マイペース・マイワールド

    心おもむくままに

    田中英光『さようなら』から垣間見る戦争

    田中英光は太宰治の墓前で自殺した。だから、主に、そういった太宰治との関係性で知られている作家かもしれない。その後、太宰治好きが「どれどれ」と田中英光の代表作である『オリンポスの果実』くらいを読む。このことで、もう少しだけ、作家・田中英光を知った気になるだろう。それから、まあ、余談として、その息子が小説家の田中光二だと、息子の存在も知り、田中英光通になった気でいる人もいるだろう。と、こんな感じで、何となく知られている作家なのだろうが、田中英光の作品は、無論『オリンポスの果実』だけではない。忘れてはいけない遺稿である『さようなら』という一読して小説と気づかない小説がある。「さようなら」にまつわる幼少期からのエピソードを時系列で辿っていくという筋なのだが、女の話などもあり、面白い箇所も多い。だが今回は、終戦記念日が近いし、その中から戦争体験記の部分を紹介したい。田中英光は、兵隊として中国に行っていたので、戦場の悲惨さを描いた部分がある。これだけでも、もうほんの少し、田中英光という作家を知ることができるだろう。

    以下、本文より抜粋。

    大学を出てやっと就職したかと思えば、昭和十二年、日本軍閥の中国に仕向ける侵略戦争はとめどがなくなり、ぼくも補充兵として召集を受け、半年足らず原隊で人殺しの教育を受けてから北支の前線に引張りだされた。その頃から日本人は肉親、友人、愛人とやたらに「さようなら」を云い合うようになったのだ。日本人の戦争道徳は(生きて帰ると思うなよ)である。出征の際、(また逢う日まで)を祈る別離の言葉なぞとんでもない。どうしても、(左様なる運命だからお別れします)の「さようなら」がいちばんふさわしい。その上、女のひとだと、「さようなら」に「御免下さい」をつけ加える。(そうした運命になったのをお許し下さい)と強権に対し更に卑屈に詫びているのである。まるで奴隷の言葉と呆れるより他はない。
    ぼくたちはそうした奴隷の言葉に送られた、奴隷の軍隊としての惨虐性を中国において遺憾なく発揮した。「グッドバイ」の意味する如く、神を傍らに持たず、中国語の、さよなら「再見(ツァイチェン)」の意味する、愛する人たちとの再会の希望もない軍隊は、相手の人間をいたずらに傷つけ殺し軽蔑し憎悪することで、自分たちの高貴な人間性も不知不識に失なっていた。ぼくたちは、中国兵の捕虜に自分たちの墓穴を掘らせてから、面白半分、震える初年兵の刺突の目標とした。或いは雑役にこき使っていた中国の良民でさえ、退屈に苦しむと、理由なく、ゴボウ剣で頭をぶち割ったり、その骨張った尻をクソを洩らすまで、革バンドで紫色に叩きなぐった。
    ぼくは山西省栄河県の雪に埋もれた城壁のもとに、素裸にされ鳥肌立った中年の中国人がひとり、自分の掘った径二尺、深さ三尺ほどの墓穴の前にしゃがみこみ、両手を合せ、「アイヤ。アイヤ」とぼくたちを拝み廻っていた光景を思い出す。トッパと綽名の大阪の円タク助手出身の、万年一等兵が、岡田という良家の子で、大学出の初年兵にムリヤリ剣つき鉄砲を握らせ、「それッ突かんかい、一思いにグッとやるんじゃ」と喚き散らし、大男の岡田が殺される相手の前で、同様に土気色になり眼をつぶり、ブルブル震えているのを見ると、業をにやし、「えエッ。貸してみろ。ひとを殺すのはこうするんじゃ」と剣つき鉄砲を奪いとり、細い血走った眼で、「クソッ。クソッ」出ッ歯から唾をとばして叫び、ムリに立たせた中国人の腹に鈍い音を響かせ、その銃剣の先を五寸ほど、とびかかるようにして二、三度つきとおした、中国人は声なく自分の下腹部を押え、前の穴に転げ落ちる。ぼくは鳥肌立ち、眼頭が熱くなり、嘔気がする。(さようなら。見知らぬ中国人よ、永久にさようなら)
    ぼくは共産八路軍と交戦し、勇敢な十四、五の少年の中国兵を捕えたことがある。精悍な風貌をした紅顔の美少年。交戦中の捕虜は荷厄介として全て殺してしまうぼくたちも、彼の若い美しさを惜しみ、荷物を持たせる雑役に使うことにした。しかし彼は飽迄も日本軍への敵意を棄てず、ぼくたちが黄河河畔の絶壁の上を喘ぐように行軍していた際、突然、荷物を棄てると、その絶壁から投身自殺した。
    (中略)
    その前後、ぼくはこうした許しを含んだ、「さようなら」との別離の言葉を多くの中国人や自分の戦友たちにさえ告げた。ぼくは幾度か一線で対峙した中国兵に、上官の気を損ねまいと、正確な射撃を送り、四人まで殺し、十人ばかりの人々を傷つけたが、その戦闘後、自分の殺した生温かい中国の青年の死体の顔を、自分の軍靴で不思議そうに蹴起しながら、いつも、「さようなら」とだけは心中に呟くことができた。(ぼくの手がその青年を殺したのではなく、戦争という運命が、その青年を打ち倒した)との諦感からである。例えば惜別の言葉として、「オォルボァル」とか、「ボンボワィァジュ」といえるフランス人たちは、戦争を天災に似た不可避の運命と信ぜず、ナチ占領下も不屈の抵抗運動を続けられたのだが、愛する人々との別れにも、「さようなら」としかいえぬ哀れな日本民族は、軍閥の独裁革命に対し、なんの抵抗もなし得なかった。


    (中略)
     

    前述の岡田という初年兵。彼の父は京都の美術商で、ニュウヨウクにも支店があり、彼は独りだけの男の子として愛せられ、父に連れられアメリカに遊びにいった思い出もあり、京大のラグビイ選手として抜群の体力や明晢な頭脳にも恵まれていたのが、前線の惨忍な厳しい雰囲気になじめず、見ている間に痩せおとろえ精神まで異常に衰弱していった。ぼくは終始、自分の後輩のような親愛感で行軍の時も岡田と並んで歩き、学生時代の楽しい追憶を、ヤキモチ焼きの髭ッ面の分隊長から、「煩さいぞッ」と呶鳴られるほど声高に語り止めなかったのが、段々、人を殺したり殺されたりの血腥ぐさい禁欲耐忍の日々が続く中、岡田がぼくに返事さえ云い渋るほど無口になってゆくのに気づいた。
    そんな岡田はある朝、前の野営地に自分の飯盒をおき忘れ、分隊長に両ビンタを食い、その昼、みんなの食事をぼんやり眺めさせられるような刑罰を受けた。翌朝、岡田はまた防毒面に雑嚢をなくしているのを分隊長に発見され、銃床で思いっきり尻ぺたをこづかれ、六尺豊かの大男が鼠のようにキュウキュウ泣いていた。二十貫近くの肉体が見る間に骨と皮だけになり、張切っていた特号の軍服もダブダブボロボロ、紅顔豊頬、みずみずしかった切長の黒瞳も、毛を毟られたシャモみたいな肌になり顴骨がとびだし、乾いた瞳に絶えず脅えた表情がよみとられた。ぼくは自分自身さえ昼夜を分たぬ戦闘行軍に、食欲と睡眠の快楽だけに支えられ、やっと生きている時だったから、そのような岡田の急激な衰弱振りに同情するよりも、動物的な優越感や軽蔑、憎悪の本能感情が強かった。次の朝、更に岡田は故意でもあるかのように鉄兜と巻脚絆をどこかに棄てていた。
    髭ッ面の分隊長は、「気合いを入れてやる」とそんな瞳の吊上った岡田を素裸にし、古参上等兵とふたりで、掌や足の甲、両肩、下ッ腹を紫色に腫れ上るほど革バンドで叩き撲ってから、近くの冷たい泥沼に追いこんだ。今は歯だけが馬みたいに大きく白い岡田が、紫色の歯茎をむきだし、全身を震わせ、それでも金玉だけ大切そうに両手で押え「御免なさい。許して下さい」と喚きながら厭々、水に両肩を沈めるのを、ぼくたち兵隊は弱者への憎悪から反って面白がって見物していたのだ。岡田はその日の行軍の途中、いつの間にか帯革ごと剣や弾盒も棄て、兵隊の魂、陛下の銃と事毎に強調される小銃さえなくしていた。そんな岡田が分隊の最後尾をよろめき、辛うじて歩いている様子は、兵隊というより完全な乞食みたいにみえ、更に狐憑きじみたその顔の表情は誰がみても狂人、被害妄想的抑鬱症患者としか思えなかった。岡田は片端から兵器を棄てることで全身で戦争を拒絶したのであろう。理由なく放火殺人傷害強盗強姦を行なう戦争こそ、常人の神経に堪えられぬ狂的行動であり、それを拒否して気の狂った岡田とそれに堪え或いはそれを喜び、それを拒絶した岡田に惨忍なリンチを加える分隊長たち、更にそれを面白がって眺めていくぼくたちの中、誰が真の狂気であろうか。ぼくは戦争という狂気に堪えられなかった岡田の神経に、今ではむしろ健康なものを感じるのだ。
    処で自分の功績だけを気にする分隊長は、岡田が剣も銃も棄て、乞食みたいな格好でヒョロヒョロと歩いているのをみると、そんな兵隊を上官にみられたら、叱りつけられた上、点数も薄くなると、カッと上気した様子で、忽まち走り戻り、銃を逆手に持ち直し、「このド阿呆が。くたばれッ」と岡田の左耳から頬にかけ、力一杯、横なぐりした。岡田は口と鼻を血だらけにし、キリキリ舞いで、道路の真中の泥濘に大の字に倒れた。「お母さん、さようなら」岡田は虫の鳴くようにそう呟き、そのままピクリとも動かなくなる。赤紫に膨脹した左耳に毒々しい銀蠅が群がってたかりだした。ぼくたちはそのまま岡田の死体を見棄て、行軍を続ける。その時、ぼくたちは後衛中隊の最後尾の分隊だったから、岡田の死体は中国人たちが埋めてくれぬ限り、道端で腐り、野良犬や鴉、蛆などに食われていったことであろう。ぼくは暫く行ってから振返り、岡田の死体が仰向けに倒れているのを確かめ、心の中で岡田の霊にあっさり、「さようなら」をいった。



    しかし、この『さようなら』という作品は、あまりにも「さようなら」が多すぎて、話題が多岐に渡っている。あまりにも「さようなら」の多い時代に生きたためであろう。私は、この現在でも、肉親と数少ない友人との「さようなら」にさえ、こんなにも疲労困憊してしまう。だから、いくら今が正常な私だとしても、先の戦争に生きていたとしたら、これほどマトモなままでいられたかどうか、とてもじゃないが自信がない。

    追伸
    全文が読みたい人は、青空文庫にもあるので、是非、一読してみてください。
    青空文庫 田中英光『さようなら』

    Category : 読書・映画
    Posted by 椰子金 on  | 0 comments  0 trackback
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