今日の悟り4

    朝起きて、中井久夫の『治療文化論ー精神医学的再構築の試みー』を少し読み進め、部屋着のまま近所のコンビニにわかばを買いに行った。帰宅後、焼酎を飲みながら競輪ライブを見る。今のところ賭ける金はないが予想だけをして夕方まですごすのだ。

    夕方から部屋の片づけをする予定だ。現在、ダンボール5個に物をつめたところで、まだまだ物がある。物をつめる過程で「いる・いらない」の選択をすることになる。誰しもそうだろうが、この時の取捨選択は、完全なる自己基準である。人から見たら「いらないもの」も自分にとっては「いる」のである。この作業をしていると自分が何を大事にしているのか、とか、私とは何なのかが自ずと見えてくる。前世のことは思い出せないが、今生においては何度も転居をしている。つまり何度も取捨選択をしているわけだ。それで明らかに使用もしないし飾るわけでもないのだが、ずっと持ち続けている物がある。この捨てられない『ある物』に対する想いこそが結局のところ我が人生の根幹なのであろうと思う。

    あのメールの末尾にある「iphoneから送信」という文字に嫌悪感を覚える。全くもって無駄な情報だろう。純粋な言葉のやりとりであるメールに企業の宣伝が入っている。不愉快である。このことを何とも思わない精神性を危ぶむのは私だけであろうか。メールの末尾に自動で出るのだが、消そうと思えば消せるものだ。それをそのまま送ってくる人間性への不信感を覚える。その人がどのような優れた人物であろうと、この一点において、この人物の限界が露呈していると感じる。今時iphoneなど持っていても逆に恥ずかしいだけだ。あらゆるコンテンツに対する時、そのコンセプトに対する意識の希薄さを、無意識に人は露呈している。それがそのまま実人生の希薄さをも露呈している。要は考えが足りないのだ。一言で表すならば阿呆である。

    アパートの前で作業をしているペンキ屋のおっさんから声をかけられた。
    「いつも家にいるみたいだけどウチで働くかい?」
    「いや、しばらく休む」

    最後に。
    心配ありがとう。


    今日の悟り
    ジャイアント馬場がいたからアントニオ猪木は自由にできた。萩本欽一がいたからビートたけしは自由にできた。志賀直哉がいたから太宰治は自由にできた。現代には王道がなく王者がいない。それでも自由にやりたいならば。ただそれだけのことである。


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