マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    沖縄であっても琉球であっても基地があってもなくても沖縄を想う日々のなかー旧海軍司令部壕から琉球王朝そして現代までー

    今回、バスの旅だった。
    ゆいゆい号で那覇各地をめぐり、沖縄本島南部を南部循環バスでぐるりと周った。
    沖縄人である糸満市出身の知人よりも、那覇に関しては私の方が詳しくなったほどだった。
    沖縄から帰ってきて色々なことを考えてきた、いや考えさせられている。
    中将・太田実の電文を読まなくとも良いが、読めば現代の沖縄問題の意味が多少なりともわかるだろう。

    太田実電文

    最後の文面だけ紹介する。
    自決一週間前の沖縄の人ではない海軍司令官・太田実の沖縄県民への想いがこもった、大本営への電文が、現在でも胸をうつ。

    一木一草焦土ト化セン
    沖縄県民斯ク戦ヘリ
    県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ



    内容としては、沖縄県民は命を賭して戦ってくれた。(もともと沖縄戦は米軍の日本本土上陸を引き伸ばすための時間稼ぎをしろとの指令だった。そんな身勝手な日本のために、実際、沖縄戦で県民の4分の1が死んだ)
    これほどまでにやってくれた沖縄県民に戦後はからいを頼むとのことだ。
    この電文が胸を打つのは、現在でも沖縄に米軍の基地問題があり、いまだに日本が沖縄にご高配どころか同じような沖縄戦の延長を強いているからだろう。

    前述の沖縄出身の知人に聞けば、旧海軍司令部壕は、地元の中高生の間では胆だめしのスポットであると言う。

    旧海軍司令部壕慰霊碑


    それでいいではないか。

    旧海軍司令部壕資料館

    受付のおじさんから、「まずは資料室を見てほしい」と言われ、騙されてやろうと見た。
    しかし予想を裏切られ、他に類を見ない、小さいが、素晴らしい資料館だった。
    この資料館をつくったのは受付のおじさんなのかもしれない。
    だとしたら、佇まいは平々凡々としながらも、とてつもなく優れた人だ。
    旧海軍司令部壕に行き、壕から出てきたとき、私は、眼前に広がる空と海の美しさに涙した。
    そこで、壕の外の売店のガチャガチャに何故コンドームが売られているかを知った。

    旧海軍司令部壕売店コンドームガチャガチャ

    「ああ、私たちは生きている。コンドーム買って帰ろう」
    このコンドームのガチャガチャまでが展示であろう。

    市場に行った。
    おにぎりかまぼこの美味を教えられた。
    しまらっきょうの美味を教えられた。
    一杯400円だから入った路地裏の沖縄そばの店主は、70歳を超えているだろう、「ソバしかないけどいい?」と尋ねた。
    アメリカンなじいさんで、アメリカ映画を鑑賞しながら、昼間からビールを飲んでいた。
    200円の水割り泡盛を頼んだら、水も入れずにジョッキ一杯に注いでくれ、「ハッピーにいこう」と笑った。
    アメリカ統治時代に青年期をすごしたのだろう。
    国際社会では先住民族である沖縄人が侵略国である日本人により虐げられているとの見解がある。
    国連人権差別撤廃委員会が日本に勧告(琉球新報)
    ちなみに戦後沖縄を日本から切り離し支配したアメリカの見解と同じだ。
    確かに一理あるが、それも結局、どこまで遡るかによる。
    現代においては、もしかしたら特別扱いが、差別を固定化させることもある。
    戦後、アメリカ統治時代、アメリカは琉球政府をつくった。
    日本における満州国同様、植民地支配の王道である、間接支配をしていた。
    現在も続く、これほどまでの沖縄文化の伝統の押し売りは、所詮戦後アメリカの政策なのだ。
    アメリカ合衆国による沖縄統治(wikipedia)
    本当の自然発生的な文化であるなら、そのままの独自性ではなく、日本文化と渾然一体となり、今よりもなお新たな文化を生み出したのではないのか。
    夜の国際通りを歩きながら、作られた沖縄に反吐が出た。
    1972年、20年以上のアメリカの支配下を離れ、沖縄は日本に返還された。
    しかし、現実はそれほど変わらず、名前だけのものだ。
    当時の沖縄の人々の日本祖国復帰運動の大きな求心力は、日本に戻れば当然米軍基地もなくなる、と信じていた、これが大きな理由だったのに!である。
    もちろん、とりあえず、ひめゆりの塔にも行った。
    だが、特にイメージを超えるものは何もなかった。
    同胞を思うおばさんたちの気持ちは伝わったが、壁一面の一般的歴史年表は、旧海軍司令部壕と比して、資料館としては余りにもお粗末だった。
    一つだけ来た甲斐があったと思えた文面は、「戦時中、天皇を大麻様と呼んでいた」との記述くらいだ。
    住民の4分の1が戦死した沖縄戦であるし、太田実の電文が今に生きる意味も、基地がある現在と過去のそれに起因しているが、しかしそんなことは実際のところセンテンスであるにすぎないのではないか。



    狩猟採集民的生活であったところに、琉球王朝ができ、中国と日本との国交の中で、武器を持たない平和な民族であったことで江戸時代島津藩に攻めいられ、よくわからぬまま明治に入り日本と歩調を合わせられた。
    アメリカにおけるインディアンとも重なる狩猟民の長閑な生活を許さない国家主義世界のなかだ。
    本当の意味での平和主義をもった少数民族の悲劇を担っている。
    腹ただしい!
    それでも私たちは幸福を求めるのだ!
    バカヤロー、てやんでい、こちとら江戸っ子じゃい!
    陽気な沖縄の歌が悲しく聴こえる帰り道だった。
    歴史はすべて嘘だと思えた。
    この涙は歴史の海へ流して歴史を混濁させよう。
    それでも全て忘れることができぬなら、全てを抱え生きてゆこう。
    何が国だ。
    何が民族だ。
    嘘を言うな!
    もともと私たちは狩猟採集民の末裔だ。
    現代では意志あるアウトサイダーだ!
    すべて覆す楽観性を持ち生きよう。
    ちなみに大阪の文化などは所詮東京へのアンチにすぎぬ。
    そもそもの差異がないことで極度に主張するしかない偽者の差異にすぎぬ。
    もともと根源的な差異を持つ人々は、一万年も耐えているのだ。
    どうにか同じであることを希求しているのだ。
    それが本物の差異持つ者の願いなのだ!


    関連サイト
    那覇市内観光周遊バスゆいゆい号
    旧海軍司令部壕
    沖縄の歴史(youtube)

    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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