マイペース・マイワールド

    心おもむくままに

    TPPと『何故?』(コタツとミカンの国で)

    TPPというのは僕らにとって身近なものですよね。
    今はまだ施行されていませんが、この先施行されたとして一体何がどうなるかを考えないといけません。
    僕らだけでなく僕らの子供や孫がどういう世界に投げ出されるのか。
    そういう一つ一つを身近なことに引き寄せて想像してみることが大事だと思います。
    考えた結果、TPPに賛成だとか、TPPに反対だとかを国民の1人として表明すべきでしょうし、また国はそういう機会を選挙などを通して作らないといけないと思います。

    今回は、TPPと『何故?』について考えてみたいと思います。
    TPPに参加すれば『何故?』はどうなるのでしょうか。
    皆さんもよく考えてみてください。

    その前にまずはTPPとは何か、『何故?』とは何かを知らないと二つのものの関係性を考えることは難しいのじゃないでしょうか。
    TPPに関しては、まずは協定の目的を知らないといけません。
    『何故?』に関しては、まずは文学の本質を知らないといけません。
    『何故?』のホームページに関しては、下記になります。
    何故?
    僕らは永遠を願っても時代の影響下にあります。
    『何故?』とはそういうものです。
    もしかしたらTPPは更なる混沌を招くという意味では『何故?』にとっては悪いことではないかもしれませんが、それでは単なるご都合主義的文学になるのではないでしょうか。
    人がみな幸せであっても、より良い人生を求めるところに文学は寄り添うのではないでしょうか。
    だとしたら、殊更に不幸や災難が文学の母であり土壌だとするのは短絡的だし浅はかな考えだと思います。
    例えるならば一度の幸せも感じたことがない世代を作ることは文学の死活問題だと思います。
    遠いあの日少しばかり幸せな時があった、あったような気がするが、あれは何だったのだろう?というところに文学の光は射すのではないでしょうか。
    現代、文学が見直され、流行りつつある現状はまだ若干幸福を感じた世代が、生きづらくなったところに、思考を通じ記憶の闇に手をのばし、言葉を探ろうとするところに花開きつつあるようにも感じます。
    僕は若干TPPに反対ですが、それはもう完全に幸福なき場所を作ろうという競争主義的社会の構築を是としているからで、お受験ばかりでなく、そのような一生競争という人生を1人1人が背負わされた時に、僕らの次の世代、いうなれば今まさに生まれた赤ちゃんたちが育っていく過程で心の在り処がなくなるのではないかと感じるからです。
    日本も日本ではなくなるでしょう。
    そもそもアメリカは歴史なき国、伝統なき国ですが、僕らには歴史があり、伝統があります。
    そういうものを何故捨てる必要があるのでしょうか。
    本当は遠いのに、あまりにも近すぎる国アメリカの影響下で、遠い繊細な記憶をなかった事にするのでしょうか。
    村上春樹の小説が読まれる理由の一つは、彼がまさにアメリカの犠牲者だからで、僕らがまさにアメリカの犠牲者でもあるからでしょう。
    伝統や歴史をズタズタにされて、僕らは島国根性を悪きものとして否定され、国際化の名のもとに、世界各国との競争を余儀なくされている。
    米軍基地があることは本当は日本は主権国家ではないからでしょう。
    村上春樹が日米安保から生まれてイスラエルに讃えられたことは現代日本を表す一つの象徴的な出来事でした。
    僕らは無力でした。
    そして日米安保の頃からずっと虚無感に苛まれてきました。
    精神の奥底でです。
    僕らは結局アメリカの属国にすぎないのです。
    三島由紀夫は訴えましたが、人々はひと時の快楽に本質を見失い金を選びました。
    今まさに金を失いつつあるなかで、TPPが浮上してきました。
    本質は同じでしょう。
    ただ最早僕らには主権国家として何を決める権利もありません。
    米軍基地があるということはそういうことです。
    これはこれだけの問題ではなく、先の敗戦から僕らが抱えているこの国の本質です。
    色々な問題がこの先も浮上するでしょうが、日米安保に同意し米軍基地があることで、全ての問題は自由な選択肢がないものばかりです。
    もうどうすることもできません。
    資本主義の覇者アメリカは今でもそうですが、この先更に自国の経済が衰退すれば、必ず大規模な戦争を引き起こして覇権を死守しようとするでしょう。
    米軍基地のある日本は最後までアメリカ側につくしかありません。
    アメリカが繁栄すればいいのですが正直グローバリズムもあと何年もつかわかりません。
    ねずみ講みたいなものですから、いずれMAXが訪れます。
    日本人の多くが、本当の幸せは金がいらない生活のなかにあることだと気づきつつあるなかでも、ねずみ講的なグローバリズムに付き合わないといけないのです。

    どうしたらいいのでしょうか。

    僕は、コタツでミカンを食べながら、面白くないテレビを何気なくつけて、ゆっくり本でも読んでいれば幸せです。
    国際化とはテーブルに座りワインを飲むことなのでしょうか。
    そうじゃないなら、コタツとミカンが好きな外国人が増えるべきなのに、ちょっと不思議なのです。
    自由なのだから、和服姿でも良いはずなのです。
    この意識の不自由さが、何だか不思議なのです。

    最後になりますが、TPPにより日本が日本でなくなっても、『何故?』は『何故?』であり続けたいと思います。



    おわり。

    Posted by 椰子金 on  | 0 comments  0 trackback
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