マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    文学フリマ・オワコン論「文フリはmixiの道を歩むのか」

    もはや文フリに関しては何も言う気になれない。
    よく「何か言われているうちが華よ」と不出来な子どもに注意するとき親や大人が言う。
    まさにその心境だ。
    しかし、最後、これだけは言っておきたい。
    文学フリマは、もはや、オワコンである。
    近年で例えるなら、mixiの衰退を想起すればいい。
    mixiがオワコンかどうかは、特にメンヘラや年配者の利用率はいまだ維持している点で異論はあるだろうが、大多数の人にとっては停滞期に何も策を講じないまま放置した挙句に利用者の流出に慌てふためきドタバタと改悪につぐ改悪をくりかえした結果オワコンになった、というのが現実的共通認識だろう。
    私個人でいっても、mixiで繋がっている一部の人のためにアカウントを保ち、たまに覗きはするが、ほとんど開くことはなくなった。
    文フリも似たようなものになるだろう。
    一部の哀れなネットの子たちには支持されても、ほとんどのユーザーは去っていくだろう。
    それは何故か?
    文学フリマから、その名称でもあり理念でもある、文学フリマもなくなってきたからである。
    一般来場者がそれなりの数おり且つ文字通りのフリマなら意味はある、しかし、ただのツイッターオフ会においては、鈴木の羽織袴も、澁澤の派手なブースも、山本の家元も、どこか物悲しかったではないか。
    他の大多数の参加者(ユーザー)は、皆、こう思いながら、彼らのブースの前を素通りして行ったのだ。

    「ツイッターでリプライやりとりしたり相互フォロー増やせばいいだけなのに」

    「どうせふらっと一般の来場者が立ち寄るわけでもないのに」


    「あの人たち、ただのオフ会で、何してるんだろ?」





    つづく。

    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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