マイペース・マイワールド

    金持ち喧嘩せず

    おパチンコについて

    超能力者はいるのかいないのか。
    清田くんはエスパーなのか何なのか。
    最近1人自室でスプーン曲げをやっている。
    手を使わずに念力だけで曲げようと30分ほど力んでいるがうまくいかない。
    メンタリストDaigoのように力学的な知識と技術を覚えればできるのだろうがそれでは意味がない。
    このままでは一生かかっても曲がらないかもしれない。
    もしかすると明日ポキっと折れるかもしれない。
    それはそうと、パチンコをパチンコと呼び捨てで呼ぶから、パチンコを蔑み自分すら蔑んでしまうのである。
    パチンコ依存症の人も、迷惑を蒙っているその家族も、そうでない方も、騙されたと思って、これからは頭に「御」をつけて、「おパチンコ」と丁寧に呼んだ方がいいのである。
    言葉一つで現実は変わるのである。
    ちなみにパワースポットという和製英語を作ったのは、エスパー清田くんなのである。
    さて、その、おパチンコだが、おパチンコに行く人のほとんどは金を稼ぎに行っていないのである。
    私もその1人であるが、勝ちに行ったつもりが深層心理では、負けに行っていることが多々あることに気づいたのである。
    よくおパチンコ依存症の知人が悔しそうな素振りで、しかし、どこか楽しげな表情で、こんなことを言ってくる。
    「ケツの毛まで抜かれたよ」
    おパチンコは止め時により勝とうと思えば誰でも勝てるのにである。
    だから私が返す言葉は、当然こうなる。
    「そうか、負けに行ったんだな」
    それでも大体のおパチンコ依存症の知人は、ピンとこないらしく、私の言葉にキョトンとする。
    当人たちは気づいていないのだろう。
    全ての依存症に共通しているのは、勝つか負けるか、成功しているか失敗しているかだけではない。
    病識があるかないかが最大の分岐点なのである。
    勝とうと思えば勝てるものを負けるのだから、負けに行っていることを知れば、もう依存症ではなくなるのである。
    おパチンコに行く理由について、色々な人が、色々言うが、どれも間違っている。
    本当のところは無になりたいだけなのである。
    おパチンコ玉を見つめ無心になり、財布からなけなしの金が消えていくことで無一文になり、日常では味わえないそのような無の境地からおぼろげな有が湧き上がり、心の底に沈んでいた思考が眼前に現れるのである。
    ああ、人生って、何もないんだな。
    向上心やら安定性やら社会性やら全て吹き飛ばし、何もないという核心だけを持ち、とぼとぼ家路へと歩いていく。
    帰り着くと、藪から棒に、ヤケ酒やらヤケ自慰やらをし、さらに核心を深めるのである。
    そうして、最後、布団に入り、眠りにつく寸前に、こう思うのだ。
    それでも、生きよう。金はなくなっても、まだ命はある。
    だからしておパチンコ依存症対策はいつも見当違いなのである。
    誰だって負けたい時がある。
    無一文になりたい時がある。
    無から有を作り出したいのは、超能力者や芸術家だけではない、一般市民だって同じなのである。
    私たちは、金の為に生きてはいない、ただ生まれたから生きているのであるからして、このように、おパチンコによって、自己を超越するという行為を、一生涯繰返すのである。
    だから、おパチンコは、これから先も、存在し続けるのである。





    Category : 投資家への道
    Posted by 椰子金 on  | 0 comments  0 trackback

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