マイペース・マイワールド

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    文学(もう1つの)商業化への挑戦3-文学フリマ最強の小説家、西瓜鯨油社・牟礼鯨についてー

    最近、よく私は、『牟礼鯨(むれくじら)』と言う。知らない人は何の名称だろうと不思議に思うかもしれない。牟礼鯨とは、通常みなが思い描くあのクジラではなく、文学フリマで今(いや本当は随分前から)一番熱い小説家の名である。
    「しかし、何故、牟礼鯨なのか?」
    私は、今日、みなから、たびたび発せられる、この問いに答えたい。およそ500ブースが参加し、数百名、あるいは数千名の小説の書き手がいるなかで、何故、牟礼鯨氏一人が文学フリマで特筆すべき作家となったのか、そのことを私と牟礼鯨氏との出会いからこれまでを克明に赤裸々に、すべて描くことで答えと代えたい。

    私が文学フリマへ初参加したのは、四年ほど前、第九回文学フリマだった。関東在住メンバーの
    「文学フリマへ出ましょう。面白いですよ」
    という一言で、あまり気が乗らなかったが、東京見物のついでに参加した。当然、当時、文学フリマがどういうイベントなのか、語呂の持つ印象でしか判断できない。文学という大それた言葉を使うイベントであるから、正直恐れおののきながら馳せ参じた。私が同人誌をやっていた20年前の印象では、そこには見沢さんや埴谷さんみたいな人がいる、なので、売るとか売れるかとかは全く考えず、参加することに意義がある、そういう純粋な気持ちだった。ひとまず30部持っていき、一冊1000円12冊程度売れた。正直驚いた。初参加でinsideout以外に特に知り合いがいなかったので「意外と売れるもんだなあ」という感想をもった。

    それから恒例行事として第十六回まで計8回連続参加した。
    (しかしともかく今回は『何故?』の歴史はまたの機会ということで、牟礼鯨氏との邂逅の部分だけ書くことにしよう。)

    後で聞けば牟礼鯨氏は第八回からの参加とのことだったが、その初回、第九回文学フリマの時は存在も知らなかった。彼のことを意識し始めたのは、その後、もう少し宣伝すればもう少し売れるのではないかと考え、その方法としてyoutubeでのPV作成を思いついた時、この発想は我ながら素晴らしいアイデアだ、これをやっているサークルは他にないだろうと思い、完成後youtubeにup、一人で機嫌よく何度も再生していたのだが、ふと思いつき「もしや、まさか、いるかな?」とyoutubeサイト内で『文学フリマ』と検索したところ、西瓜鯨油社という名で同じようなPVを作っていたのが牟礼鯨氏だったのである。その時「いたか、くそ、このアイデアはおれだけのものだと思っていたのに」と若干がっかりしたのだが、全く離れた場所で同時期に同じことを考えた人間がいる、それで彼のことを知りたいと思いプロフィールをたどりツイッターでフォローした。
    という、そんな始まりだったと記憶している。

    しかし、特に接近はしなかった。ただ動向を確認していただけにすぎない。まだ私には多くの若者と同じ、あるいは多くの同人誌諸君と同じような、文学フリマへの夢があった。恥ずかしげもなく正直に言うと、少なくとも文学フリマで少しは名の知れた同人誌になろうという意気込みがあった。しかし、一応ツイッターで相互フォローしたことだし、顔見せもかね第十回文学フリマの時、私は和綴じの『何故?カタログ』を手渡しに西瓜鯨油社のブースへ挨拶に行ったのである。この和綴じは小倉くんが作成し、私は序文を書いた。この序文は現在手元に現物がなく原稿も手書きだったため、何を書いたか忘れたが、我ながら、夢に満ちた文学的な序文だったと記憶している。
    「どうも、はじめまして、何故?の森井です」
    ありきたりな挨拶をし、眼鏡で長身で若干猫背の男に冊子を渡す。その男が牟礼鯨氏だった。サークルではなく、一人だけだと言うので驚いた。そして続けざまに彼が口にした言葉に私は絶句することになる。
    「何を企んでいるんですか?」
    初対面の私に語気を強めてこう言ったのだ。さすがの私も困惑し動揺した。実際その時何も企んでなどいなかったのだ。他の参加者同様、どうにか自分の雑誌を覚えてもらい知ってもらおう、ただそれだけだった、にも関わらず、牟礼鯨氏の発言に否定する言葉も無く動揺してしまった、私は曖昧に苦笑した。今でもその時の動揺と、わが苦笑は、しっかり覚えている。のちに自作の小説に、この「何を企んでいるのですか」という台詞を使ったくらいだ。その時から私は自分に問いかけてきた。ともかくその一言で私は牟礼鯨という人物を覚えた。牟礼鯨氏は文学フリマで自身の本を買ってくれた方へ「眠れない夜を」と言いながら本を手渡すのだが、私にはその、ある意味ありきたりな台詞より「何を企んでいるンですか?」というその時の彼の不審と期待のこもったメガネの下のあのつぶらな瞳が脳裏を離れないままでいる。しかし、何を隠そう、この時もまだ彼の著作は読んでいなかった。当時、私には、確たる自信として『何故?』が一番優れた文学雑誌だという自負があった。他のサークルはあまり眼中になかった。ある一つを除いては。というのも、その頃、ちょうどメンバーの2人が『破滅派』へ入り(今はあまりかもしれないが、当時は勢いがあったように思う)去り際に私にむかって、「何故?より破滅派の方が可能性ありますよ。代表の人は心が広い、ぼくにすぐサイトを任せてくれました。あなたは全部一人でやるワンマンだからダメだよ、さよなら」と言い残したことで、この破滅派だけには負けられないという妙な気持ちはあった。「ばかやろう、おまえ後悔するぞ、今に見てろ」という捻くれ根性だ。だが、それもすぐに忘れた。このへんの記憶は曖昧だ。それから第十一回、十二回、十三回あたりの一年半は、会場でそれほど牟礼鯨氏を意識することもなかったように思う。あまり気にしなかったように思う。あるいは、しなくても良かったと言い換えた方がいいだろうか。文フリ会場では、ああ、まだいるなという程度の認識だった。youtube動画は、私の手がける『何故?PV』の方が上だと自負していたし、『何故?』本誌も文学フリマの数や熱の増加と正比例し、確実に50部は売れる、当時たしか閉場後に大交流会があって、insideout川端君から「参加しないの?」と聞かれた時も、「する気がしないな。ああいうのは、みながそれぞれ単独でやって限界までやったあとにしようじゃないか。まだ単独でいける。まだみんな限界までやってない。それに『何故?』っていうのは円から外れたところで円を横目で見ている集団でありたい」などと言っていたりもした。その時はまだ押し寄せている危機を微塵も感じていなかった。

    次に牟礼鯨氏に話しかけたのは、第一回福岡ポエイチ参加を決めてから。その間も、無論、ツイッターやブログなどで、100部完売などというツイートを見ては、「すごいなあ、なかなかやるなあ」と思っていたのだが、恥ずかしげも無く正直に言うなら、「どんな素晴らしい人なのか一度サシで話してみたい」と思い、わざわざブースまで行った次第で、「福岡来たら、一度飲もうか」と声をかけたのだ。そうしてわざわざ本まで買った。それが私が初めて読んだ牟礼鯨氏の小説だ。『ガリヤ女』だった。しかし実のところ、この作品はそれほどではなかった。これは初めての告白だが未だに全部読めずにいる。しかし何かしら片鱗がある。一言で言うなら、こんなことをこんなに分量をさいてまで書き上げる体力と強靭な精神力に敬服した。他の作品はどうなのかという作家への期待をさせる、そんなちょうどいい感じにまだ全部を出し切れていない感があって、興味をそそられた。その後、約束どおり、第一回福岡ポエイチで初会合を開いた。この時はともかく店内が喧騒でこれといって話はできなかったが、ただ真面目でまともな人間だということだけはわかった。まともであるというのはとても大事なことだ。初対面の人間とサシで話が出来るという、それだけで何か確実な、ちゃんと生きている人間としての資質がある。その時の牟礼鯨氏の台詞もしっかり覚えている。私が「新人賞とか興味ある?」と聞いたら、「まったく考えたこともない」と発し、すぐに「おれがいつか文藝春秋を買い取る」と豪語した。そしてその後「終電なので帰る」と言った。この時、まともだし、終電を気にする極めて真面目な人なのだな、とわかった次第だ。

    その後、第十五回文学フリマでは、西瓜鯨油社のブースを通るたびに気になりつつ覗いた、そこに非公式ガイドブックなるものが置かれていて、このことでまた何かを刺激させられた気がする。ただぱらぱらとめくってみただけだが、しかし私が期待した何かでなかった、何故牟礼鯨氏ほどの人がこんなどうしようもない冊子を応援しているのかと不思議に思った、なので前にブログに批判的なことを書いたりもしたが、そのへんの問題意識があるのかないのかがすごく気になっていたところ、大阪文学フリマ前夜祭『鯨ナイト』で非公式ガイドブックの編集長・佐藤さんが私を見るなり顔を隠したことで自らもこれじゃいけないという問題意識があることを見て取り、少し安心した。これは余談だが、この非公式ガイドブックがこれからの文学フリマを変える何かになることを私はその時感じ取ってしまう。この第十六回文学フリマ(通称・第一回大阪文学フリマ)で、ある結論に達したのである。それが一つの『何故?』を一旦やめる理由にもなった。このあたりのことはすごく大事なことなので、また詳しく説明したいのだが、第九回文学フリマの時に感じた、これオフ会じゃないかという感想は間違っていないし、そうしてそのことが牟礼鯨氏の西瓜鯨油社、あるいは山本清風さんの文学結社・猫を知ることで、今はもう昔の同人誌などではない、みな個人で立っていることを知り、つまりそれは何かというと、文学フリマ自体が一つの大きな同人誌になっているのだ、と感じるに至った、この時代認識には自信がある、文学フリマ自体は一つの同人誌で、そこに集う作家は全国的同人誌の一作家だ、ということ、そう考えた時、『何故?』がとても陳腐なものに見える、そんな囲いをはずし一人一人が一つの個人として文学フリマという同人誌に参加するのだとすれば、この同人誌は本当に凄いものになるだろう、意識の変革は現実によってもたらされる、逆にいうと、そうでなければわざわざ集う意味がない気がする、しかし、このあたりの微妙な感覚は今までの既存の考えを覆す発想で、これだけの言葉で理解され得るか心配だが、ともかく文学フリマは同人誌が集う場所ではなく、現在そういう一つの大きな同人誌そのものであり、そのなかで一人の作家が他の同人を差し置いて、力作を発表し、頭角を現す場所だとすると、私が同じ同人である牟礼鯨氏を押す理由もわかってもらえると思う。

    そうして、その後、さらに第二回福岡ポエイチ前夜に牟礼鯨氏に会う、彼は「おれ、兼業作家。カフカ、理想」とカタコトの日本語で、同人作家の模範解答のような意見を言ったが、しかし、私にしてみれば、カフカは結果であって、カフカ自身も生前は色々な出版社に原稿を持ち込んでいたのだから、もしカフカが理想であるなら、同じように売り込みをして、結果この時代にはまだ早かった、という結末なら話がわかる、そういう感想を抱くのは、彼に資質があるからで、そんな文学の才能が何もせずに草むらに隠れているんじゃ日本の為にもならないし、何より名前を語られたカフカに失礼だろう、無論、自らの潔癖とプライドから新人賞へ意地でも応募しない姿勢は頷ける、私も本来そういう意見だが、私もアラフォーでそろそろ死期が迫っている気がして、プライドは捨てバカになってでもやり遂げようという最後の決意でいる、その福岡で牟礼鯨氏も「おれがあんたの年になったら同じ事を考えるかもしれない」と呑気に言ったが、私の著作『無縁アパートとギミック島創世記』ではないが、人間はいつのまにか歳をとり、そのことに気づかないことが多いのだ、だからあえて私は恥ずかしげも無く正直に言うことにする、文学フリマでのただの知る人ぞ知るという作家から、私が生きているうちに牟礼鯨氏を表舞台に出したい、もし文学フリマから作家がでたとしたらどうなるのかを見てみたいという興味本位な部分もある、そうしてできれば商業誌とかそんなことではなく、もっと広い世界で皆と切磋琢磨したい、なので、ここはもう私が売り込みをしなければならないと思った次第で、そういうことで、第二回福岡ポエイチ当日、牟礼鯨氏の作品を購入した。二冊読んで何となくわかってきたが、厳密にいうと牟礼鯨という作家は既存の純文学作家ではなく、ファンタジーノベルを重厚に描き、性というテーマを設けながら、新しいスタイルを模索している、それにより純文学以上に人間に肉薄する小説を描こうとしている、かなり新しい作家だと感じた、それは全くカフカではなく、同じと言えば新しい何かのジャンルを予見させる作品であることくらいで、まだ未完成な気がするが、この方法が完成した暁には新しい読者層を生み出せる、いま未完の状態でも言葉にパワーがあるのだから。私が、牟礼鯨氏を押す理由は、このパワーであるかもしれない。ツイッター(牟礼鯨ツイッター)やブログ(西瓜鯨油社ブログ)などインターネットでの精力的かつ魅力的な活動(これは余談だが特にブログなどは時間がかかる、私など感情を書き殴るスタイルでも例えばこの記事一つにしても2時間かけているくらいなのだ)、一年を通して日本国内の全即売会をまわる(仮にもし海外で文芸即売会があると聞きつければ迷わず参加するに違いないほどの)体力と意志、作品数の豊富さ、こういうことから今一番文学フリマで注目されるべき作家であろうと、もし文学フリマ事務局の彼らが言うように「文フリでスターが出る、優れた書き手が世間に出る」ということが可能ならば、その一番最有力が、牟礼鯨だと、私は思っている。

    しかし何故か私は牟礼鯨氏を誉めてばかりいる、恥ずかしげも無く正直に言うと、私より10歳くらい下の牟礼鯨をリスペクトしているのである、それは無論恋ではない、私はゲイではない、そうではなく、時代をきちんと見ている点(ジャーナリズム的視点)、謙虚な姿勢(決して驕らぬ真の人の良さ)、確固たる文学への姿勢に関して敬服しているのである、私は自分がどう思われようと構わない、優れた人にはきちんと優れていると言いたい、作家である最後の私の信念として、恥ずかしげも無く正直に言うことを心がけたい、しかし彼にとって、このブログ自体、迷惑かもしれないが、そもそも私が一旦『何故?』をやめた理由の一つには、牟礼鯨氏を応援する目的もある。それは先の文学フリマを一つの同人誌とした時に、当たり前の行為でもある。そうして大阪文学フリマ前夜祭『鯨ナイト』席上での「おれが文フリを背負う」の発言に感銘を受けたからでもある。牟礼鯨氏がまず最初に文学フリマから世間に認められる作家になる、文学フリマに参加することの可能性を見出すという点で、それはきっと文学フリマに集う人の悲願でもあるし、この先このイベントが長く続く一つの要因にもなる、さらに私事でいえば二年前に「大交流会なんて」と言っていた私自身が現在、単独航海への限界を感じたことは何も私自身のただ一人の問題でもなくinsideoutが紙の雑誌をやめ電子書籍オンリーに移行したり、破滅派の勢いも止まり、など文学フリマ自体の停滞感でもあるのだろうし、なんと言っても四年前に牟礼鯨氏本人に言われた「何を企んでいるンですか?」の四年越しの返答になるだろう。
    私は牟礼鯨を文学フリマを代表する小説家として世に出したい。
    言葉はいつか自分に返ってくる、これが四年前の彼の問いへの、私からの四年後の答えだ。

    最後に、各出版社文芸部の方、このブログを間違って読んだのなら、是非とも文学フリマで新人を発掘する、ということをやってもらいたい。牟礼鯨氏のように、こういう優れた書き手が今では「新人賞になんて興味がない」と言っているのだ。待っていても新しい才能は何にも見つけられないのではないか。同じ文芸に携わる者として、編集者としての意地を見せてほしい。
    牟礼鯨氏は、amazonでkindle電子書籍や本の著作を17冊もすでに販売している、これをまずは読んでみてもらいたい。

    amazon 牟礼鯨・著作一覧


    で、話は、それからだ。

    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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