マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    黙祷(もう何人目だろう……)

    また知人の訃報が届いた。
    もう何人目だろう。
    もともと涙もろい私だが、さすがに、こんなに多いと、この頃は、自殺も寿命、と思うようになった。
    事故も自殺も病気も、全部、寿命。
    そう思わずにはおれないというわけではなく、自然とそう思えるようになった。
    無論、全く悲しみがないといえば、嘘だ。
    だが、帰り道に、蝉の抜け殻を見た時と同じ、車道に猫の死骸が落ちていた時と同じ、そのような悲しみだ。

    彼は45歳であった。
    とあるSNSで出会った。
    それから私の読者だと公言してくれていた。
    東京の人で、文学フリマには一度だけ来てくれた。
    その後は、メールとスカイプでのやりとりで、毎号、私の著作を購入してくれた。
    彼は、独り身の実家暮らしで、糖尿病と鬱病を患ったひきこもりだった。
    私が電子書籍に移行した理由には彼の存在が大きくあった。
    世の中には外に出られない人も大勢いる、と彼が教えてくれた。
    肉体的にも精神的にもいつ死んでもおかしくない状況のなかで、どうにか生きている人がいる。
    それが、初対面から今までの、彼の印象だった。

    一度、彼の体調が良いときに、蒲田のカラオケboxで二人きりで歌ったことがあった。
    彼は憂歌団の掃除のおばちゃんを歌った。
    私は岡林信康のくそくらえ節を歌った。
    次に彼は高田渡の『生活の柄』を歌った。
    ならばと私は自衛隊に入ろうを歌った。
    すると彼は友川カズキの歩道橋を歌った。
    私は死にぞこないの歌で返した。
    とても楽しい時間であった。

    「次回作、楽しみにしてるよ」
    彼はいつもそう言ってくれた。
    私はしばらく回り道しながら模索しているところであった。
    私の読者はほぼ精神病患者だ。
    そうでなければ発達障害かパラノイアかひきこもりである。
    「鬱病につける薬はない」
    私は冗談めかしてそう言った。
    「鬱病以前に人間だから。良いものは良いと思う」
    彼はどこまでも真面目にそう言った。

    いつ見ても痛々しかった。
    彼の訃報は、悲しみよりも、安堵の方が強かった。
    ただ私は、一人の読者を失い、読んでほしい人を亡くした。
    何の確証もなく、辛い人生を生きろ、ということはできない。
    だが「少し待ってほしかった」というのが本音だ。

    「結構、待ったぜ」
    彼の声が聞こえてくる。
    「いや、あとちょっとね。世界をひっくり返すほどのもの、新しい世界を提示するものが、完成するのだぞ」
    全く確証はないが、彼に訴えかける。
    「そうか、じゃあ、楽しみに、あの世で待っとくよ。きみの言葉を借りて言うなら、それが本当の文学なら時空を超えて生死を越えて宇宙の核までたどり着くんだろ?」
    彼は生きているときよりも穏やかな表情をしてそう言う。

    「ああ」
    私の肩にまた一つ、一体の背後霊がとりついた。

    黙祷。




    ※あの日彼が歌った『生活の柄』は今でも心に響いている。

    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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