第四回福岡ポエイチにてー小柳日向『透明物語』ー

    二日目の終わり頃だっただろうか。
    私のブースに小柳日向さんがやってきた。
    手には、透明物語と書かれた文庫本サイズの本を持っている。
    「これ、最後の一冊なんで、売れる前に持ってきました」
    「ああ、ありがとう」
    私はそう言って、そのプレゼントを受け取ろうとした。
    「700円です」
    「えっ?くれるんじゃないの?金ないよ」
    「そうですか。買わないならいいです」
    小柳さんはそのままブースから立ち去ろうとする。
    「いや、おい待て、では、500円でいいだろ」
    小柳さんは、振り向いて、こう言う。
    「特別扱いはしません。700円です」
    どうにも埒があきそうにないので、渋々、なけなしの700円を渡した。

    実は、この短編集、前日のポエイチ初日、小柳さんがいない時に、ぱらぱらと冒頭だけ読んでいた。
    その時、これは文章に懲りすぎている、何も伝わらない、つまらない、だんだん悪くなっている、わざと人にわからせないように書き出したか、小倉くんと同じ道を歩むか、と少しばかり落胆していたのだった。
    もちろん、その時は、このことは言っていない。
    「50部全部完売しました」
    というから、ただ、こう言ったのみだ。
    「買われても読まれないのが即売会だ」
    だが、小柳さんは、こう返してきて、これまたひどく納得もした。
    「でもまず買われなければ読まれませんから」
    まあ、そうだ。

    ということで、私は、小柳さんの思惑通り、買ったから読むことにした。
    この『透明物語』は4作の短編小説『透漏』、『透明人間』、『透写』、『透明物語』と、ラストに『透視』という詩のようなあとがきをそえた短編集であった。
    冒頭から読み始めたのだが、やはり最初の印象どおり、一作目『透漏』と二作目『透明人間』はダメだった。
    作家の感覚の良さでどうにか読み終えることができたが、『透漏』は短いから違和感があってもすぐに読み終わるとしても、二作目『透明人間』のBL風なところで、多分、ほとんどの者が、この短編集を本棚に放り投げたのではなかろうか。
    だが、その者たちは、とても勿体無いことをしている。
    この短編集の醍醐味は、小柳日向さんが稀有な作家として本領を発揮するのは、実は、3作目『透写』からであり、特に4作目『透明物語』なのである
    本当は、この2作だけでいいのに、何故、頭に2編の駄作を持ってきたのか、正直真相はわからない。
    本の厚みの問題か、あるいは読者にはわからない作家特有のこだわりなのか、たとえば4作掲載し起承転結的なものが欲しかったとかの。
    ただ私が知る小柳作品で考えるなら、この前2作は、『足元の音』と『レモンの裡』を掲載した方がよかったと思う。
    そうすれば、途中で放り出されることもなく、短編集としても、もっと完成度の高いものになっていたはずだ。
    それはともかく。
    特に、良かったのは、本のタイトルにもなっている『透明物語』だった。
    3作目の『透写』とこの4作目の『透明物語』は、ほぼ同じ設定である。
    少女と大人の男、である。
    前2作とは切り離されて、この3作目と4作目は統一した世界観を描いている。
    そうして、三人称で語りながら、男性心理も女性心理も、どちらも深く洞察している。
    的を射て書けている、という表現ではまだ足りないほどで、的を射抜いている、といった方が正確だ。
    私はこの作家を知っているはずだった。
    確か女性だったはずなのだが……。
    読み進むうちに、あまりの男女双方の心理描写の奥深さに、この作家が本当は男なのか女なのかと疑いはじめるほどにもなっていた。
    そうして私はまるで自分が恋愛をしているような錯覚に陥った。
    一人の素朴な読者としての私が、そこにいた。
    読後感として、マディソン郡の橋にも似ているが、それよりも儚く人間通である。
    また、文章などにも世界観が出ており、わざと難しい読みづらい漢字を使っているところも(ルビは印刷ミスしているが)衒学趣味などではなく、この作家の世界観を描こうとすれば自然とこうなっただけというのが読み取れるし、それによりより一層小説世界が際立っている。
    世の中の人々はそれぞれ独自の世界観を持っている、と私は思う。
    だが、そのことを小説として完成させられる者は、ほとんどいない。
    ここに、この小柳日向という作家の稀有な才能がある。

    私は、しばし、この世界観に浸され、放心状態であった。
    ふと我に返り、よくこれだけのものが書けたな、と正直驚くと共に、もう見事に追い越されてしまった、というある種の敗北感をも味わった。
    全くもってプロの仕事である。
    編集者をつけずに、これだけのまとまったものが書けるとは到底思えない。
    きっと誰かが側にいるはずだ。
    ともかく、最後まで、読み終え、世界が真逆に変質したような奇妙な感覚を味わった。
    出し渋ったが、買って良かった。
    前半2作を差し引いても、700円の価値は十二分にある。
    この短編集は、第二十回文学フリマ東京と第四回福岡ポエイチで、約50冊売れたとのことだ。
    しかし、それほど買われていても、いかほどの人が最後まで読んだだろう。
    そうして、もし読んだとしても、どれほどの読解力をもったリズールが、即売会にいるのだろうか。
    もし、この小説に評価がないのだとしたら、もう小柳日向という作家が即売会に行く意味は全くない、とさえ言える。
    それほど良い作品だった。


    toumei.jpg


    最後、詩のようなあとがき『透視』内の最後の一節を掲げ、終わりたい。

    ひとりきりの夜にこそ、
    悪い言葉で自身を濁していく。
    何かと何かを天秤に掛け、
    蜃気楼の如き愛を夢見、
    そうして飲めない酒を煽り、
    煙草の煙で肺を痛め、
    こんな夜にそっと存在を確かめ合えれば、と思っている。

    できれば、あなたと。





    もちろん、この、あなた、とは私のことである。
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