マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    小柳日向との会合 その5 -横道世之介ー

    外に出てバス停前の大洋映画劇場の建物内に入る。
    「4階まで階段でいきましょうか」
    小柳日向が小悪魔的微笑で意地悪く言う。
    さすがにもう疲れていた。
    「いや、文明の利器を使おう」
    急いでエレベーターに乗り込んだ。
    4階では、ジェームス・ディーンとオードリー・ヘップバーンが椅子に座って迎えてくれた。
    受付と売店を兼ねた中に、おじさんが一人いる。
    チケットを渡す。
    「16時からだから、あと1時間くらいあるね」
    4つのスクリーンがあり、ベンチが数個ある。
    小柳日向はその一つに座った。
    おれはひとまず煙草だ。
    「喫煙所はどこ?」
    受付のおじさんに聞くと、
    「チャップリンのとこだよ」
    と教えてくれた。
    チャップリンと握手するようにドアを開けると、階段の踊り場に、灰皿がぽつんと置かれていた。
    既に先客がいて、窓の外を眺めながら一服していた。
    絵描きのような雰囲気の、中年だが、長髪で、この映画館の常連のような人だった。
    横で煙草を吸って、街並みを眺めていたら、もう1人、今度は定年退職したばかりといった、まだサラリーマン臭さが匂うおじさんもやってきた。
    3人で煙草を吹かしながら、窓外の街並みを眺める。
    今の時代に、この映画館にきて煙草を吸っているという、ただそれだけの仲間意識が一瞬にして芽生える。
    しばらくして絵描きが会釈をして喫煙所を後にする。
    続いておれも定年に会釈をして小柳日向の座るベンチに向かった。

    小柳日向は文庫本を読んでいた。
    今時の映画館には無い、静かなロビーなので、まるで図書館の一室のような空間になっていて、読書がよく似合う。
    小柳日向が普段どんな本を読んでいるのか気になって横から覗き込む。
    「これは友だちから借りた小説です。ラノベなので、あまり面白くないと思います。友だちがこの人のこのシリーズを3冊も貸してくれたんです」
    「ちょっと貸して」
    そう言って、おれはその文庫本をぱらぱらとめくった。
    「これはひどいな。まず冒頭の

    とても暑い七月の昼のことだった。

    っていうところから、もうこの本は読む気がしないな。あと会話に「……」が多くて、「……」で行を稼いでるし。「……」なくしたら半分くらいの厚みになるじゃないか。しかもこの内面を描くときに、わざわざ改行して、-線で表すのも、なんかひどいな」
    「ちょっと馬鹿にされている気がしますね」
    それから小説談義と映画談義と芸術談義をしていたら、16時になり、4番スクリーンに案内された。
    客は10人くらいいただろうか。
    「いよいよ横道なんとかがはじまりますね。横道なんでしたっけ?」
    横道世之介!」

    16時からはじまり、エンドロールが終わるまで見ていた。
    普段はエンドロールを最後まで見ないのだが、今回は何も情報がなく観て、とてもよかったので、誰が作ったのか気になった。
    原作が吉田修一で、監督・脚本が沖田修一、主演が、高良健吾と吉高由里子だった。
    何がいいのか、あまり言いたくないという種類の、面白さだった。
    「思いのほか面白かった。よのすけ!って言うだけで笑えた」
    「ほんと、面白かったですね!よのすけ!」
    観ている時は気付かなかったが、外に出て、時計を見ると19時になっていた。
    「3時間もあったのか」
    おれが驚くと、小柳日向は余裕の表情で、
    「わたし途中からこの映画は長くなるなって気付きましたよ」
    と言った。

    中洲から自然と博多駅にむかって帰っていく。
    まだ終電には時間がある。
    せっかく二十歳になり酒も飲めるようになったことだし、もう1つ今回『何故?』の仕事としてやりたいことがあった。
    「どっか飲みに行こうか」
    「若い娘を遅くまで連れまわしたらJASONさんに怒られますよ」
    「もう少女じゃなく大人なんだから」
    「そうですね。では、ちょっとだけ」




    つづく。








    Category : 何故?記
    Posted by 森井聖大 on  | 13 comments  0 trackback

    13 Comments

    JASON says...""
    馬鹿者めが!!
    嫁入り前の娘に夜遊びを教える等不届き千万、叩き斬ってくれようぞ!!
    2013.03.21 02:25 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."JASONさんへ"
    JASONさん

    しかしこの罪は未遂です。JASON裁判でも執行猶予付きの懲役6ヶ月程度の罪です。彼女の芯の強さには恐れ入った。教えることは何もなく教わるばかりの1日でした。
    2013.03.21 10:53 | URL | #- [edit]
    JASON says...""
    貴方は彼女を強いと見るか。
    私にはそうは見えませんでしたが。
    私は必死に強く在ろうとして、しなやかさを失い。
    脆く危うい、と。見受けました。
    そして彼女自身がそんな自分を受け入れられずにいる。
    そんな気がしてなりません。
    2013.03.23 00:16 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."JASONさんへ"
    JASONさんへ

    その危うさには年齢的な側面もあるかと思いますが、芯は強いし、自我があるので、大丈夫ですよ。
    弱さとは誰にでもあるし、脆いといわれたら、僕もJASONさんだって、同じなんです。
    むしろ僕やJASONさんの方が急に明日自殺する可能性は高いと思います。
    彼にはそういう命の危うさは今のところ全くないと思います。
    このまま芸術の道をまっすぐ行けば大丈夫です。
    だから僕は「なるべく就職せずに芸術の仲間がいる中にいれるだけいろ」と言いました。
    ずっと学生でもいいんです。
    あるいは理解ある人と結婚して家に入って主婦でもいいんです。
    会社勤めだけしないように生きていけばいいんです。
    若いときを振り返れば強くあろうとするのは当然ですし、それは特別じゃない。
    このまま進めばきっと素晴らしい芸術家になります。
    あとは環境ですが、僕はこうもいいました。
    「なるべくストレスの無い環境に自分の身を置くこと」
    具体的には上の言葉と同じ意味です。
    彼が目指すのは、小説家になるなり画家になるなり、生活できる基盤を、学生時代に築き上げることです。
    社会生活=就職ではなく、芸術家として社会生活する道だけを考えて欲しいと思っています。
    そういうことを僕は延々と伝えていきたいと思います。
    これは余談ですが、はじめて天性の芸術家っているんだなと知りました。
    そういう人です。
    2013.03.23 00:59 | URL | #- [edit]
    JASON says...""
    命の危うさではなく、精神の危うさです。
    その元になりうるのが芯の強さと自我と完璧主義。
    気楽に的当に出来る小倉くんみたいな人間なら放っときます。
    2013.03.23 23:41 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."Re: タイトルなし"
    何ででしょうか。
    そうなんですが、何故か、彼女なら大丈夫って思えるんですよね。

    小倉くんが出てきましたか。
    小倉くんのことは…もう…。
    いつか酒を飲みながらでも穏やかに当たり前の話ができる日が来たらいいですね…。
    5年後くらいかな。


    2013.03.24 00:34 | URL | #- [edit]
    JASON says...""
    確かに、大丈夫だと思いますが、何故だか同じ位底知れぬ不安も感じます。
    all or nothing
    そんな感じがします。
    2013.03.25 18:24 | URL | #- [edit]
    小倉 says...""
    僕なんかは父親が昔から芸術家の仲間の世界におったもんで僕は子供の時から画廊で、森井氏が小柳氏に勧めるような世界に触れてきました。パトロンを作れ、大学に行くな、食いぶちだけは自分で稼げ、作り続けることが一番すごいと言われて育ちました。そうして、就職して社会に出て普通の暮らしになれば創作欲を失い、いわゆる普通の凡人を見下す家庭に育ち、僕は反発した。

    普通の凡人とは実在するのか? 汚い芸術家根性を捨て、綺麗な芸術家根性を育まねばならない。と僕は考えた。

    森井さんの考える芸術家の育て方は、うちの父親に似てる。旧時代の普通で、森井さんもそれについて、自分の心で考えていない。誰かしらを崇拝して、芸術家教みたいな、社会人を迫害したいみたいな、偏りがある。

    世間とは個人だ。

    太宰治を好きなのに、太宰治の一番、嫌悪したサロンに、何故? をすら落とすのか。森井氏が何故?における志賀直哉みたくなりはせんかとJASON氏も不安なのではなかろうか。何が小僧の神様だ。お前にはそんなにも罪がないか。罪があるのは常に他人とでも?

    芸術家になぞなるな。普通に暮らせ。それでこそ、役割分担として、当たり前に文章を書けるはずだ。僕は苦しんでる。芸術家もどきに救われる類いの上っ面の希望を持っていない。思いつきはどうでもいい。歴史の諦めに根差す絶対的本物になりなさい。
    2013.03.26 20:32 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."小倉くんへ"
    全く見当違いなコメントだと思います。
    僕は芸術を志す全人類がそうあるべきというのではなく、こと小柳日向のことだけを思って言ったんです。というのも、彼女の個性を考えてです。
    小倉くんには他の人同様前々から世間を知る、バーに行くのもそうですし、農業でも何でも、それが小説家として大事だと言ってきたと思います。
    僕は、前々から思っていたことがあり、それが今回のコメントではっきりしました。
    小倉くんは、僕のコメントにおける、画家である『小倉くんの父親』との相似点だけ抜き出しました。
    何故かはわかります。
    多分そこが小倉くんの琴線に触れたのだと思います。
    僕が前々から思っていたことは、つまりその部分です。
    小倉くんと、芸術家である父親、との相克です。
    凡人が嫌なのは君自身ではないですか?
    僕がまったく言っていない、多分お父さんも言っていないであろう、凡人であるとか、普通の人という言葉に敏感に反応する小倉くんのコメントをみても、はっきりしています。
    今回の『衝動号』の作品の締めも同じでしたよね。
    いつか言おうと思ってましたが、『泥、土』を連載するにあたって、そのなかに父親への気持ち、父親と自分とのこと、あるいは父親そのものと向き合って、そろそろ書くべきなんじゃないかと思います。
    多分それを書かなければ、小倉くんは、そのままです。
    その根底に向き合って、書き上げてこそ、新しい小倉風太が生まれるんじゃないでしょうか。
    太宰治の遺書で、子どもにあてた言葉わかりますよね?
    「子どもが凡人でも許してください」
    それに小倉くんは太宰の『如是我聞』は読んでも、多分志賀直哉の『小僧の神様』を読んでいないのではないでしょうか。
    志賀直哉は生活者としての私小説作家であって、太宰治の方が芸術至上主義者ですよ。
    太宰治は志賀直哉を敬愛していたのです。
    それはともかく、コメントが支離滅裂なのは自分をまだわかっていないからです。
    父親のことを書いたほうがいいと僕は思います。
    気を悪くしたら申し訳ないですが、あえてこの際だから言いました。
    これは友人としての本音の意見です。

    2013.03.26 23:39 | URL | #- [edit]
    JASON says..."小倉くんに一言"
    私が心配しているのは、彼女が普通の女の子になってしまう事です。
    そして、其はもう始まっているようです。
    彼女は一瞬の煌めきで終わりそうです。
    2013.03.27 00:09 | URL | #- [edit]
    小倉 says...""
    自分のことはひとまずさておき、りゅうちゃんに、本物を目指したいね。という僕なりの後輩へのメッセージがあります。文学フリマについても、僕は正直になるのはりゅうちゃんのためにでもあります。あの空気に染まりきって欲しくない。小柳氏なら大丈夫だと僕も思っています。本物になる意志を持ち続ければ、極端に言えば、たとえ作品を作らなくても大丈夫。でも、あえて作品を作るぐらいなのでもいい。とにかく小柳氏は一瞬の煌めきで終わってはもちろんいけません! 同志よ気長に激しく育ち続けよう。
    2013.03.27 07:15 | URL | #- [edit]
    小倉 says...""
    次いで自分のことを。うちの父親は芸術家のようですが、昼間は職場で仕事してます。若い頃はかなり経済もきつかったようです。今も裕福には程遠い暮らしですが、僕としては、やっぱりこの人は絵描きやなあと思える殺気の持ち主です。僕は『芸術家である父親と普通との息子の相克』みたいな単純な発想は、失礼な表現ですが、なんか腐っとると思います。そうではなくて、芸術家の世界みたいなものが何かしら素晴らしいものみたいに感じているなら、そんなままでは駄目だと思う、古いものは作れても、いつまでも古い文学や芸術やの茅の下にいるままになるから嫌だ、という意識が僕にはあります。そんなら新しいものは、僕は今は機が熟すのに任せている。

    とにかく、古いものが新しい芽を育むのにも、色々な価値観がなくてはいけない。「『何故?』の内部は一枚看板ではなく、森井氏と考え方が違う者も、もちろんいるのだ。とりあえずここにはいるのだ。けれど『何故?』がある限りは何故?の味方をするのだ。だから、あくまで自分なりにでよろし」という、何故?は組織とは違いますよということを、こうして仮にも公に確認することは、重要なので時々コメント入れる部分もあります。文学フリマが嫌いな人でも『何故?』に作品を出せますよ、という。いらないお世話ならば、森井氏、流石だと僕は思えます。意外にめんどくさくなってきそうな社会的立場みたいな、くだらない話です。

    小僧の神様は読んでません。太宰治を信用すれば、老人が善意で小僧に食べ物をあげた。小僧は老人を神様と思った。みたいな話らしい。老人の罪に無頓着らしい志賀直哉に対して、あんな根性だから同時代の作家連中にオベッか言われて馬鹿みたいに、時を得顔をしていられるらしい、北朝鮮よりフランスのほうがなんか好きみたいな『箔』に染まりきっている感じ、『箔』の幻想に染まりきっているらしい、本質を真面目に考えることを辞めたらしい。この見破りが新しい芽を育むとは、ソクラテスの時代からの共通点なので、志賀直哉はゲーテみたいなものかなあ、嫌いやなあと思っとりましたが、我慢して、次に会う時までにはきっと読んでおきます。
    2013.03.27 19:26 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."Re: タイトルなし"
    小倉くんへ

    良いコメントです。
    まさに父と息子の相克は出来すぎた作り話ですね。
    ありがとうございます。
    『何故?』はいわばまさに小倉くんの言うとおりのものです。
    坂口安吾の言葉も何度も書いているけど。
    「各人が各々の独自で個性的な生活を目指すのでなくて、一体何が人生の目的なのか」
    これに尽きます。
    で、自分自身を含め、もっとそれぞれの独自で個性的な生活を突き進んでほしいということで、それにより、つまりバラバラの確固とした個の集積として『何故?』は意味あるものになるのではないかと思っているので、世間だとか凡人とか平凡とか普通とかではなく、芸術家もいてもいい、風俗嬢も、元傭兵も、あるいはニートでも何でもいいのですが、さらに加速度を増してどうであってもオリジナリティを取得していって欲しいのです。
    小倉くんの場合は、太宰や芥川や尾崎やZARDを一回否定して、覆いかぶさったものを一度全部脱いで、「小倉風太」という「個」で、それはあまりに惨めで頼りないものであっても、考えるべきだという意見です。
    文学フリマなんてのはそんな大層なものではなく、ツールですからね、他にないから、みんなわかってやってるんです。
    ただ今は真面目にそれをやる時期であるというのは方向性と時代認識の差でしょうか。
    ひとまず一度文学フリマに来てくれたら、「小倉風太と一問一答」という企画でもやりましょう。
    文学フリマには優れた書き手がいます。あるいは来場者でも真摯な方はたくさんいます。
    そういう人たちと正々堂々と向き合って欲しいと思います。
    志賀直哉もそうですが、イメージだけで、相手の話を聞かない、対話をしないのは、悪い癖です。
    そうは言いながら、今日は素直で良いコメントありがとうございました。
    想像するに、昨日は酒を飲んだ後、今日は素面でといったところでしょうか。
    2013.03.27 23:36 | URL | #- [edit]

    Leave a reply






    管理者にだけ表示を許可する

    Trackbacks

    trackbackURL:http://saydie.jp/tb.php/662-af7a98bd
    該当の記事は見つかりませんでした。