コインランドリーにて文学を想う

    洗濯物をもってコインランドリーへ行った。
    カゴ2つと袋2つの、2週間分の洗濯物だ。
    22kg洗いの一番でかい洗濯機に入れて、椅子に座り、雑誌を読んだ。
    週刊文春の6.25日号を手に取ったら、元少年Aの絶歌の記事があった。
    見城徹への取材記事だったので興味深く読んだ。
    この本の存在を知り、太田出版から発売されたことを知るまでは、これは幻冬舎だろうと思っていた。
    私と同じく、もともと元少年Aも、見城の『編集者の病い』などの著作を読んでいて、見城のところに長文の手紙を書いて寄越したとのことだ。
    見城は、はじめ半信半疑だったが、良い手紙だったのと、編集者としての血が騒ぎ、この手紙の主が酒鬼薔薇聖斗でなくとも良いから会ってみようと思ったらしい。
    元少年Aは、熱い文面の手紙の印象とは違い、華奢で、生気のない無表情の青年だ、とのことだ。
    話をする過程で、元少年Aの書きたいという欲求の強さを感じたものの、ノンフィクションの手記はやはり現実的に厳しいから、ペンネームを用いフィクションとして書くように薦めたらしい。
    先例として永山則夫は小説家として成功したし、フィクションの方が、これからも書き続けられるだろう。
    はじめは見城の提案を受け入れたらしいが、すぐに元少年Aは、やはりノンフィクションで事件のこととこれまでの生活を書きたいと主張したらしい。
    確かにこちらの気持ちもわかる、まずはじめに曖昧なものがあるなら、違う物語を書く前に、はっきりさせる為にも自分のことを書いた方がいい。
    その後、見城も、元少年Aの要望どおり、幻冬舎に三人の精鋭チームを作り、ノンフィクション作りをサポートしはじめた。
    毎日のように、フリーメールの下書き機能を使い文章の手直しや助言などをしていたらしい。
    元少年Aは、見城の注文に素直に従い、次の日には書き直した文章を提出した。
    そういうやり取りが1年くらい続き、その間も元少年Aは、働きながら書き進めていたのだが、ある時、見城にこう言ってきたらしい。
    「執筆に専念したいから生活費を貸してほしい」
    まだ一作も書いていない作家の言葉とは思えないが、元少年Aには自分の事件への自信があったのだろう。
    こんなことも書いているし、殺人をやりきって一時期でも世間を手玉にとれたことは、彼にとっては輝かしい栄光なのだろう。
    「14歳の頃の自分と、今の自分を比べると情けなくなる。昔はあれだけのことができたのに、今は何もできない」
    見城は、融資を承諾し、それから1年、約400万円を振り込んで、元少年Aをサポートした。
    無論、この本を発刊すれば、400万円などすぐに返ってくるから、当然だろう。
    私も、誰か援助してほしい。
    ただ私が、それで執筆に専念するかと言えば、まず間違いなくパチンコや競輪、夜は飲みに出かける毎日を過ごすだけだが。
    そうしていたが、やはり今となっては、幻冬舎の社長となった見城だ。
    リスクが回避できない、どうしても発刊できないと判断し、元少年Aに知り合いの三つの出版社を教える。
    そのなかで、元少年Aが選んだのが太田出版だったとのことだ。
    発刊が決まると、見城は太田出版から400万円を返してもらい、元少年Aとの縁は切れたとのことだ。
    見城は、取材に答え、こう言っている。
    「文学はアウトローがやるものだと思っている。今回のこの本をおれが出せなかったことは編集者として悔いが残る」
    ひよったな、とも思うが、まあ、そうはいっても、今では見城はもう編集者というより幻冬舎の社長だから、この判断も致し方ないのかもしれない。
    太田出版で元少年Aの担当編集者になったのは、言うまでもなく『完全自殺マニュアル』というベストセラーを世に出した落合だ。
    見城にしろ、落合にしろ、世間からのバッシングなど屁とも思わず自らが信じる文学を世に送り出す気骨ある編集者が商業出版社にいるのが、何となく救いのように思えるのも、作家の端くれとしては少しばかり情けなく感じる。
    もし大坂文庫の上住が、私が意を決して大坂文庫に連載した『天皇三部作』を、もう少し声高に世間にむかって宣伝してくれたら、今よりはまともな文学がある文学フリマになっていたのではないかとも思うし、原稿料をあげられるくらいにはなっていたはずだ。
    しかしながら、文学フリマは何も成さぬまに、ひよっているのは何故だろう。
    果たして、もともと反商業主義を掲げた文フリなどは、こういう場合、どうするだろうか。
    もし元少年Aが文フリに出ます、といった時に、どういう対応をとるのだろうか。
    牟礼鯨であの反応なのだから、当然のように排除するだろう。
    何とも情けないことだ。
    これでは、商業出版の方がまだマシじゃないか。
    もう文学という冠をはずした方がいいのではないか。
    あるいは、『文学フリマ』というタイトルの前に、なんちゃって、と付け足すべきだろう。
    そうして、元少年Aは、次は小説を書くだろうが、果たして平成の永山則夫になれるだろうか。
    かなり難しいとは思うが、嫌いな人間ではないので応援したい。
    そうこう考えていたら、ピーピーピーと終わりの音が聞こえた。
    乾燥する金はない。



    コメント
    トラックバック
    トラックバックURL
    Comment Form








    管理者にだけ表示を許可する






    カテゴリ
    月別アーカイブ

    Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ