マイペース・マイワールド

    金持ち喧嘩せず

    第二回文学フリマ大阪外伝ー味園ビルの文フリ芸人たちー

    9月13日。夜。
    何時くらいかは忘れたが、21時くらいだろう、デジタルカフェへ向かった。
    ドアが透明なので店内が覗ける。
    すぐに文フリ芸人のM鯨と高村KとI織の顔がみえ、他に文フリ芸人らしき数人が店内中央の(掘りごたつではないがそのような感じの)大きなテーブルを囲んで座っていた。
    店内に入り、M鯨と高村KとI織に挨拶をすませ、I織に「今日は文フリ芸人のY本とS木は?」と聞いたが、今回は休演とのことだった。
    するとすぐさまこちらが聞いたわけでもないのに「M月さんは食事中っす」と高村Kが言った。
    別にM月に会いたいわけではないのだが、どうやらM鯨と高村Kは生M月を前にして私に「M月よ」と連呼して欲しそうな顔をしていた。
    もともとツイッター用のイニシャルトークであったM月だ。
    イニシャルトークの性質上M月が誰を指すのかわかってしまっては本末転倒である。
    だがサービス精神が旺盛なので(仕方なく)M月には何の恨みもないのだが本人が帰ってきたら「M月よ」と呼ぶことに不退転の決意を固めながら、ひとまずお決まりのビールを頼み、わかばを吸った。
    そうこうしていたら、リアルM月が、店内に入ってきた。
    さて、と(仕方なく)私は立ち上がった。
    「久しぶりM月」
    リアルM月はいきなりの「M月」に面食らった顔をしていたが、さすがに顔がでかいだけでなく心も広い。
    「やあ森井さん」
    そう言うだけで怒りはしなかった。
    それで私の今日の任務は終わりだと思っていたが、そうだった、とあのキャンペーンのことを思い出した。
    「いきなり何であんなこと言い出したんだ」
    疑問に思ったらすぐに聞きなさいと小学5年の担任杉崎先生が言っていたからだ。
    その回答について私は納得出来ないがM月の考えていることを聞くことはできた。
    M月の悪いところはどういう配慮からか自分の意見を言わないから何を考えて「そのこと」をするのか推測するしかないところだ。
    超文フリの時もそう。
    あらかじめこういう主旨でと言っておけば心の準備も実際の準備もできたのだ。
    今回話を聞いて思ったのは、ボランティアであり総体を見極める立場であるので差し控えているのだろうとは感じたが、それで一言発した言葉が「超文フリ!」続いて「新人賞!」なのでは本末転倒だろうと思う。
    しかし、ここから先は詳しくは書けない。
    M月がブログには書くなと言い、私もその場のノリで思わず
    「どうせ面白い話してくれないから書かない」
    と言ってしまったからだ。
    なので、ここから先は、M月と話してみて私が感じたこと、あるいは、現在の個人的な回想のようなことを書きたい。
    現場ではついつい永遠の文学青年らしく売り言葉に買い言葉になってしまって、現場を再現しても何にもならない部分がある。
    大体においてそうだが、言葉はあとから響いてくる。
    M月は何はともあれ十年の実績を持っているから、そのことと私の理念とのすりあわせを、あれから真摯に考えてきた。
    現実がどうあれ手放してはいけない核になる理念が必要だろうと思う。
    M月は私をチラシ教の信者みたいに言い小馬鹿にした。
    チラシ・ポスターでの集客は0.06%しかないと言った。
    だが、それは出来ないから後付けの言い訳だろうと感じた。
    やはりチラシ・ポスターは必要最低限だろう。
    だが話してみて文フリ事務局ではチラシを作れないらしいことに気づいた。
    金がないとか人がいないと言ったが、本当はそうではなく、参加者みなが納得するチラシを作ることが現実的に不可能なのだろう。
    そもそも事務局と名乗っているから紛らわしいが、本当のところそのような組織だったものはないようだった。
    私は事務局という名称とイベントの規模の大きさから見て当然あるものと思っていたが実体がないことをこの日初めて知った。
    ここで一つ謝りたいが、私のこれまでの事務局への提案は、たとえボランティアにしろ組織だち実体をもった事務局があることを前提にしたものだった。
    なので全てが個人の気まぐれに任せたボランティアである、と知った今は若干考えが違うし、無理強いはできないと感じてもいる。
    そういう意味でM月はよくやっているし素晴らしい。
    反面10年という歳月があって、同じような危機を感じてきたこともあったはずなのに、きちんとした組織を作らなかったことは、少しばかりぼんやりしすぎているとも感じる。
    これから、もし十年続くとしたら、このままでいけるだろうか。
    もう個人のレベルにはないのではなかろうか。
    設営準備はどうにかなっても、運営していくには無理が出てきているのではないだろうか。
    それも考えると、事務局のチラシ制作を待っていても当分何もアクションはなさそうなので、チラシだけは自分で作ることにした。
    さらに、
    「何をやっても賛否がある」
    としきりに嘆いていたことを思い返せば、チラシ一つにしろ参加者みなが納得できるものなど作れるはずもなく、M鯨のように文句を言う奴がでてくるのだろうし、そうして実体は無いにしろ実績がある事務局をもってしても皆が納得できるチラシを作れないならば、ニッチな私にそのようなものが作れるはずもない。
    こう考えた結論として私は、「私の想う文学フリマ」を、「文学フリマのチラシ」として、自分で作り、勝手に人に配る、という結論に達した。
    東京の夜、大阪の夜、よく
    「何しに来たんですか?」
    と聞かれる。
    「今度の日曜日は何の用事があるんですか?」
    と聞かれる時もある。
    そのような時に「文学フリマ」とだけ言って説明しても、全くそのことを知らない人にはわかるはずもない。
    私はそのような時すっと出せるチラシが欲しかった。
    だから文フリ事務局に頼んだが、どうにも無理そうなので自分で作る。
    ふいにポケットからチラシを取り出す。
    「こういうイベントで来たんです。私はここで自作の本を売りに来たんです」
    そう言って、世紀末美容師のように、さりげなくチラシを渡す。
    M月が言うように、私はニッチな層なのかもしれない。
    他の多くの人はチラシなど必要ないのかもしれない。
    ただ私には上記の理由で必要なだけだ。
    私に必要なものは私が作ることにする。
    まさか勝手に作るなと怒るはずもないだろう。
    蒲田の時はキャバクラ嬢のマリアちゃんが営業も兼ねて会場まで来てくれたが、流通センターにはわざわざ来てくれそうもない。
    ただ前夜親密に飲んだ誰か一人が来てくれる可能性は0.06%はある。
    ネットをしていない人も結構いる。
    しかし私は思うのだが、誰が事務局に永遠にボランティアでいろと言うのだろうか。
    もう誰もそんなことは言わないだろう。
    ボランティアで可能ならばいいが、もうボランティアがいなくなったので文フリやめますじゃ、みなが困るのだ。
    もしこの先も存続させていくつもりなら、きちんと法人格であった方がいいだろう。
    NPO法人でもいいじゃないか。
    M月の心折れたら終わるんじゃ困る。
    M月はメタボだしいつ死ぬとも限らない。
    吉本の会長が死んでもよしもとは残った。
    文フリをもしグランド花月に例えるなら、我々舞台芸人を活かす劇場が欲しい。
    M-1や上方漫才大賞をとれる芸人はわずかだ。
    もしそれを受賞しても、少しの期間テレビに出るだけで、一生食べていけるような時代でもない。
    安定した収入は客が集う劇場にある。
    大阪には、吉本や松竹の劇場がある。
    そこに人が集う。
    テレビに出ていなくとも、舞台だけで食べている芸人がいる。
    そういう意味で若干話は前後するが、次の文学フリマでは「文学フリマを救う会」で参加する。
    「文フリ原理主義同盟」にしようか迷ったが、文フリ事務局の身動きの取れない体制のなかで、私はやはり「文フリを救う会」でよかったと思っている。
    理念なくてはイベントはただのオフ会になる。
    やすきよという漫才コンビがいた。
    横山やすし・西川きよしの漫才コンビだ。
    確かに横山やすしことヤッサンは不遇のうちに死んでしまい、キー坊こと西川きよしは今もなお活躍している。
    だが、きよしだけでは面白くないのだ。
    ヤッサンのストイックな芸人観がやすきよを支え支持を受け漫才の頂点に押しやったのだ。
    身を滅ぼしても横山やすしは普遍性を持ち今もなお人の心を吉本にひきつけているのだ。
    ミヤコ蝶々が西川きよしにこう言った。
    「やすしに感謝して大事にせんとあかんで。あんただけじゃ今の地位はないんやからな」



    M月は、最後、
    「大阪は不慣れなこともあり設営に時間がかかるかもしれないから手伝えよ」
    と言った。
    私は
    「気が向いたら行く」
    と言った。
    M月は会計もしないまま怒ったように店を出て行った。
    いつものように0時前にM鯨と高村Kも帰った。
    その後、泉由Rと何時までか忘れたがかなりの時間飲んだ、と思う。
    帰りも何時になったのか忘れたが、もう電車のない時刻になっており、J島に引きずられるようにタクシーに乗った。
    私はタクシーの車中で、J島に、こう言った。
    「明朝、文フリの会場設営に行くから、朝8時にロビー集合だ!」
    「結局手伝うんだ!さすが会長!」
    「当たり前よ!」
    それから、ホテルへ帰り着き、倒れるように眠った。

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