マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    天草周遊記2-天草四郎メモリアルホールー

    現在、天草というと、何を思い浮かべるだろう。
    今時ならば、新鮮な海の幸をふんだんに使用した海鮮料理や、水族館や海水浴、はたまたB級グルメで有名なビックリ焼きなのかもしれない。
    だが、前回書いたように、私にとって、天草といえば、天草四郎だ。
    そうそう、天草四郎といえば、ヨイトマケの美輪明宏氏が天草四郎の生まれ変わりだと言っているが、実は、私も、10代半ばまで、そう思っていた時期があった。
    ただ、その後、生きていく内に、人間観への紆余曲折があり、前世の件については美輪氏に譲った。
    現在での私の輪廻転生への見解は、生まれ変わりというよりは宇宙塵の結合方向で考えている。
    それでも一時期でも同一化していた天草四郎の土地に、今、ようやく、こうして、たどり着いたのだ。
    道の駅宇土から一本道、天草方面にバイクを走らせると、上天草市大矢野町に入る。
    左手に天草四郎メモリアルホール、右手に道の駅・上天草物産館「さんぱーる」があった。
    無論、私が、まずはじめに訪れた場所は、天草四郎メモリアルホールだった。

    天草四郎メモリアルホール

    館内に入ると、綺麗な女性二人が出迎えてくれた。
    入場料は、600円だ。
    当時を再現したジオラマなどがあった。
    館内は撮影禁止と書かれていたが、ほぼ同時に入った両親と息子一人という核家族は、一眼レフの高級そうなカメラを首から提げたカメラ小僧息子がパシパシ撮っており、両親は何も注意しないどころか、一緒になって喜んでいた。
    こういう子どもには、そもそも天草四郎への愛はもとより興味も何も微塵もないだろう。
    一体、こやつは何しに来たのだろうか。
    同じ年頃の天草四郎は首から十字架を提げ命を賭して戦ったのに、この少年は何のつもりか一丁前に首から一眼レフをぶら下げている。
    これが時代というものだろうか。
    そんなことを思いながら、順路に沿って拝観していった。
    途中、大きなスクリーンがあった。
    映画コーナーらしいが、誰も居らず、何もやっていなかった。
    特に観るつもりもなかったから、次の展示物を観ながら、そのままゴールに向かって歩いていた。
    すると、職員らしき中年男性が血相を変え走って追いかけてきた。
    「今から映画を上映するので是非観て下さい!」
    切迫した表情と声音であった。
    私は、思わず、促されるまま、案内された椅子に座った。
    「では、はじまります」
    それから、『我が心の天草四郎』という15分ほどの映画を観た。
    乱の後、熊本藩士が在りし日の天草四郎を想い浮かべながら資料をまとめる、という筋書きだった。
    最後のテロップでわかったが、この大矢野町が自らで製作していた。
    最後まで観終わり、とにかく観て欲しい、という男性職員の気持ちがよくわかった。
    館内全体を貫く、天草四郎への愛が表現されている良い映画だった。
    その後、次の展示を観てまわった。
    興味をひいたのは、フランス革命と天草・島原の乱の対比であった。
    余りに唐突すぎて、一瞬、度肝を抜かした。
    フランス革命に先駆けること150年も前に、天草と島原の農民は自由と平等を掲げ戦った、という主旨だった。
    天草愛が強いのはわかるが、この世界史を引っくり返すような主張は、いくらなんでも言いすぎではないか。
    さらに、その次にあったのは、新聞の切り抜き記事で、1991年大矢野町長はローマ法王ヨハネ・パウロ2世に会い、「天草四郎率いる天草・島原の乱は、殉教とヒューマニズム、デモクラシーが混然一体となった戦いだった」との書状を贈った、というニュース記事が飾られていた。
    この施設だけならまだしも、欧州の人間にまで、この自説を訴えたのか。
    島原の乱は、キリスト教においては殉教とも認められていない。
    そもそも自由や平等などという概念は西洋のものだろう。
    我々日本なんぞは鼻から天皇以外のその他大勢の下々の者は自由であり平等ではないか。
    それにしても、この展示だけでは、どういう根拠で、ただの百姓一揆の発展を、自由と平等を掲げた闘いだと言いのけるのかはわからなかったから、私は戸惑うばかりだった。
    だが、そう言うには、それだけの根拠があることを後日知る事になる。
    最後に、最上階にある瞑想ルームに入った。
    暗い部屋に、奇妙な配列にクッションが並べられ、微量な光のイルミネーションを施してあった。
    行政がやる施設としては考えられない異様な雰囲気が漂っており、一種のトランス状態に陥るような空間だった。
    奇妙なクッションに座り瞑想をしていると、不意に、時空を超え、天草四郎や当時の天草の民衆が眼前に立ち現れた。
    「ああ、そういうことだったか」
    この瞑想ルームに最後訪れることに、この施設の真意があるようだった。
    私は、これ以上に無いほどの高揚感と虚脱感で、ふらふらになりながら、階段を降り、館内を後にした。
    結論を言うと、天草四郎メモリアルホールは、ただの観光施設ではなく、良い意味での一種のカルト宗教施設のようだった。
    こういえばわかるだろうか。
    およそ400年前、天草四郎を通し人々が思い描いた理想をそのまま伝えている施設なのだ。
    天草四郎はもちろんのこと、それ以上に命を懸けて戦ったこの地の先人たちを、心から尊敬し、今も敬っている気持ち(もはや気迫である)が恐ろしく伝わってきた。
    その心を隠すことも無く訴えかけてくる。
    そんな地元の人々の狂信的かつ真摯な態度に、私は、心を打たれたのであった。

    参照サイト:天草四郎メモリアルホール




    つづく。

    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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