マイペース・マイワールド

    東南から来たはずだが、いつからか日本人。

    文学フリマの憂鬱

    今度の日曜日が大阪文学フリマということで、毎度の事ながら時の速さにおののいている。毎日製本作業をしているがどうなるか。多分ぎりぎりだ。ぎりぎりの計画でどうにか11日発送に間に合う。
    前日13日の土曜日に大阪入りする予定だ。13日の13時に関空に着く飛行機を予約している。福岡空港から今話題の格安航空会社ピーチでいくことにした。福岡に行くついでに小柳日向にフライト前にお茶でもと誘ったが先ほどのブログに怒っているのかNO!という返事がきた。それは致し方ない。ともかくピーチも楽しみの一つではあるが、ともかく大阪は修学旅行以来20数年ぶりなのだ。通り過ぎたことはあるが大阪の街で夜通し遊ぶのははじめてなので、これもまたかなり楽しみである。前にも書いたが文学フリマそのものももちろん動機だが、それよりもただ単純に何かにつけて遊びたいことが多分9割だ。
    13日はひとまずホテルにチェックインしてからは、徒歩で、飛田新地の昼の顔を覗き、織田作之助の墓参りをし、通天閣に行ってみて、難波で織田作カレーを食べ、20時から西瓜鯨油社主催の『鯨ナイト』に行く予定だ。『鯨ナイト』が何なのかよくわからぬが、一つ言いたいことはこれは多分ほとんどの人がどうでもいいことと思っているだろうし、知らない人も殆どなのだが、しかしおれは小さな綻びが物語を破綻させることを知っているので何故このような『非公式ガイドブック』などというものを作る必要があるのかを問うてみたいと思っている。文学フリマも一つの物語であるとするとこの小さなひびわれが結末をとんでもないものに変える可能性もある。物語でさらにたとえるとどうにか話を進めようといらぬエピソードを差込むと話の流れを散逸させることにもなる。しかしやり方いかんによってはもしかしたらトリックスター的な面白さが出てくるかもしれぬ。ともかく文学フリマについてどう考えているのか一度聞いてみたい。
    前回の文学フリマの際、Iという雑誌の代表Kくんと喫煙所で話していて、その帰りに前述の牟礼鯨氏が酔っ払っているのか赤ら顔でとぼけた笑顔を見せたそのブースの前に『非公式ガイドブック販売中』とあったので、Kくんに
    「きみ、非公式ガイドブックって知ってるか?なんだあれは?」と聞くと、
    Kくんは「ああ、いやしかし、あれをやっている佐藤ってのはいいやつですよ」と言う。
    Kくん自体まったく興味がないのかとぼけた返答をして話をはぐらかされた気がしたので、
    「佐藤がいいやつかどうか聞いてるわけじゃないんだが、佐藤がいいやつなら加藤も斉藤もいいやつだろうな」
    とわけのわからぬ冗談で終わったが、少し気になっていたところだったので丁度いい。
    単純に仲良し倶楽部の集まりに公式非公式問わずガイドブックという名前を冠するのはいかがなものか。公式ガイドブックがあるならアンチテーゼの意味合いもでてくるかもしれぬが元々公式ガイドブックなんてない、あるのはお粗末なカタログだけだ。ならば『非公式カタログ』くらいでちょうどいい。つまり個人でやっている奴らが心もとなく同人誌のように集まってお互い宣伝しあっているというもので、本当にその作品を良いと思っているのかも疑わしい。だが、それならそれでいい。ある程度みなそんなこともわかっているが、もし万が一にもこの先一般の客が増えていくなかで、また文学フリマ以外のタコシェなどでも売っているというのだから、このタイトルにだけ騙されることもあるかもしれぬのだから、やるなら全サークルの本を購入し精読してから『非公式ガイドブック』と言える価値がでてくるのであって、そうでなければこれはタイトル詐欺そのものだ。こういう薄っぺらいことを平然と誰も注意しないからといっってやるというなら誰かが見てみぬふりではなくきちんと真正面から注意してやろうと思ったわけだ。もちろん全否定ではなく、やるなら全サークル、全著作を読んでからにしないと、ということを言いたいだけだ。それが本当だろう。いい加減なことはしたらいけない。文学フリマで頑張っている他のサークルもいい加減なものだと思われるだろ。太宰治の『家庭の幸福は諸悪の根源』ではないが、楽しい一家の外には、その楽しさの犠牲になっている者がいることを、そういう人がでてくることを忘れぬようにして欲しい。じゃないと、「きみらはまるで官僚だな!」と小倉くんが断罪するだろう。
    あともう2.3件文学フリマ関連でいいたいことがある。ツイッターでの宣伝の無意味さとフリマ事務局の宣伝方法だが、これは元を正せば同じ穴のむじなで、親がこうだから子もこうなるという類の単純な図式だが、ともかく内向的すぎる。ツイッターでブース№を連呼するのは本当に愚の骨頂でそれよりも前にまず会場に足を運んでもらうのが先で、自分のブースNoなんてそのずっーと後の話だろう。まず人が来ないとブースもクソもない、ただ雨天決行の遠足を体育館にゴザを敷いてクラスメイトだけでやっている寂しい絵しか浮かばない。まず文学フリマの面白さを伝えることを先にして、というかその存在も知らぬのだから、きっと大阪府のほとんどの人が知らないのだから、ツイッターなどしない、ネットもしない、そういう人はどこでこの文学フリマというイベントを知るのだろう、それがまず先であり、そういうことで昨日か一昨日か忘れたが大阪文学フリマ事務局の人が大阪各所にポスターを貼りましたみたいなツイートかブログかをupしたが、結局4箇所くらいか、努力はわかるがどうして自分ひとりでやろうとするのか、おれもイベントをやったことあるからわかるが事務局スタッフが何人いるのか知らぬが、せっかく参加サークルが300もあるのだから、参加する人に少し頼むというか、ボランティアスタッフというのは参加者は自動的にそういうものになり得るわけだから、ホームページにPDFでチラシなりポスターなりのデータを置いとくなり、セブンイレブンのネットプリントを利用するなり、協力お願いしますと言えば、相当数やる人間がいるだろう。大阪に前日入りする人間も大勢いるのだから、ちょっと寄った店などにポスター貼っていいですかなり聞くこともできるし、話のネタにもなるのだから、願ったり叶ったりだ。
    昨日、バイト先でジャニーズ好きのJKと話していて、「V6は六人で3万人、でも何とかは1人で10万人なのよ、悔しい」ということを言っていて、ああこういうことかと思った。その時、おれ自身が一人でポスター貼りやチラシ配りをした経験があり、いくら地元といっても休日でしかも予定がない日限定だとすると、ほとんど時間がなく全くもってカラダは一つの苦い経験を思い出し、カラダがもし300体あるなら、これは本当に全国に宣伝できる可能性があるわけで、メンバー数300人はいるとすると、一人一人が頑張ればすごい動員数になるわけだ。もし2ヶ月も前から北海道に貼っておいてもいい、飛行機の45日前割などで文学フリマ行こうかって北海道の奴もいるかもしれないわけだ。ポスターなりチラシは1000分の一とも1万分の1ともわからぬがどんな分母でも分子をあげれば数は増えるから、可能性の話だ。ともかくツイッターなどでくだらないブースとか我の宣伝ではなくまず文学フリマ自体の知名度をもっとあげないと明日はない。馬鹿馬鹿しくて最近ツイッターを開く気にもなれないくらいだ。何度か言っているが脳天気な文学なんて誰が行くものか。あとこれは文学フリマとは関係ないが、ツイッターでいうと、メシくって、クソして、寝るというだけのことを毎日延々とツイートしている奴が多いが、そんなのはたとえばアイドルが今日うんこしましたとか、こんなご飯食べましたなら少しは興味もそそられるが、別に正直どうでもいい。あるいは今日は寝るとか眠れなかったとかもどうでもいい。そういう日もあるだろうし365日そういうこと毎日違うのだろうが、違っても違わなくても、しかしどうでもいい。おれがフォローしている人は文学関係の人が多いはずなのだが、メシ食って、クソして、寝るだけの人生を延々と垂れ流す話を誰が読むのか今一度考えてもらいたい。三田誠広や村上春樹ならともかく無名の作家が日常をしかもクソ面白くない日常を語ってどうするんだろう。ということもあり、大阪に行くのは楽しみだが、文学フリマに行くのは憂鬱だ。

    Posted by ポリネシアンハート on  | 8 comments  0 trackback

    8 Comments

    JASON says...""
    熱誠がないだけさ。
    だから文学ではなく文学系小説になる。
    ミンナで楽しくお気楽ブンガク。

    然し、ガイドブックには熱誠が有る筈。
    ガイドブックは手引き書、指南書、案内書だからね。
    2013.04.09 10:15 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says...""
    JASONさんへ

    ええ、実は期待しています。ただいい加減じゃ意味ないなということが言いたかっただけで。「舟を編む」のように真面目にやれば凄い業績になると思います。
    2013.04.10 07:20 | URL | #- [edit]
    小倉(ほろ酔い) says...""
    日曜日、小倉くんは伊勢湾台風以後田植えを早めた三重県で、休みなく過激に田植えをしてますので、泥まみれの作業着に負けないぐらいがんばってきて下さい。(>_<) 非公式ガイドブックは内容如何によると思います。どんな内容で何を言いたい非公式ガイドブックなのかが知りたいところです。文学フリマが滅んでも、文学フリマ非公式ガイドブックが、文学フリマという出来事の本質をさらけ出し、私の心に爪痕を残しましたぐらいな感じの意気込みならいいなあと思います。人を集めるエネルギーは凄い。嫉妬する。小倉ナイトでは人は集まりそうにない、というためらいを捨てやってみたら意外に人が集まった、それからが分岐点で、人を離したくない或いは私は離れたくない路線に走ったら官僚みたいになるのかも。非公式ガイドブックにその路線が濃いならば興味ないです。非公式ガイドブックを批判する人に対し、いや違う、こちらが本質だと毅然と方針を述べる。相互了解と相互不和とが明るみに出てお互い納得できるまで話したくなる。すぐに対話を投げない。の姿勢ならば、非公式ガイドブックには芯があるなと思います。
    2013.04.10 20:16 | URL | #- [edit]
    JASON says...""
    森井さん、最初から完全な物を望のも与えるのも、賢い遣り方とは言えないと思いますよ。
    案内、手引き、指南、と。段階別にした方が良いし、文学フリマ自体が手引き書位しか必要ないレベルだと思います。
    急いては事を仕損じる。時が来る迄続ける事です。熱誠を保ち続けて、後に続く者の為に、喩え自分が捨て石でしかなくとも。
    何時か実れば其れで良いじゃないですか。
    待ちましょう気長に、気が熟すのを。
    文学が行うものであるならば、もがきながらも待てる筈です。
    もがく為の助力なら、微力ながら惜しみません。
    だから焦らず待ちましょう。
    2013.04.10 20:39 | URL | #- [edit]
    小倉(泥酔) says...""
    鬼が憑いてるユニ男は職場で「よくやるね」も言われないぐらいにがむしゃらに動く。それでいて悩んでいる。何に悩んでいるのかユニ男自身にもわからない。言葉がみつからないから強引に『悩んでいる』と伝える他にない。何にも興味がない。性欲にも創作欲にも食欲にも人情にも希望を持てない。死ぬまで夢は叶わないという普遍性の中で、心の底からの暖かさにだけは絶望したくないユニ男は、知り合いが何か文学フリマに出店してると明るさを装った寂し気に電話してきたので、義理で文学フリマに足を運んだ。

    どうしようかな?

    十円で小さな本を叩き売る男に、可哀想に、と憎むに憎めず、悩みばかりを感じた。文学フリマの開会挨拶をしていた男は、朝、奥さんに何を話してきたのかな、朝ご飯は食べたのかしら、そんなに飾らなくてもいいのに。何か話しとるが本音でないから伝わらない気がするよ。『きっと無理だ』と本音を一言、言えば楽になるよ。言えないね。可哀想に。やけ酒やね。

    売らないふりをした『何故?』という雑誌さえ、売りたいのだろうね。此処を過ぎて哀しみの門。市場の辛さ。文学フリマに来てユニ男は哀しみを抱く。こんなにも、現実とはどうにもならないかしら。
    どろどろと中身の浸り落ちるまま救われない割れた卵。何故? ユニ男は立ちすくむ。誰が助ける? 僕にも『何故?』を救えない。この表紙を描いた人も、主宰も、執筆者も。

    突然、声が聞こえた。

    『僕が君と共に僕を救おう。僕は君に会っても』

    ユニ男は思う、僕は君に会っても君を救えない。それをわかる人もあるか。『何故?』を読めば何か変わるか?

    けれども『何故?』はユニ男を変えなかった。何かが足りない気がした。何かが足りないという心だけはわかって欲しかった。僕も何かを変えたいから。けれど『何故?』はあの空間の中で、ぶっちゃけ雑誌名がダントツによかった! 買いなさい。ゴミ拾いの話も読めます。
    2013.04.11 23:07 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."Re: タイトルなし"
    小倉くんへ

    主人公をあまりに世俗離れさせると入りにくいので、もう1人か2人登場人物を増やしてそちらにこの気持ちなり思想なりを代弁させた方がいいのではないかと思いました。
    一度、織田作之助の『俗臭』という小説を読んでみてください。
    文庫本でありますので。
    2013.04.12 00:12 | URL | #- [edit]
    小倉 says...""
    何かもうすごく生きにくいと感じます。織田作之助は自殺したかな? 生きてられない、やっとれん感じなのかな。好かれるだけつらくなる。理屈ではない。でも自殺はしない。死んだら現世を裏切ったことになるから。

    などと感じる人間が来る。嘘をついたらいけない。希望をわかりあわなければいけない。「こっちが現世だ。君は夢だ」だから、君が現世でこっちが夢なのだろう。このあたり誤魔化したままではお互いにいけないと思います。色んな人がいます。

    自分に映る彼は彼ではないかもしれない。自分を知れ。もっともっと自分を出して。
    2013.04.12 00:51 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."Re: タイトルなし"
    小倉くんへ

    織田作は結核ですね。ヒロポン中毒でもありました。当時結核の人は苦痛からの解放によくヒロポンを常用していたので、これは特に織田作だからというわけでもありません。当時は合法だったのですから。ただ織田作が講演中にも壇上で腕に注射してみせるというのは、あれはパフォーマンスでしょうが。
    織田作の小説は大阪の世俗を扱っていますが、俗世に生きる人への慈愛に満ちています。
    とても良い小説が多いので、是非一度短編集を読んでみてください。
    わかりやすい文章で、俗世に生きる人々を見事に描き出しています。
    『秋深き』なんかも短いけどとても良い。
    人情というばかりでなく、人間の深いところに根ざしているので古くないです。
    太宰治、坂口安吾、そして織田作と、無頼派と呼ばれた作家たちは、無頼というより、普遍的な、高尚でない、むしろ下品で野蛮な俗世における深い人間性を描いているので、未だに人々の気持ちを惹きつけるのだと思います。
    太宰以外みな病気での死です。太宰なんかも本当に死にたかったのか、あるいはスットコさっちゃんに無理やり心中させられたのか微妙なとこです。女は恐ろしいですからね。
    そうかと思いきや、あれだけ感情を抑え美を追求した川端康成がノーベル文学賞受賞後ガス管くわえて自殺する、太宰を女々しいと断罪した三島由紀夫も結局自害という名の、これは疑惑の余地のない本当の自殺です。
    石原慎太郎が「太陽の季節」で若者の勝利を宣言して若者を文化の中心にもってきてから自らも活動的に人生を謳歌してきた、しかし自分が老いた今になって「老いてこそ人生」というエッセイを書き老いも若きもないと宣言するし、なかなかわからないものです。
    要するにセオリーはないので、自分の、自分の個性に準じた人生を歩むのが正しい姿だと思います。
    それが農業でもゴミ集めでも何でもいいと思います。
    ただ農業だからゴミ集めだからと口を閉ざさなければいけないだとか、言葉を慎むべきだということはなく、誰もがそれぞれの立ち位置からの文学をやっていくこと、それが僕らに課せられた大げさにいえば使命だとも言えます。
    死にたかったら死んでもいい。それは自分が決めることで、他人が決められない。
    もちろん生きようと欲しても、明日末期がんを告げられるかもしれないし、交通事故であっけなく死ぬのかもしれない。
    こんなことは実際どうにもならないものなので、「いつか」ではなく、なるべく「明日死ぬかも」という気持ちで生きていた方がいい。
    そういう意味で、一期一会です。
    大阪でも、きっと一期一会があると思ってますし、たぶんある。
    僕も全く死ぬ気はありませんが、細胞や運命なんてものは僕の意志とは関係ないものなので、もし僕が明日死んだら、あとはよろしく!

    2013.04.12 04:30 | URL | #- [edit]

    Leave a reply






    管理者にだけ表示を許可する

    Trackbacks

    trackbackURL:http://saydie.jp/tb.php/673-ea53b234
    該当の記事は見つかりませんでした。