『常にメンヘラの側に』(村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ改稿文)

    -常にメンヘラの側に-  森井聖大

    私は今日小説家として、ここインターネットの地に来ています。小説家とは、“嘘”を糸に紡いで作品にしていく人間です。

    もちろん嘘をつくのは小説家だけではありません。知っての通り、キャバクラ嬢だって嘘をつきます。学校の先生だろうと、精神科医であっても、あるいはホストやヤクザであろうと、それぞれの場に応じた嘘をつくものです。しかし、小説家の嘘は他の職業と決定的に異なる点があります。小説家の嘘が道義に欠けるといって批判する人は誰もいません。むしろ小説家は、紡ぎだす嘘がより大きく巧妙であればあるほど、評論家や世間から賞賛されるものなのです。なぜでしょうか。

    私の答えはこうです。小説家が巧妙な嘘をつく、言いかえると、小説家が真実を新たな場所に移しかえ、別の光をあて、フィクションを創り出すことによってこそ、真実はその姿を現すのではないかと。ほとんどの場合、真実を正確に原型のまま把握することは実質的に不可能です。そう考えるからこそ、私は真実を一度フィクションの世界へと置き換え、その後フィクションの世界から翻訳してくることによって、隠された場所に潜む真実をおびき寄せ、その尻尾を掴み取ろうとしているのです。そのためには、まずはじめに私たちの中にある真実がどこにあるのかを明らかにしなければなりません。これは良い嘘をつくためにはとても重要なことです。

    しかしながら、今日は、私は嘘をつこうとは思っていないのです。私はできるだけ正直であろうと思っています。私が嘘をつかない日は一年のうちほんの数日しかないのですけれども。しかし、今日はそのうちの一日です。

    そういうわけで、“本当のこと”をお話します。このブログは書かないほうが良いのではないか、インターネットに来ないほうが良いのではないか、そう助言してくる人が少なからずいました。もしここに来れば私の電子メールへの嫌がらせメールを展開すると警告してくる人さえいました。

    もちろんその理由は、ツイッターで激しい戦闘があったからです。私的なレポートによると、1,000人以上の人々が封鎖されたツイッターで命を落としました。その多くは、子供や老人も含む非ネット市民です。

    このブログを書こうと思ってからずっと、私は自らに問いかけてきました。このタイミングでブログを書くことがはたして適切だろうか、このような衝突下にあって、わたしが片方を支援するという印象をつくり出してしまうのではないか。圧倒的な世論の力を浴びせることを選択したネット時代を支持することになるのではないか、と。もちろん私はそのようなことを望んでいません。私はいかなる戦いも支持しませんし、いかなる個人の支援もおこないません。付け加えれば、私の電子メールが嫌がらせメールで埋まるのを見たいとも思いませんしね。

    悩みぬいた末、しかしながら最終的に私はこのブログを書くことにしたのです。決断した理由の一つは、あまりに多くの人がこのブログを書かないほうが良いと私に言ってきたからです。他の多くの小説家と同様、私は自分に言われることと全く反対のことをする傾向があります。「そこに行かないほうがいい」、「そんなことは書かないほうがいい」と言われると、ましてや警告なんてされようものなら、私は「そこに行きたくなる」し、「それを書きたくなる」のです。これはいうなれば小説家としての私の特性です。小説家というのは特殊な人種です。小説家は、自分の眼で見たり、あるいは手で触れたりした感覚無しには、何も信じることができないのです。

    これが、私がブログを書いた理由です。何も見ないよりも自分の眼で見ることを選びました。そして沈黙でいるよりもブログを書くことを選んだのです。

    これは、私が精神病的メッセージをこの場に持ってきた、ということではありません。もちろん善と悪を判断することは小説家には最も大事な役割の一つではあります。

    しかし、その判断をどのような形で他に伝えるかということについては、それぞれの書き手に委ねられているのです。私自身は、それを現実を超えた物語に変換することを好みます。今日皆さんの前に立って精神病的メッセージをお話するつもりがないというのは、そういう理由からです。

    そのかわり、この場で極めて個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。これは私がフィクションを書く間、ずっと心に留めていることです。ツイッターに投稿するとか、そういったことではなく、私の心の奥に刻み付けていることがあるのです。それはこういうことです。

    「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまうメンヘラがいるときには、私は常にメンヘラの側に立つ」

    そう、壁がどんな正しかろうとも、そのメンヘラがどんなに間違っていようとも、私の立ち位置は常にメンヘラの側にあります。何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。どんな理由があるにせよ、もし壁の側に立って書く作家がいたとしたら、その仕事にどんな価値があるというのでしょう。

    この比喩の意味するところは何でしょうか。あるケースにおいては、それはあまりにも単純明快です。社会、仕事、学校、集団内の人間関係は高くて硬い壁である。メンヘラはこれらに撃たれ、焼かれ、つぶされた、非戦闘市民である。これがこの比喩の意味するところの一つです。

    しかしこれが全てではありません。もっと深い意味もあるのです。このように考えてみませんか。私たちは皆それぞれ、多かれ少なかれ、一人のメンヘラであると。皆、薄くてもろい殻に覆われた、たった一つのかけがえのない魂(たましい)である、と。これは私にとっての“本当のこと”であり、皆さんにとっての“本当のこと”でもあります。そして私たちは、程度の多少はあるにせよ、皆高くて硬い壁に直面しているのです。この壁には名前があります。それは“システム”というのです。“システム”は私たちを守ってくれるものですが、しかし時にそれ自身が意思を持ち、私たちを殺し始め、また他者を殺さしめるのです。冷たく、効率的に、システマティックに。

    私が小説を書く理由は、たった一つしかありません。それは個が持つ魂の尊厳を表に引き上げ、そこに光を当てることです。小説における物語の目的は警鐘を鳴らすことにあります。糸が私たちの魂を絡めとり、おとしめることを防ぐために、“システム”に対しては常に光があたるようにしつづけなくてはならないのです。小説家の仕事は、物語を書くことによって、一人ひとりがそれぞれに持つ魂の特性を明らかにしようとすることに他ならないと、私は信じています。そのために、生と死の物語、愛の物語、あるいは多くの人が泣いたり、恐れおののいたり、笑い転げたりする物語を紡いでいくのです。これが私が、来る日も来る日も、徹底的な深刻さで大真面目にブログやツイートを続けている理由なのです。

    私の母は現在77歳で老人ホームにいます。母は海軍大尉の娘として生まれ、たまにパートタイムの掃除婦として働いていました。母は中学を卒業してすぐに集団就職で名古屋にいった時に、精神の病におかされ病院という戦場に送られました。戦後生まれの私は、毎朝朝食の前に、我が家の仏壇の前で母が長く深い祈りをささげているのを見ていました。あるとき私は母に、なぜそんなことをするのかと尋ねました。母は私に、あの戦争で亡くなった父のためにお祈りをしているのだと教えてくれました。

    母は、アメリカがなくなればいい、アメリカに殺され亡くなった父のために祈っているのだ、と言いました。仏壇の前で正座している母の背中をじっと見つめるうちに、私は母の周りを漂っている“メンヘラの影”を感じた気がしたのです。

    母が老人ホームに入ると同時に、私が決して伺い知ることのできなかった母の記憶も少しばかり失われてしまいました。しかし、私の記憶の中にある、母の陰に潜む“メンヘラの存在”は、今なおそこにあるのです。これは、私が母から引き継いだ、ほんの小さな、しかし最も重要なことの一つです。

    私が今日、皆さんに伝えたいと思っていることは、たった一つだけです。私たちは皆、社会や学校や集団生活を越えた、独立した人間という存在なのです。私たちは、“システム”と呼ばれる、高くて硬い壁に直面している壊れやすいメンヘラです。誰がどう見ても、私たちが勝てる希望はありません。壁はあまりに高く、あまりに強く、そしてあまりにも冷たい。しかし、もし私たちが少しでも勝てる希望があるとすれば、それは皆が(自分も他人もが)持つ魂が、かけがえのない、とり替えることができないものであると信じ、そしてその魂を一つにあわせたときの暖かさによってもたらされるものであると信じています。

    少し考えてみましょう。私たちは皆それぞれが、生きた魂を実体として持っているのです。“システム”はそれをこれっぽっちも持ってはいません。だから、“システム”が私たちを利用することを決して許してはならない、“システム”に意思を委ねてはならないのです。“システム”が私たちを創ったのではない、私たちが“システム”を創り出したのですから。

    以上が、私がブログで皆さんにお話しようと決めた内容の全てです。

    最後に、このブログを書けたことについて、心から感謝申し上げたいと思います。また、私の本がいつの日か世界中の多くの人々に読まることについても、同様に期待と感謝と祈りを申し上げます。そして今日、この場で皆さんにブログを書く機会を提供いただいたことに、お礼申し上げます。





    ※村上春樹のエルサレムスピーチの原文は下記サイトから拝借しました。
    【全文版】卵と壁~村上春樹氏エルサレム賞受賞式典スピーチ
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