マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    鯨子物語

    ある日、牟礼鯨は結婚し、じきに女の子が産まれる。
    名は、鯨の子だから、鯨子。
    かわいい、かわいい、女の子。
    鯨子は、何不自由なく、すこやかに育った。
    十数年後。
    読書好きの鯨子は、もう高校生。
    文芸部に入部した、鯨子。
    そんな、ある日。
    東京郊外の閑静な住宅街のリビング。
    夕食後、二人は、座っていた。
    鯨子は、無垢なまなざしで、父・鯨に、こう言った。
    「ねえねえ、パパ!わたし、今度、文学フリマに出ることにしたの!パパも昔出たことあるって言ってたよね?」
    父・鯨は、古傷を触られたように、「ああ」と小さく頷いた。
    「なによ、パパ!うれしくないの!パパも絶対来てよね!あれならブースに座っていいからね」
    得意満面、うれしい、うれしい、鯨子。
    そんな鯨子とは対照的に、父・鯨は、渋い顔。
    おもむろに立ち上がり、冷蔵庫から梅酒を取り出した。
    冷蔵庫の扉を閉める音がいつもより激しい父・鯨。
    鯨子は、普段とは違う父の急激な変化に驚きを隠せない。
    「どうしたの、パパ?一体、どうしたっていうの?」
    父である鯨は、梅酒を一気に飲み干し、深いため息をついた。
    それから、意を決したように、こう言った。
    「すまん、行けないんだよ。というか、入れないんだ。だって、パパ、まだ入場禁止だから……」
    突如、幸福であった家庭に、暗雲が立ち込める。
    「えっ、パパ、まだストーカーなの……」
    「いや、それはさすがに……でもまだなんだよ……」
    鯨子の目からは止めどなく涙が溢れ出す。
    鯨子は、文フリに出ることもやめ、文芸部もやめた。
    そして、いつからか、メンヘラとなって、町をさ迷いはじめるのだった。


    つづく。

    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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