことだったが、今はそれより、いい本を作りたいという気持ちの方が強くなってきた。
    編集が面白い。
    今は、『何故?』で編集という仕事に没頭したいという気持ちが強い。
    それというのも今まで随分、僕自身が前面に出ていたような気もする。
    始めはそうするしかなかったが、ある程度、『何故?』という名前が出てきた今ならば、僕はもう少し控えめに、一歩下がってもいいはずだろう。

    チェッカーズ解散のエピソードを思い出している。
    フミヤというチェッカーズの象徴がいて、いつからかチェッカーズ=フミヤとなった。
    だからフミヤが解散したいと言い出した時、他のバンドみたいにメインボーカルを換えてでもチェッカーズを続けたいと主張したタカモクの意見は通らなかった。
    もうその頃には、チェッカーズ=フミヤという認識が世間の総意だったのだ。
    しかし解散後、フミヤにしても他のメンバーにしても誰一人、チェッカーズ時代を超えられる者はいなくて皆たいした仕事もなくなった。

    集団でやるというのは個人の想いなど色々な問題があり、やりづらいことが多い。
    だが、個々人の力が結実した時は、決して個人では創りだせないものを創りだすことができる。
    その輝きを自分の力だと過信したときに、間違いが起きる。
    一人でできることと、できないことがある。
    『何故?』に関して言えば、一人でできないことをやっている。

    微妙なバランスの上にしか、上質のものはできないと思うと気も楽になる。

    現在読んでいる本は、幻冬舎代表で編集者として数々のベストセラーを生み出してきた見城徹『編集者という病い』である。
    売れるコンテンツ、それが本でもテレビ番組でも、4つの条件があると彼は言う。
    1.オリジナリティがあること。
    2.明解であること。
    3.極端であること。
    4.癒着があること。
    この条件は売れることにも必要かもしれないが、良い本や作品の条件だとも言える。


    人は生まれ、それぞれの生を営み、やがて死を迎える。
    しかし何に対してであれ真摯に立ち向かったそれぞれの精神は次の世代に記憶され、受け継がれて新たな想像を刺激する。



    『これほどの努力を、人は運という』



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