森井聖大ファンクラブ通信

    マイペース・マイワールド

    『シャッターアイランド』と『カッコーの巣の上で』における反精神医学及びロボトミー手術についての考察

    レオナルド・ディカプリオ主演、マーティン・スコセッシ監督のシャッターアイランドを観た。
    スコセッシとディカプリオはアビエイターやウルフ・オブ・ウォールストリートなどかなり組んで作品を作っている。
    さてシャッターアイランドは凶悪事件を犯した精神病患者を収容する島を舞台とした映画だ。ある日収容されていた女性患者が脱走しディカプリオ扮する連邦保安官が捜査に来るところから映画はスタートする。結論から言うと、大どんでん返しの結末なのだが、筋書きはともかく、ロボトミー手術という忘れな草的言語が飛び交いかなりのウエイトを占めている物語構成なので、どうしても名作カッコーの巣の上でを思い出してしまう。ロボトミー手術とは脳を手術し精神病を治すという精神外科の治療法だ。今では信じられないだろうがこの断末魔のような行為が60年代には画期的な治療法として流行さえしていたのである。ちょうどこの頃1962年に小説カッコーの巣の上でが発表され、70年代半ばようやく世間に反精神医学を知らしめるように映画ができヒットした。ロボトミーというとロボット的ニュアンスで捉えるかもしれないが、このロボトミーとは

    「葉(lobe)」を一塊に切除することを意味する外科分野の術語である。(引用元:wikipedia精神外科)


    ちなみにこの神をも恐れぬロボトミー手術を最初に行ったモニスは1949年にノーベル生理学医学賞までもらっているので、ノーベル賞のばかばかしさがこのことにより露呈されてもいる。
    もちろん日本においても当然のようにロボトミー手術は行われており、ロボトミー殺人事件という有名だがタブーなのかそれほど世間に浸透していない

    「ロボトミー手術の問題点を世間に知らしめる」(引用元:wikipediaロボトミー殺人事件)

    として犯行に及んだ事件まである。この犯人というか患者というか時代の犠牲者である元フリーライターの男は今なお無期懲役刑で服役中でさえある。
    しかし、もうこれらも4.50年も前の話だ。私はどうにも鑑賞しながら違和感を覚えた。シャッターアイランドは、今をときめくハリウッドスター・ディカプリオ主演の2009年の映画なのだ。もうロボトミー手術がなくなった薬物治療全盛の現代になぜにロボトミー手術を真ん中に持ってきたのだろうか。そうして映画の中で精神科医は、
    「保守派はロボトミー手術を、革新派は薬物療法を、私たち進歩派は精神療法を施す」
    と言う。
    精神療法が何なのかはハッキリしないが精神分析的なものだろう。トラウマをメインにしているようだった。しかしまたそれでも精神分析なんてのはもはや精神医学においては無用の長物的扱いを受けている時代なのだが、なぜにスコセッシ監督及びディカプリオ氏はエンターテイメントを装い、あえてこういう映画を世におくり、何を言いたかったのだろうか。それは、
    「安易に薬物治療に頼りすぎる」
    という前述の精神科医の台詞もあることから想像すると、現代アメリカ及びアメリカ的精神医学(DSMという診断マニュアル)を拝借している日本などへ警鐘を投げかけているのだろうと推測できるのだ。
    ディカプリオは言う。
    「騙されないぞ、おれはおかしくない」
    DSM(診断マニュアル)により人間の精神状態は網の目のように網羅された。誰もが何かの診断名がくだる。このことへの反対意見的な台詞だろうか。
    ただ、ここまでなら、もうすでに名作『カッコーの巣の上で』がある。わざわざ作る必要性などないのだ。そういう意味で、シャッターアイランドカッコーの巣の上でを貫く思想は最後の最後まで同じような主張ではある。
    だが、なぜにわざわざこれを作ったのか、あれから40年後の精神医学を知っているこのシャッターアイランドという映画の特異性、カッコーの巣の上でとの決定的な相違点はラストシーンによってようやくはっきりと現れるのだった。
    カッコーの巣の上ででは、主人公は個人の意に反しロボトミー手術を施され、病院内で廃人となり寝たきりの生活を送る。反面、シャッターアイランドでは、なんということだろう、主人公は自らロボトミー手術を受けに行くのだ!
    最後のディカプリオの台詞はこうだ。
    「こんなところにいると考えちまうよ。怪物となり人に恐れられて生きるか、善人となりいい人として生きるか、どちらがいいのだろうとね」
    この投げかけは、どういうことだろうか。ある程度、精神医学について考えている人ならば、誰もが思うことかもしれない。ああ確かにロボトミー手術は消えた、だが薬物療法が本当に人間性を尊重した治療法なのか、ということだろう。みな心に一粒の疑問を持って今を生きていることを表現し映画は終わる。かつ主人公は映画的にではあるが自ら進んで薬物治療ではなくロボトミー手術を受けに行く。無論、これは映画のラストシーンだ。はたして現実は、どうなるのだろうか。患者が患者の意志で何かをやることができるだろうか。薬物療法を拒否した先に他に一体何があるのだろうか。人間生きるところ精神医学はまだまだ生々流転するだろう。
    坂口安吾はこう言っている。

    パチンコの機械が狂うと、パチンコ屋のオヤジが箱をトントンと叩くね。すると正常に返る。人間が狂うと、電気ショックやインシュリンショックをやる。つまりパチンコの箱をトントンと叩くようなものさ。パチンコ屋のオヤジはパチンコの機械の構造はよく知らないらしいが、トントン叩くとたいがい正常に返ることを知ってるのだね。精神病のお医者さんもそんなものらしいな。なぜ気が狂うかハッキリ分らないが、電気やインシュリンでショックを与えるとある種のものは正常に返るというようなことを心得ている。どうも、失礼。しかし、私は精神病のお医者さんをヒボーするつもりではないのです。要するに精神だの神経の作用や構造やネジのグアイなどが複雑怪奇すぎるという意味です。
    (中略)
    お医者さんには機械の故障がどこにあるのか分らないのだ。ただ、そうやると一時正常に返ることがあるようだから、電気やインシュリンでショックの療法をやる。お医者さんが悪いわけではないでしょう。パチンコ屋のオヤジはちょッと勉強すればパチンコの機械の構造をのみこむことができるが、お医者さんの場合はいくら勉強してみても、目下のところはとてもとても機械の構造を見破り、故障やその原理を発見する見込みはありません。相手が悪いのです。精神病のお医者さんは楽観的かも知れないが、私は精神病の謎は永遠に解けないと思っていますよ。永遠に。というのは、つまり人間というものは恐らく永遠に、好む時に好む夢を見るような、自分の身体や精神のネジや合カギを持つことは不可能だろうという意味です。構造が分らなければネジも合カギも持てやしません。そして、精神を構造している機械の原理が分れば、人間は破滅さ。そうでしょう。人造人間で間に合うのだから。人間はすでに人間でなくて、機械ですよ。
     要するに、精神病というものは、いつまでたっても、当てズッポウの療法以外に見込みがないね。いろんな方法を発明し、試みて、治る率を高めて行くことができるだけの話だろうね。(引用元:青空文庫『安吾人生案内 その三 精神病診断書)


    さて、しかし、坂口安吾はこう書いたが、統合失調症に関しては、文部科学省が、こういう発表をしている。だが一体何のことだか、現段階でも全く見当がつかない。安吾の推測は、果たして、これから八年以内に覆されるのだろうか。どうだろうね。

    2005年5月、文部科学省科学技術政策研究所の第8回デルファイ調査報告書によると2022年迄に統合失調症の原因が分子レベルで解明されると予測している。(引用元:wikipedia統合失調症)




    Category : 読書・映画
    Posted by 椰子金次郎 on  | 0 comments  0 trackback
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