『絶歌』第一部を読んでー何故か交響曲とエロオナニスト宣言も出てきたー

    第一部と第二部ではテイストがまるで違っていた。
    第一部はまるで小説のようだ。
    しかしながら、もう二度と出せない類の本であるのに、全てを書ききらずに終わっていた。
    見城がこの本をだせないと判断した理由も何となくわかった。
    もし私が元少年Aの担当編集者であってもこの本をこのまま出すことはなかっただろう。
    少なくとも少年院に入ってからの矯正プログラムについてだけは書いてほしかった。
    第一部の方が第二部よりも本人も力をこめて書いているのが伝わる。
    だが、文学に片足を突っ込んではいるが、やはり片足でしかない、という印象だ。
    第二部を読み終わった後かれに(勝手に)期待していたのだが、第一部を読み終わったところで失望に変わった。
    「いやはや、はじめて書いた作品と思えばよく書けている」
    ときみは言うかもしれない。
    もちろん私も若い人には優しさを持って接したい気もする。
    だが、やはり、ことかれに関しては、ここは一発目からガツンと決めなければいけなかったはずだ。
    もう取り返しがつかないが、もう少ししっかり書いてから出すべきだった。
    二、三年あまりの時間を費やし、さらには出版社から金を借り仕事せずに一年執筆だけに没頭した割に、さらには18年間の沈黙を破って書いたという割に、内容も本の厚みも薄すぎるのではないか。
    私が編集者ならば上下巻組にしただろう。
    上巻に一部(医療少年院のことを付けたした内容)、下巻は二部の内容をもっと細かく深く書かせていたはずだ。
    これでは次にフィクションを書けないだろう。
    まだ読者の「何故?」に何にも答えきれていないのだから。
    一例をあげると、第一部ではマスターベーションや異常性欲についてあれほど書きながら、第二部ではそのことに全く触れていない。
    で、現在はどうなったのだ?
    こんな素朴な疑問にすら答えていない。
    これでGOサインを出したとは太田出版の落合もたかが知れていると思う。
    あるいは私がかれに期待しすぎただけかもしれない。
    かれは、ただ「僕は凡人です」と世間に伝えたかっただけなのかもしれない。
    まあ、それなら成功だろう。

    それはそうと、今回、第一部でも、またもや私の作品を読んだ形跡があった。
    さすがに、これほど続くと、驚いてしまう。
    まず何故?で連載した交響曲という小説を想起させる箇所がある。



    交響曲では父であったが、この本では祖母に代わっているだけだ。

    これが祖母なのか?
    入院の日、僕の両頬を両手でつねり「すぐ帰ってくる」と言って出て行った祖母と、今自分の目の前にあるこの物体が、「同じ人」だとどうしても認められなかった。
    祖母はどこかよそへいるのだ。これが祖母であるはずがない。そんなことがあっていいわけがない。



    あとは、なんと、あのエロオナニスト宣言もどうやら読んでいると思われる箇所があった。
    この本で唯一の告白は、(何気に淳君への同性愛的な情緒、著者がゲイ的傾向にあること、淳君への片思いを匂わせてはいるのだが、はっきりとした告白は)マスターベーションのことで、事件時もその後もかれは噓を突き通してきたとのことだ。
    猫を殺す際に初めて精通した、というのは真っ赤な噓であり、かれは極めて普通に、ほとんどの女性が毎日しているように、電動按摩機(通称電マ)をペニスに押し当て、初めての射精(初精)をしたとのことであった。
    この場面、びっくりするほど、エロオナニスト宣言と酷似している。

    何の気なしにペニスにも当ててみる。その時突然、身体じゅうを揺さぶっている異質の感覚を意識した。まだ包皮も剥けていないペニスが、痛みを伴いながらみるみる膨らんでくる。ペニスがそんなふうに大きくなるなんて知らなかった。僕は急に怖くなった。



    最後になるが、今回、私は急いでこの本を読んだ。
    何故かというと、amazonのレビューがこんな酷い有様になっていたからだ。

    amazon絶歌レビュー

    何故に本の感想ページに読んでもいない人々が書き込めるのか、おかしなことが起こっている、これでは文学も糸瓜もなくなってしまう。
    そういう危惧から、どのようなものであっても本を読まずに評価することだけは避けたいという思いから、無論興味もあったが、どちらかというとそれ以上に文学生活者としての使命感から、この本を読んだ部分がある。
    そうして、感想だが、残念ながら、この本は、ノンフィクションとしても、文藝作品としても、イマイチだった。
    ただ一時期有名になった一発屋のTVタレントが書いたタレント本、という読み方をすれば良い部類には入る。


    追伸
    きみは自分の知名度に甘えていたのではないか。
    こんなものでは「何故」に応えられるはずもないだろう。
    きみも無論読んでいるだろうが、マイケルギルモア著、村上春樹訳の『心臓を貫かれて』の方が百倍よかったぞ。
    もう文学しかないと思うのなら、生活の苦労もあるだろうが、それ以上に、もっと真摯に文学(自分)と向き合うべきではなかっただろうか。
    次は何を書くのか知らないが、多少なりとも印税が入るのならば、赤マルもほどほどにパチンコなども行かずに、細々と生きながら、次こそは焦らず、犯した罪の大きさにふさわしい素晴らしい小説を書いてくれることを期待している。
    もちろん、次で最後だと胆に銘じよ!
    どんなに太田出版にせっつかれても、自分の意志を持ち、しっかり時間をかけて書け!
    10年後でもいい。
    それが被害者への一番の罪滅ぼしになるだろう。
    書いて、生きよ!

    全ての文学青年へ捧ぐ!
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