『楯の会』と『何故?』(映画『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』を観て)

    若松孝二監督作品『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』をDVDで観た。観ながら『楯の会』と『何故?』が自然とだぶって思え、三島由紀夫が私に思えて仕方なかった。『楯の会』も結成四年で終わり、『何故?』も結成四年で休止に追い込まれたことや、若者の熱という意味で、重なる部分があった。それはそうと、しかしながら、三島由紀夫については前から興味があり、小説及びエッセイ、評伝、動画など結構観てきたが、今回の映画はそれにくわえた三島自身への新たな発見はなかった。つまり新たな三島由紀夫像を若松監督は提示したかったわけではなく、森田必勝を代表とした『楯の会』に集った若者たちを描きたかったようで、史実からしたらところどころ抜け落ちている部分などがあり三島由紀夫に何らかの興味をもちこの映画を観たものは少し失望するだろう、ただし三島をあまり知らない人や若者について興味を抱いているものが観れば深い感慨を受けるものになっているのだろう、最後市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもった時のエピソードとして、私の記憶が正しければ猪瀬直樹が書いた『ペルソナ三島由紀夫伝』には自衛官の耳をそぎ落とし、総監室は血まみれであったはずで、その修羅場のなかで総監を人質にたてこもり、あの自衛官を集めての演説になるのだが、さらに前述の『ペルソナ』では三島は市ヶ谷には精鋭部隊がいるから彼らに向って演説するつもりだったが、調査ミスか11月25日部隊は演習に出かけており、市ヶ谷駐屯地に残っていたものは整備士や事務職などがほとんどだったという話も、無論映画の中ではでてこない。三島由紀夫は天皇を中心に据えた日本文化の復興の為に、軍隊を含めた言論を発しており、『楯の会』自体もその具現化の象徴であり、全共闘運動がポピュリズムとなりつつあった当時の社会でキリスト教的思想の拡大、西洋思想の浸透などへの文化を守る側からのアンチテーゼという意味もあった。三島が自衛隊体験入隊をし、その夜自衛官たちと酒を飲むシーンがあり、三島は上機嫌で「あなた方が立ち上がった時はわたしは全力で応援しますから!」と意気揚々と言うのだが、隣に座っていたクールな自衛官が「三島さん、軍事クーデターは近代国家では不可能です。226事件が失敗したのももう既にあの時日本が近代国家として成立していたからでしょう。軍事クーデターは発展途上国でしか有効でありません」と三島を嗜めると、三島は即座に「あなたみたいなインテリには敵わない」と苦笑するのだが、無論そんなことは三島自身が一番よく知っているのである。三島は常に小説において社会とむきあってきた。仮面の告白はともかく、その後の金閣寺、青の時代などは実際の事件を素材に犯人側にたって書いている。三島にとって運動や思念は成功失敗の問題ではなく、その情念の美しさでしかない。思いつめた人間の美しさをのみ問題としているのであって、成功失敗はどうでもいいことなのである。当時、東大全共闘と三島由紀夫の議論を撮影した動画がyoutubeに残っている。




    このなかで三島は左翼右翼関係なく、既成概念を打ち破る運動自体を礼賛している、そうして三島が何故に右翼であるかといえば、既成概念が徐々に左翼的思想、キリスト教的思想、西洋思想へ置き換わりつつあったのを察知したからこそであろう。三島由紀夫に特定の思想があるかといえば特になかったと思う。ただアンチテーゼという思想だけはあった。これは文学者の基本思想であるから当然といえば当然だが、何故、それが言論ではなく現実運動にまでいったのかは、当時の社会構造と、三島の周りに集ったこの映画の主人公である森田必勝など情念の塊のような若者たちが多大な影響を与えたのだろう。三島は映画の中でたびたびこう言う。「この若者たちの想いをあなたは考えないのか」たえず三島はこの不可解な情念を小説でも扱ってきたのだから、誰よりもそのことを感じている。もう全共闘も自己破壊をはじめ、浅間山荘事件、よど号ハイジャック事件などで、下火になろうとしているなかで、『楯の会』のアンチテーゼという役割も薄れつつあるなかで、森田必勝などは三島に「どうしたらいいのですか、自分は死にたくてしかたありません、先生、わたしの死に場所はどこでしょうか?」と問い詰める。三島は考えあぐねた末、「わかった」と告げる。楯の会総勢30名のなかでも、たった4名を選抜して、三島は総監室に乗り込む。総監には三島自慢の日本刀である関の孫六を見せにいって歓談後総監を椅子に縛りつけ、「2時間だけ時間をください、自衛官を全員バルコニー前に集めて欲しい」と要求する。その前に豊饒の海を書き上げ、さらに電話でサンデー毎日の記者を呼び出し、自衛官を前に読み上げる檄文を渡す。「自衛隊のなかで起こる事だからもしかしたら事件がなかったことになるやもしれぬ、この檄文を一切カットせず誌面に掲載してほしい」と頼む。そうして、はじめから結末を用意し、作家らしく最後は言葉だけを残すという一世一代の大勝負である、練りに練ったラストシーンである演説がはじまる。これもまたyoutubeに音声が残っている。




    檄文(全)

    われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
    かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
     われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 
    われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
     四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
     しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
     銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
     われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
     われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
     この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
     沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
     われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。


     三島由紀夫




    これほど真に迫り今なお正しい言葉はあるだろうか。しかし三島由紀夫を美化することは、もう私にはなくなった。三島は正しい、そして美しい。しかしながら、この映画では三島があまり個性を与えられず若者たちの意をくんで行動したかのように描いてある。どのような視点から人を見るかは人それぞれだ。若松は三島の人間には迫らずに終わったが、しかしもし大島渚なら三島のもう1つの顔、ちょうど『御法度』で描いたようにゲイの問題にも迫っただろう。最近、当時三島と親交があった作家の戸川昌子が息子とともにyoutube動画をはじめて、そこで森田必勝と三島由紀夫のゲイ的関係にも言及していて、なるほどそういう見方もあるだろうと妙に納得した。




    それはさておき、三島由紀夫と森田必勝の2人は総監室で切腹を遂げる。このエピローグにより、檄文が意味をもつ。少なくとも、今のところ、40年近く生きている。

    私は文学から三島を読み解く。しかし、きみは若者から、あるいは右翼から、あるいはゲイから三島を読み解くかもしれない。人間には色々な側面があり、迷いも覚悟も人それぞれある。真実などわかるはずもないから、それぞれの三島由紀夫、それぞれの『楯の会』があっていいように思う。ちょうどそれぞれの森井聖大がいて、それぞれの『何故?』があるように。この映画感想文はこれで終わる。『楯の会』と『何故?』の比較については後世の評論家に任せるとしよう。
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