認知症とフィクション

    そろそろ1月も終わりにさしかかる。
    この1ヶ月、認知症の本を読み漁る生活を続けている。
    臨床的な立場の医師や看護士などの著作を読んでいると、時折、痛切な問題として、〈フィクションの敗北〉という言葉が出てくる。
    無自覚に介護する側である周囲からのリアル基軸の〈フィクションの否定〉が行われている現状を危惧している。
    そのことにより徘徊や暴力などの周辺症状を悪化させる。
    当の認知症老人側からみれば、〈フィクションの敗北〉が起こり、そのことにより、自信喪失し、認知症が進行するのである。
    懸命な臨床家や介護者は、認知症老人が脳内で抱える世界、つまり〈フィクションの尊重〉をこそ、一番大事な心構えとして掲げているようだ。
    ようやく、ここで、認知症と文学が繋がった。
    村上春樹が小説『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で、「僕の中に世界はある」と宣言してから数十年。
    世界とはフィクションであり、それぞれの個人の固有の物語である。
    だが、ここ数年で、リアルというフィクションに圧され気味だ。
    もはや、健康な人々は、リアルもフィクションだということを忘れているようである。
    今一度自分に問い直してほしい。
    きみが生きていると錯覚している現実もまたきみが選択したフィクションの一つにすぎない。
    同じように認知症の彼らは(固有の)違うフィクションを選択して生きているにすぎない。
    きみの疲れは世界観の統一を強要するような時代の罠にまんまとはまってしまっているだけなのだ。

    私がそもそも認知症を調べはじめた契機は、老年になった母が選択した物語が見えなかったからだった。
    物語がわからないとその言葉がどこから発せられたかわからない。
    私は戸惑った。
    私が戸惑えば、母も戸惑う。
    会話もままならない。
    何にもいいことはない。

    イスラム国にしろ何にしろ、固有の物語さえわかれば、誰とでも話ができるだろう。



    参考書籍:
    認知症の人々が創造する世界 (岩波現代文庫)

    世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド


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