マイペース・マイワールド

    金持ち喧嘩せず

    12月某日・日記集

    12月某日
    アンチロマン三部作として、文学的挑戦と野心をもって書き臨んだ、8号『無縁アパートとギミック島創世記』、9号『冬子は、森へ』、10号『上級妄想病院レジントン102号室』での小説の試みをほとんどの人が評してくれなくて寂しい限りだ。
    失敗しているところもかなりあるが、それでも「アンチロマンですね。難しいですよね」と言われてみたかった。
    文学フリマでは他サークルの書き手が購入することが多いのだから、こちらとしては手法や方法論を読み解かれるものと思って構えているのだが、何故か書き手もただの読者のように面白いつまらないという感想しかない。
    まず小説と物語を混同している人が多すぎる。
    よくわからないが、他の人は、構造主義やアンチロマンなどの方法論について何も考えずに書いているのだろうか?
    ただ感覚だけで?

    12月某日

    「人文知の成立する余地が失われた」
    「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」
    残っているのは、「日本における動物的スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。
    「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルやケータイ小説、アニメやゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」
    しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場の論理がすべてだとは絶対に思わない」
    とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。


    浅田彰wikiより抜粋

    12月某日
    客が入らなかったのはプロモーターとしてのおれの責任だ。
    友だちの少なさではなく宣伝不足だ。
    大衆迎合商業主義の結果文化が根絶やしにされつつある。
    ずっと逆転劇を考えている。

    12月某日
    娘とスケートに行っていつものように喫煙所で煙草を吸っていたら40代くらいの母親のグループが入ってきて、皆が皆スマートフォンを握りしめ、
    「もうすぐモバゲーでイベントはじまるわよ」
    「やばい。やばい」
    と大騒ぎしていたから、ハンマーで殴り殺そうかと思った。

    12月某日
    ナカシマに手紙を書こう。

    12月某日
    NPO法人を立ち上げることにしようか。
    どこまでもやらざるをえない状況になった。
    道なりに進む。

    12月某日
    選挙が終わったらしい。
    テレビもなく、ネットも見ていなかったから、この選挙のことは「外が何やら騒がしいな」くらいしかわからず、全く知らなかったが、ブログのアクセス数がものすごいことになっていて気づいた。
    今回、たまたま選挙にでた染谷誠治のことを一年前にブログに書いていて、それがものすごいことになっていたのだ。

    12月某日
    今年も無事に終わりそうだが、油断はできないぞ。

    Posted by 椰子金 on  | 0 comments  0 trackback
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