マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    真夜中のラジオ(『何故?第二章 零号ー衝動』印刷開始)

    3月15日に表紙を受け取ってから、ここ数日、ほぼ毎日、仕事終わりや仕事前に『何故?第二章 零号ー衝動』の印刷をやっている。
    それでも現在、20部程度しかできていない。
    この『衝動号』はとても良い本なので、広く、なるだけ多くの人に読んでもらいたいのだが、なかなか難しい側面もある。
    色々考えたところで、最後は、できることしかできない。
    それでも、ずっと同じことをやっているから、最近できることの範囲が少し広がった気もするが、それでもほんの少しだけだろう。
    毎号読んでいる人からは
    「あまり変わらないね」
    と言われるかもしれないし、
    4年前に読んでから久しぶりに読んだ人は
    「だいぶ変わったね」
    と言われるくらいのものだろうか。
    何故、こんなことに、おれは命を賭けているのだろうとふと思う。
    以前、『何故?』を評して
    「真夜中のラジオみたいで好きです」
    というメールを頂いたことがある。
    その時、
    「なるほど。そういう受け取り方もあるんだなあ」
    とふと思ったが、そのことを、先日、朝のコンビニで不意に思い出した。
    朝のコンビニに入ると、店内では爽やかな声の女性パーソナリティが小鳥のように囀る、朝ならではのラジオを流していた。
    店内を物色している合間、自然とそのラジオに耳を澄ませていたのだが、ラジオからのメッセージが余りにも暗く悲しく、やおら涙が零れそうになったので、急いで缶コーヒーだけ買って外に出た。
    爽やかな朝のラジオからは、子どもからお父さんへのメッセージ、をくりかえし聞かせていた。
    「お父さん、朝早くから、わたしたちの為にお仕事ありがとう。頑張ってね」
    「お父さん、大好き。今日も夜一緒にご飯食べようね」
    ラジオパーソナリティは、この類のメッセージを何通も何通も読みあげる。
    コンビニの、あるいは通勤途中の所謂お父さんたちに、この朝のラジオを聞かせる意図がわかりすぎるほどわかって、嗚咽がこみ上げそうになる。
    戦時中の大本営ラジオと何も変わらない。
    全部、嘘だ
    世の中は聖書や仏教、古事記や日本書紀も含め、様々なフィクションで覆われている。
    おれは、人に犠牲を強いるフィクションは嫌いだ。
    お父さんは毎朝毎朝家から逃げだしたい衝動に駆られている。
    コンビニで缶コーヒーを買いながら、スポーツ新聞を買いながら、
    「ああ、このまま遠くへ逃げたい」
    と思っている。
    老人も政治も社会もそれを知っている。
    だからこそ、そこに聴こえてくるラジオからは、子どもからのメッセージを繰り返し流さないといけない。
    お父さんの心を引きとめようと、洗脳するように何度も告げる。
    「逃げちゃだめ」
    もっとわかりやすく言うと、こういうことだ。
    「社会を成り立たせる為に、お年寄りの年金の為に、子どもの為にも働かないといけないのよ。それがお父さんの幸せなのよ。お父さん犠牲になってね」
    おれが朝のラジオのパーソナリティをやらせてもらうことになったら、毎朝、こんなメッセージを届けたい。
    「今すぐ、逃げろ!」
    保身のために、嘘がまかり通る時代に、それは嘘だと誰かが言わないといけない。
    それが全てではないが、一つの『何故?』をやる動機であり、『文学』の意味だろう。
    おまえの力を恐れて、あいつらは、芸術は感性だ、才能だと嘘ばかり教え、おまえを騙そうとする。
    それを信じたおまえはどこにも存在しない感性や才能という言葉とともに心中する。
    「騙されるな!全部嘘なんだから!」
    真夜中のラジオではなく、朝のラジオでこういうことを言えるようになるまで、頑張りたい。
    誰も犠牲にならず、皆がたった一度の人生を謳歌できるような、新しいフィクションを創り出したい。
    気が遠くなる話の、スタートがまさに『何故?第二章 零号ー衝動ー』なのだ。

    さて、印刷しよう。

    Category : 何故?記
    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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