マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    遠藤周作文学館を訪ねて

    長崎にある遠藤周作文学館に行ってきた。
    ちょうど最近まで『泥の河』を読んでいたこともあった。
    文学館は海沿いにあった。
    眺めが良かった。
    平日だったが来場者はぼちぼちいた。
    『沈黙』が谷崎潤一郎賞を受賞した際の選考委員であった三島由紀夫さんの選評が印象に残った。
    文学は問いである。
    答えはいらない。
    問いに、作者が答えたら。
    もう文学作品ではなくなる。
    三島さんは上記のような苦言を呈していた。
    それでも遠藤さんの問い詰めることへの情熱に敬意を表した、とのことだ。
    この時、最後まで『沈黙』と競り合ったのは野坂昭如さんの『エロ事師たち』であったとのことだ。
    三島さんはこのことにも触れている。
    もしエロ事師たちが受賞すればそれはそれでどうかと思うが、それでもこのような反社会的で不健全なものが最後まで文学賞の候補作として残ったことは、文学がまだ健全である、ということだろう。
    そういう主旨だった。
    現代は、健全であるが故に、不健全な人間たちで溢れている。
    文学の役割とは何だったのだろう。
    人間を排除し国家論理により洗脳じみた健全化を強いていく施政へのブレーキである。
    制度や道具に引きずられ自己を見失いがちな人間への視点の切り替え異端の価値観の提示である。
    そのようにして人間を人間たらしめるバランスをギリギリのところで保つ役割だった。
    しかし、文学は、この時くらいで、終わったのだろう。
    だから、三島さんは、死んでしまったのである。
    帰りは、佐世保まで行き、戦争の爪あとを見ながら、商店街を歩いた。
    現代とも、現代文学とも、相容れない。
    一種の侘しさを感じずにはいられない。




    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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