マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    筒井康隆『大いなる助走』を読んでー文芸同人誌諸氏へ捧ぐー

    筒井康隆の『大いなる助走』は一般には3度候補になりながら3度とも直木賞を逃した筒井自身の私怨を、小説内で選考委員を次々と銃殺していくことで晴らした作品だとされている。だが、それは一般の人に興味を持たれるような宣伝文句でしかなく、実際は文芸同人誌の話なのだった。タイトルもさることながら約3分の2が文芸同人誌『焼畑文芸』の話であることからもわかる。無論一般のほとんどの人が文芸同人誌などに加入した経験がないのだから、同人誌の話として読まないのは当然なのだが、ただ私は身につまされながらこの本を読んだ。筒井自身も同人誌出身であるからだろうか、細部がリアルでこの中の登場人物はどこの同人誌にもあてはまり、同じような人が必ずいるだろうし、みなこんな感じなのである。たとえば『何故?』でいうと、合評会での批評を恐れて年々難解な言い回しになり誰にも何も言われぬように誰にもわからぬようにわざと煙にまく作品を書き始めた無頼を気取る大垣は小倉くんであるし、同人誌に集った多種多様な面白そうな人間を観察しながら「ふふふ」と笑う大らかな玉枝はどこか河原塚さんにも似ている。さしずめ私は保叉だろう。これから読む人もいるだろうから、あらすじは言わないでおく。差しさわりのない程度に少しばかり小説内の文章を引用するだけにとどめたい。


    「おれたちはいったい何をしてるのかなあ」と土井がいった。「小説を書いて、自腹を切って安くない印刷代を払って同人雑誌を出して、その雑誌は仲間以外にほとんど誰も読んでくれず、たいていそのまま屑屋行きだ。とても日本の文化に何らかの形で貢献してるとは思えないんだよ。むしろ自殺者を出したり、精神の荒廃した無頼漢を出したり、生活無能力者を出したり、はては殺人者を出したり、反社会的な傾向の強い人間ばかり育てている。反社会的な行為がいくら文学の実践活動だといったところで、小説そのものさえ認められていないのじゃ意味ないしねえ」
    「君は若いからそういう言いにくいことも平気で言えるんだろうが」鍋島は蒼ざめた顔で宙を睨み据え、押し出すような声でいった。「たとえばぼくなんかは今になってとてもそんなこと考える気にはなれないんだよ。それを考えたらもうおしまいなんだよ」

    保叉はひとり自宅への道を歩きはじめた。もう深夜の一時だった。さっきの土井のことばが胸にこたえた。われわれはいったい何をしておるのか。そういう問いかけは何に対してもなされ得るであろうし、誰もがそれに正確な答えを返すことはできない。しかしわれわれ同人作家の場合、われわれのしていることは社会から見ればそもそもまだ何もしていないのと同じであり、せいぜい何かをするための準備に過ぎないのではないのか。そしてほとんどはそのまま終ってしまうのだ。跳躍台なきわれらが永遠の助走、呼び出されることなきこの大いなる待機が、はたして何の役に立っているのか。それともそれは役に立たぬことが値打ちなのか。




    これだけで十分伝わるだろう。
    少なくとも文芸同人誌的な何かに惑溺している人、あるいは文芸同人誌に違和感を覚え始めたきみなどは、その正体を探るためにも、参考文献として、是非、読んだ方がいい。
    そうして、そのあと、では、どうするか、インターネット、文芸即売会、新人賞など含め、もう一度考えてみたらいい。
    きみの人生を、あるいは、きみの文学の方法を。

    Category : 読書・映画
    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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