それはともかく、見沢知廉との再会

    8月は見沢知廉特集という感じで、『天皇ごっこ』と『囚人狂時代』を立て続けに読んだ。『天皇ごっこ』は思ったよりも酷かった。1994年だったか、新日本文学賞を受賞した同名作に6倍の加筆をして一作の作品としていたのだが、さすがに加筆しすぎだった。こりゃ見沢さん無茶だ。最後の章には、一水会関連で鈴木邦男などと共に北朝鮮へ行った話しなども付け加えている。もう、小説も何もなくなった。『天皇ごっこ』が一体何であったかすらわからない。もう見沢さんには関係ないようだ。むちゃくちゃだ。
    それはともかく、何を隠そう、見沢知廉という人は、私が初めて生存する現代作家として身近に感じた人だ。というのも、同じ現代文藝という同人誌にいたからだ。いたといっても私はまだ十代で、それこそ右も左もよくわからずに、文学界に広告を掲載していた現代文藝研究所に気軽に入会しただけであった。一月に一度小説を提出する。そうして一年に一度作品集が送られてくる。そこに見沢知廉さんの作品が掲載されていたのを覚えている。あとは藍川京さんなども覚えている。その二人を何で覚えているかよくわからない。まだ有名になる前だったような気がする。ただはっきり、これはかなり悔しい思い出なのだが、見沢さんや藍川さんの小説を読み、「おれダメだ、まだまだ発表するの恥ずかしい」と思った。誰にも言わなかったが、胸中で負けを認めていた。とにかく文章が良かったと記憶している。商業出版された見沢さんの小説は特に美しくない平凡な文体だが、同人誌の時は美文だった(気がする)。どうにも現物が手元になく、おぼろげな記憶をたどるしかない。というのも、数年後、22歳頃だったか、部屋に古本屋を呼んで、当時多分2~3000冊以上あった蔵書を全て売り払ったのだ。立花隆並みの壁一面の本棚に読み終わった本を並べていく過程で、本を読むことが目的か、読み終わったあと本棚に本を並べうっとり眺めることが目的かわからなくなったからだ。うっとりと本棚を眺め、しばらくすると「うーん、どうもロシア文学が少ないな」などと思う。すると、次の日、トルストイやドストエフスキーなどを適当に買い一応読んでから本棚に並べる。次の日は「アジアが一つもないじゃないか」とはたと気づく。「これは良くない」と思う。(何が良くないのか今ではさっぱりわからないが)急いで魯迅でも適当に買って何となく読み本棚に並べる。そういう作業をしていて、ある日、気づいた。これでは本棚の奴隷じゃないか。どちらが主人かわからない。本棚に本を綺麗に並べたい、どうでもいい美学だ、もう一種の強迫観念だ。本末転倒じゃないか。あほらしい。それで、全ての本を処分し、本棚を捨てることにした。部屋にあがりこんだ古本屋の主人は、本棚の本を値踏みしながら、こう言った。「いやはや、すごいですね。通常文庫本は買わないんですが綺麗に揃ってますから買わせてもらいまよ。あっ、これ、現代文藝じゃないですか」古本屋はしゃがみこみ、本棚の一番下段にあった三冊ほどの『現代文藝作品集』を指差す。「ええ、知ってますか」「もちろんですよ、見沢知廉も載ってますよね」「ええ、そうですね」古本屋は本をぱらぱらとめくり「これ、あなたの名前ですか。あなたの作品も載っているんですか」「いえ名前だけですよ」私は古傷を触られたように心が疼いた。田端先生が「きみの、あの作品良かったから、載せようか?」と言ってくれたのだが、私はそれこそ見沢さんや藍川さんなど他の執筆陣の作品を見て、自分の小説の技量に嫌気がさしていたから「まだ未熟なので恥ずかしい」と断ったのだ。それから見沢さんは『天皇ごっこ』で一躍時の人となり私にとっては古傷みたいな嫌いな作家になっていた。「同人誌ですが売れますか」私が聞くと、古本屋は「もちろん、見沢さん載っているしね」と言った。なにが見沢だ、勝手に持っていけ、ばかやろう。私は腹の中で自身の不甲斐なさを見沢という名に変えて蹴り飛ばした。今となっては惜しい。見沢研究の為には、あの同人誌の作品がいる。もはや、どこにもないだろうが、私が売った『現代文藝』には、白紙の部分に「エリエリラマサバクタニ」だとか「我より後に来る者我が死を最大限に利用してください」などと落書きをしていたのだった。持っている人いましたか!ええ、それ、私が売った、私の落書きなんですよ!
    それはともかく、見沢知廉とは、そういうことから、古傷であり、20年前の嫌な記憶だ。当時、嫌すぎて、合法ドラッグといわれていたマジックマッシュルームの食べ方やドラッグ代わりに咳止めシロップを一瓶飲めばぶっ飛べるとか書いていた面白い雑誌『GON』に連載などはじめても、私はそのページだけ読み飛ばし、『天皇ごっこ』も『囚人狂時代』も読まずにいた。無論これには井伏鱒二が言ったとされる太宰治への「同時代の作家を読むな」という教えの影響もある。しかし、もう10年も前に、見沢さんは自殺した。もう同時代ではないだろう。それに、20年という節目で、どうにも読んでおかないと我が青春に悔いが残ると思った。色々と決断して今回読むことにした。改めて読んで、はっきりわかったことがある。それは私がこの20年で成長していたことだった。人間としては後退しているかもしれないが文学に関しては格段に進歩している。20年前、この人すごいな、と思っていた見沢知廉の本を読み、全てがわかり、いつの間にか気づけば、小説に関しては私の方が上になっていた。長生きして良かったと素直に思えた。
    それはともかく、そういうことで、見沢知廉は、私にとっては、文学の人である。だが世間の大方の人は政治活動家として見ているらしい。左翼から転向し新右翼の一水会へ入り一水会時代にスパイ粛清事件という名の殺人罪で12年服役。鈴木邦男は今でも見沢見沢と言っている。
    鈴木邦男・40年を迎えた一水会
    それは何故か。色々見ていて気づいたが、ただの友人、同志というだけではない。つまり、こういう理由だろう。一水会にはいつでも人を殺せる人間がいる。それが言論に力を与えてきたからだ。赤尾敏の日本愛国党だってそうだ。それを鈴木も見沢も知っているからだ。
    『天皇ごっこ』の中にもそのことが書いてある。

    「ブタ野郎どもめ……テロで世の中は変わらない?きれいごとだ!浅沼を殺らなきゃ社会党が政権を取ったろう。嶋中事件や本島や赤報隊がなきゃ、マスコミはイギリスみたいに皇室をセックスジョークのネタにしてるだろうよ。右翼がいくら屁理屈こねまわしても、新聞もテレビも、絵にならねえと相手にしやしねえ。マスコミが、右翼右翼とおだてんのも、企業の総務がびびるのも別に右翼のオツムが怖いからじゃねえ……暴力……テロル……その幻覚に怯えて金も敬語も出んだよ。……そいつを、また、おもいしらせてやる」
    『天皇ごっこ』第二章の二より


    現在、思想右翼として新右翼をリードしてきた一水会は『脱右翼宣言』をした。
    一水会独自活動宣言
    もともと見沢さんがいる時から、もうはじめから、右翼も左翼もない国を憂える思想集団であるのだから、特に驚くことは何もないだろう。
    鈴木邦男・一水会「脱右翼宣言」のこと
    見沢知廉というペンネームも三島好きからだとのことだ。見沢さんは『調律の帝国』で三島由紀夫賞の最終候補になった。さぞかし嬉しかったことだろう。以下のサイトに、その時の選考委員の評が掲載されている。石原新太郎、筒井康隆、宮本輝などが、見沢さんの小説を「ダメだ」と書いている。特に、宮本輝は鋭くて厳しいね。これは見沢さんもかなり堪えただろうと思う。何かの本で読んだが宮本輝はすぐ怒る恐い人だとのことだ。どうでもいい話だが輝という名前がいいから何冊か読んだことがある。特に宮本輝の小説で面白いと思ったものは一つもないが、それは私の問題で、宮本輝の問題ではないのだ。私は私、輝は輝、そういうことだ。
    第十一回三島由紀夫賞・選評
    それはともかく、鈴木邦男は、「私が見沢を殺したのか」と書いている。私は、そうだろう、と思う。見沢さんを文学者として羽ばたかせないように新右翼という籠の中で飼っていたのだ。それは何の為か。一水会の為だろうし、新右翼の為だろうし、国の為なのだろう。上記のように、言葉に力を与える存在であった特攻隊長的役割である見沢がいる限り一水会は何かあれば人を殺すという言論の向こうに暗黙の脅しが成り立つからだ。一水会がここまでやって来れたのは見沢さんのおかげである。鈴木邦男はわかっていながらとぼけているのだ。
    鈴木邦男・見沢知廉追悼文
    だからこそ見沢さんはスパイ粛清事件について書けなかったのだ。真実はスパイでも何でもない、ただの妄想から発したリンチ殺人である。殺された人物が自身の配下の人間であったというせと弘幸という人がブログにこんなことを書いている。つまり、鈴木邦男もわかっている。
    せと弘幸ブログ・スパイ粛清事件の真相
    だからこそ、見沢は書けなかった。はじめ執筆時の嘔吐などは自己の罪と向き合うことへの拒否反応かと思ったが、そうではないと私は結論づけた。それは鈴木邦男への恩義だ。人間関係の蜘蛛の巣に一人の作家が絡めとられ身動きが出来なくなった。書けば今まで築きあげてきた一水会は、鈴木は、どうなる。そう考えざるを得なかったのだろう。よくいえば優しさ、悪くいえば弱さが、見沢さんの筆を止めたのだ。文学フリマ界隈でもこういうことはよくあるだろう。私くらいだろう、小説といえども罵詈雑言の挙句に殺せるのは。それが作家魂だからだ。だが鈴木と見沢の関係はそれ以上だ。私だって書けないこともある。書けないのはわかる。だが、書かなければ、作家としてダメなのだ。どこにも行けないのだ。書くしかないのだ。だから本当は兄である鈴木邦男はこう言うべきだったのだ。「今までありがとう。もう好きに書いていいよ。一水会が消えても、おまえの文学が残ればいいんだ。思想が残れば本望だ」と。
    まあ、無論、これは全部私の妄想だ。では、なぜ、私が、こんなことを妄想したかというと、私はただ、私の20年間にけじめをつけたかったからだ。私の青年期の文学に区切りをつけたかったからだ。それはなぜかというと、なんと、あと4ヶ月ほどで40歳になるからである。今は太宰治が死んだ歳であるが、あと少しで太宰治より長生きになるのだ。恐ろしいことだ。だが大丈夫だ。私は20年間で恐ろしく成長した。大げさに言えば50億年の生物の歴史ほどだ。
    見沢さんが生きていれば、読ませたのに、残念だ。見沢さん、私の天皇3部作は、『天皇ごっこ』よりも、面白いんだぜ。ゴシップだが、ゴシップではない、文学の自信があるんだぜ。でも、見沢さん聞いてくれ、大坂文庫の上住断靱が気弱なせいで世には出ていないんだよ。もし右翼左翼皇室問わず、興味がある方がいれば、大坂文庫に問い合わせてもらいたい。
    それはともかく、再三書いているが、8月29日、『おおいた・ことばあそび界』にぎにぎ代表が、大分市内で『第二回大分ポエトリー』を開催する。私は、そういうことから、天皇3部作の中から『雅子さん愛子ちゃん救出大作戦』を朗読するつもりだ。会場は入場無料。沢山の人に来てもらいたい。特に右翼がダメとか左翼がダメとか、そういう決まりもない。だがデモとか街宣車とか妨害だけはやめてほしい。政治理念もくそもない文学の集いなのだ。私は私の作品を朗読するだけです。主義主張ではないのです。だから、ネトウヨは無論、新右翼や、ヤクザみたいな右翼などなど、どんな右翼からの抗議も受け付けません!これは小説なのだ、文学なのだ!笑い飛ばしてくれれば、それでよいものです。私は自信を持って声高々に叫びますよ。
    「マッサコゥ!」と。

    第二回大分ポエトリー・お問い合わせ先
    代表にぎにぎ
    niginigi4649nagato@yahoo.co.jp
    おおいた・ことばそび界ページ


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