憑依作家としてー石原慎太郎『天才』を読んでー

    新しい本屋のカタチというコンセプトで、6月10日にリニューアルオープンした、蔦屋書店に行った。
    どうせそうは言っても、と高をくくって入ってみたが、想像以上の空間作りに驚いた。
    ちょっと覗くつもりが、思わず長居してしまった。
    この書店を知れば、もう他のただ本が並べてあるだけの書店には入れないだろう。
    また、このような書店があるのなら、コンセプトも希薄な文芸即売会など、何の意味もなくなるだろう。
    1階のフロアにベストセラー本が平積みされてあり、幻冬舎から出た石原慎太郎『天才』を発見した。
    どうせ石原慎太郎が田中角栄の回想録でも書いたのだろう、と思っていた。
    だが、中を覗いて、驚いた。
    石原慎太郎が田中角栄になりすまし「俺」という一人称で自伝風に書いている小説だった。
    つまりは石原慎太郎に田中角栄が憑依し書いているのだ。
    小説家というのは大体が憑依体質で、その人のことを考えていると不意に魂がのりうつることがよくある。
    その魂が私の中で私に向かって話しかけてくるのだ。
    この他者の魂の声をそのまま記述するしないは作家それぞれだろうが、私はよくこの手法を用いる。
    だが、私の場合、大概、怒られる。
    なぜかというと、まだ生きている人間の生霊を宿すからだ。
    逆に言えば生きているのだから、生霊の仕業とはいえ、反論はできるのだ。
    怒る怒らないは相手次第だが、どちらにしろ、言語表現として健全だ。
    しかし、田中角栄は死んでいる。
    死んだ人間になりすますのは、相手が反論できない分、悪質ではないか。
    何よりも、一番憤りを感じたことは、石原慎太郎であれば許されて、それだけでなくベストセラーかつ賞賛までされる。
    バカを騙すように本を売る職業作家や商業出版社は大金を手に入れながら糾弾されることもなく、糾弾されるのは決まって私のような真摯で実直でほぼ無料奉仕の個人作家だ。
    石原慎太郎や大手商業出版社がこういうことを正論を吐きながら堂々とやるのなら、憑依作家として、私も負けていられない。



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