イスラム国ではなく文フリ国の戦士となろうぞ!

    文学、という言葉から、何を思い浮かべる?
    過去か、あるいは外国か。
    しかし、今、我々は、日本で文学をしているのだ。
    過去じゃない、今だ!
    イスラム国じゃない、日本だ!
    もう文学以外には何も無いのだ。
    文学がなくなれば、クズでダメ、社会の底辺で生きる、もしくは殺されるのだ!
    文学とは、クズのバイブルだ。
    私は文学を知らない、という人もいるだろう。
    しかし少なくとも、文学という名を冠した、文学フリマに参加しているではないか。
    我々は、過去ではなく、今、文学している同志ではないか!
    だって、そうじゃんか。
    今、文学しているものは、我々以外にいるか?
    そうだ、どこにもいやしない!
    文学フリマに来ないで文学しているという奴は、就職活動として小説を書いている人でしょ?
    やつらは文学などしていないでしょ!
    履歴書、職務経歴書を、面接官に喜ばれるように、書いているんじゃんか!
    もう大げさに言うならば、文学するとは、文学フリマに行くことだ。
    そこで文学の現実を知ることだ。
    そこで我々の非力さを思い知ることだ。
    そこで文学が、この国で、どういう立場にあるのかわかるだろう。
    我々は、いつまでも、見下される立場だ。
    我々が、こんなにも必死に文学をしているのに、だ。
    半年に一度、他に何の用もないのに、ただ文学フリマの為だけに、数万円かけ飛行機に乗って行くのに、だ。
    そうまでして、挙句の果てに、だ。
    東京人に、
    「何しに来た?」
    と聞かれ、
    「文学フリマ」
    と答えたら、
    「えっ、何それ?」
    と言われるのだ。
    わかるか、この気持ちを?
    文学していることすらも認められていない現状を、誰が容認できるのか!
    北大生がイスラム国戦士になろうとして逮捕されたらしい。
    イスラム国に行く前に、日本国内でやることがあるではないか。
    今現在、我々、日本文学戦士は、不足しているのに、イスラム国戦士になってどうするのだ。
    文学が消えるとは、人間性が消えることだ。
    そんな時に、イスラム国の前に、日本人ならば、やることがあるのではないか。
    文学を置きざりにして、一体どこへ行こう、と言うのだ。
    そんなものは現実逃避にしかすぎないだろう。
    文学の問題から逃げるように、人間性を求めてアラブの問題に飛び込んだにすぎないじゃないか。
    気持ちはわかる。
    確かに、M月司令官が、我らの城砦を、東京流通センターに築いた。
    このことには賛否はある。
    だが、よくよく考えれば、この地への築城は名采配であったかもしれぬ。
    私も、今まで気づかずにいたのだが、この城のメリットは、敵が容易に攻め込めぬところにある。
    何せモノレールという一本筋を通らねば城へは辿り着けぬのだ。
    我々は、ここで篭城し、文学を死守する。
    時間をかけ、刻一刻と兵力を増し、いずれ日本全土へ進軍するだろう。
    これは世迷言ではない。
    永遠などないのだ。
    だって、菊池寛が文藝春秋を作り、まだ100年もたっていないのだ。
    1923年創業だから、まあ約90年なのだ。
    我々も、遠き彼方から見れば、同時代人だ。
    そう考えると、多分あと100年くらい頑張れば、文学の勢力図を塗り替えられるに違いないのだ!
    好機はある、諦めるな!
    我々は、イスラム国には行かない!
    銃をペンにかえて戦う文フリ国の戦士となろうぞ!





    文学を救う会
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