マイペース・マイワールド

    金持ち喧嘩せず

    私の時間ー定時法と不定時法と相対性理論についてー

    一昨日寒くて朝遅刻した。
    起きたのは起きたが、寒くてコタツから出られない。
    コーヒーと煙草を吸いながら、ぼんやりしていた。
    こんな寒い朝に外に出る気にならない。
    「2時間くらい遅れる」
    そう会社に電話し、昼前に出勤した。
    昨日は寒くてもう休んだ。
    起きたのは起きたが、寒くてフトンから出られない。
    こんな雪が舞う寒い朝になぜわざわざ起き上がらなくてはいけないのか。
    「風邪をひいたから今日は休む」
    そうして専ら定時法と不定時法について考えた。
    遅刻とはなんぞや?
    なぜに日も出ていない朝から動く必要があるのか?
    そもそもよく遅刻するタイプの人間なのだが、それの何がいけないのか長年わからなかった。
    だが、学校や仕事など、時により休日の遊びにおいてすら、少しでも遅れると他の人々はどうにも怒りがちである。
    あほめ、時間に対する考え方が硬直しているのだ。
    私は彼らに呆れていた。
    そんなところに先日ようやく長年の疑問に答えてくれる本と知り合うことができた。
    その名も『遅刻の誕生ー近代日本における時間意識の形成ー』という本だ。
    ああやはり彼らは洗脳されていたのだと知って安堵した。
    可愛そうにと同情した。
    もともと遅刻などという概念はなかったのだ。
    寒い朝に無理して起きる必要もなかったのだ。
    これでようやく長年の私の正しさが証明された。
    明治5年、突如この国は新暦を採用し定時法でいくと法律で決めた。
    それだけだ。
    そうして明治の終わり頃には、様々な洗脳により、定時法だけを時間と思い込むようになっていった。
    それだけだ。
    挙句には現代では時間は一つと思い込むまでになった。
    本当に人間というのは単純だ。
    バカの一つ覚えとはまさにこのことだ。
    彼らは常にもともと押し付けの制度をあたかも自身の考えのように吹聴し常識といい良識という。
    そんなバカに告ぐ。
    本当は時間はいくつもあるのだ。
    もともと悪天候の時は外に出ない、日が出なかったら寝とくのだ。
    そうして、不定時法が農作業に適した旧時代のものというだけではなく、定時法が最新鋭の時間管理法というわけでもないのだ。
    この大発見を知人のフリーランサーに語ったら、
    「そういえばアインシュタインが相対性理論って言ってたけどアレのこと?」
    と問い返してきた。
    全く思いも寄らなかったが、
    「え?ああ、そういうことだ」
    と思わず答えてしまった。
    しかしながら、アインシュタインはそういうことを言っていたのかと今さら気づいた。
    全くその高名な理論を知らずとも日常生活のなかで私は同じ発見をした。
    やはり私が正しかった。
    グリニッジ時を世界標準時にすると明治時代に定めただけだ。
    勝手に定めよ。
    我々はそんな窮屈な制度には従えない!
    相対性理論がでてきたのは大正時代だ。
    あれから百年、時間は一定ではなく変化することを知りながら不問にふすのか人類は!
    まあいい、アホは放っておこう。
    さて、そう考えると、明治5年まで日本で使用されていた不定時法の方がより科学的だったのだ。
    不定時法では日の出日の入りにより春夏秋冬により地域により時間は伸縮する。
    結果的に相対性理論と同じなのだ。
    さらに進化させれば個体により時間は違い、時間は個人に委ねられることになるはずだ。
    正しさとはこういうことだ。
    私が遅刻したとしても仮病を使って休んだとしても何によってそれを裁くのか。
    間違ったモノの考え方で裁くのか。
    もしそのことにより私の言動を不快に思うのなら、不快に思ったその者こそが裁かれるだろう。
    学校教育の犠牲者であり、産業革命後の哀れな機械仕掛けの人間だという証明になるにすぎないのだから。


    参考書籍



    Posted by 椰子金 on  | 6 comments  0 trackback

    6 Comments

    小倉風太 says...""
    面白いです。確かにアホばかりだ。人間は別に出生率1.8%の為にあるのではない。政治もアホだ。狂いきった現代にこそ、森井さんは、そのままで、狂わないまま、何か本を一般市場に出して、村上春樹とかと喧嘩して欲しい。僕も努力中。ゲーデルの数学の不完全性定理と、ナーガールジュナの相対性理論などを今勉強しています。あとは、ブランク。(笑)
    2016.01.26 19:31 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."小倉君へ"
    コメントありがとう。
    勉強熱心でなによりです。
    ただ少しばかり危惧しました。
    私はもうかれこそ何年にもわたり小倉くんを見てきました。
    今も昔もとてもユニークな人です。
    そういうユニークなところが天性です、いうなれば素質です。
    ただ前にも言いましたが、幾分、長い迷い道に入っていますよね。
    日本はもとより世界地図の上を全裸でのたうち回っている印象があります。
    振り返ると、それは、西洋哲学を齧りはじめてからではないでしょうか。
    思い出すと本当の小倉君は鋭い直感者なのではなかったかなと思います。
    だとしたら、西洋の合理主義が合わないのでしょう。
    そもそも日本人ですしあちらとは歴史も環境も違います。
    旧暦ではまだ年が明けていませんしね。
    そんな偏ったものを人間の普遍性などということ自体に無理があるのではないでしょうか。
    そうだといって今度は日本を合理的に捉えようとしたらダメなんですよ。
    それhミイラ取りがミイラになった状態、鏡みたいなもので、どこにも行っちゃいませんからね。
    まあそれはよいとして、そう考えると、小倉君の奇妙な捩れの要因がハッキリします。
    肌に合わない合理主義の過剰摂取で気がふれかけているんですよ。
    あの時はわかりませんでしたが、そういう意味で、前にJASONさんは「しばらく本を読むな」と仰ったのかもしれません。
    勉強もやりすぎると内面をぐちゃぐちゃにします。
    だとしたら、こうなったらとことん合理主義を排した方が良いでしょう。
    これからのモットーは『非合理ゆえ我信ず』です。
    感性感性と連呼するアホも嫌いですが、それよりも合理バカはもっと嫌いなのです。
    もう30をすぎたのですから、自身の直感を信じ、自分の言葉で語ってください。
    金は天下の回り物ですし、人間万事塞翁が馬です。
    金がある時は奢ります、無い時は奢ってください。
    自分の言葉というのは、すらすらでなくともよい、朴訥でよい、心の底から沸き起こる愚直なままの言葉を紡いでくださいって意味です。
    それはそうと。
    話は変わりますが、確か元特攻兵のお爺ちゃんは阿蘇ではなかったでしょうか?
    私もいま何の因果か阿蘇にいます。
    もし帰省の際は是非お声をかけてください。
    ただその際は、携帯電話は止まりがちなので(今も止まっていて再開の目処はたちません……)、ブログかniftyメールに連絡下さい。
    たまには芋焼酎でも飲みながら阿呆話でも致しましょう。
    なんだかんだ言っても世の中で一番の阿呆は私と小倉君ですね。
    もちろん阿呆だからこそ世間を阿呆という資格があるのです。
    これは言わずと知れた太宰治の方法論でした。
    最後になりますが、愚直にコメントに答えると、今のところ村上春樹に勝てる自信はありません。
    あの方もまた阿呆のレベルが高いですからね。
    いま大江健三郎を本格的に読み始めましたが、これまた阿呆の一級品ですしね。
    夏目漱石も阿呆ですし、そう考えると阿呆レベル=文学レベルですね。
    色々な文学がありますが、『世界』を扱う文学は阿呆の見本市です。
    『世間』を扱う文学はおバカレベルですね。
    馬鹿と阿呆、オバカとドアホ、人それぞれ好みはあるでしょうが、私は阿呆派です。
    これからも日々阿呆に磨きをかけていく所存です。
    小倉君も日々阿呆のレベルアップにつとめてください。
    いつの日か(期待と予言をこめて命名した)大嵐雷太になって全てをぶっ壊してください!
    最終的に阿呆の一等賞は誰か。
    それこそが文学の文学たる所以であり醍醐味です。
    2016.01.29 15:07 | URL | #- [edit]
    小倉風太 says...""
    次は奢るべくお誘いの連絡で綺麗に、と考えたのですが、たまらず、一報を差し上げます。
    僕も金にいよいよ困り、将来に対する家庭建築への欲望に必要な金が欲しいなあ、と考えがちです。農業のみをやっていては、とうてい、奥さんを専業主婦になどできない。日曜日の休みも不定期だ、何故なら、作物栽培に、曜日など関係ないからだ。曜日とは文明の賜物だが、その文明は、一握りの、第一次産業に従事する人間を無視しながら、世の中のアホどもは、連休が云々と、ほざく。ならば、毎日、食事をしないが良い。米も麦も食わないが良い。と思うが、あいつらは、平気で、外国のカカオ生産者の苦労に目をつむり、価格の安いチョコレートを貪り食らう。文明の空転とはこれであり、次に、それをわかりたくないのは、いつも、男性である。女性はそれを本能的にわかっている、だから、女性は、男子の、厳しい言葉を、実は、待っている。小言で今を慰めながら。
    西洋合理主義に僕が毒されたとは、本当です。ソクラテスに縛られ過ぎている。現代数学者も、ソクラテスはタブーっぽい。西洋合理主義とは、ソクラテスです。あの一人を考えればすむ。
    しかし僕は、かなり先を、実は歩いていまして、大抵、わかっているつもりです。
    金銭の無さが生む、苦しさ。社会的信用を根本から失うという、苦しさ。この苦しみは、十代で人を殺し、死刑ではなくて、懲役になって、刑期を終えた者が、一番、よくわかっているでしょう。が、それは、一部の選ばれた者で、彼らと一般人を結ぶ橋も、我々、文学者の役目だろう。
    文学は、読書の知的好奇心に応じ、よくわからない最先端の文明を、おもしろおかしく、わかりやすく、翻訳して、一般化する、仕事も抱えている。
    恐るべき小説家は、いつも全力投球である。本を読むな、という否定はない。読めばいいんだ。西洋も東洋もない。そんな俳中律は、僕はとうに卒業しています。のたうちまわればいいのだ。無様で良い。現代の文学者は、無様でなければいけない。生き延びることなど当然だ。ハエを食って生きるのだ。私生活を安泰にしてから、さて、芸術を。など、誰も認めない。それは姑息だからだ。一作入魂、という狂気の基本を、我々、アホは、肝に命じなさい。
    長くなりましたが、こんな感じの日常です。
    死の魅惑の前まで、死以外の魅惑を探している。
    上の一文が、今の僕のすべてです。また会いましょう。
    2016.02.01 19:39 | URL | #- [edit]
    羽林(小倉)風太 says...""
    https://note.mu/chachako/n/n5f609e0fccaf
    何故? つながりで、試しに、こういうのもあります。色々とありますね。最新情報なので載せておきます。(笑)
    2016.02.12 20:22 | URL | #- [edit]
    深月 says..."遅ればせながら失礼致します。ミヅキと申す者です。"
    初めまして。

    このホームページを一月ほど前見つけて見てました。
    すべて読んだ訳ではないのですが『何故』という冊子いまも継続していますか?

    遅ればせながらわたくしも、参加したいと考えております。
    当方インターネット歴十三年ですが、検索などが不得手でツイッターなどの時代に置き去りにされております・・・。

    いわゆる念写のような写真の撮影が得意で、スピリチュアルな詩(ポエムのようなもの)を書きます。

    在野の人生哲学者を名乗っております。

    どうぞ、ご回答宜しくお願い致します。
    2016.02.13 01:55 | URL | #22hNL7Yc [edit]
    森井聖大 says..."Re: 遅ればせながら失礼致します。ミヅキと申す者です。"
    深月さんへ

    コメントありがとうございます。
    質問の件ですが、現在『何故?』は活動休止しております。
    一応休止中としているのですが再始動が現世であるか来世であるかも未定な状況です。
    せっかくお申し出頂いたのに申し訳ないです。
    念写のような写真?やスピリチュアルなポエム?が、一体どのようなものなのか想像すらできませんが、これからもどうか創作活動を続けていってください。
    ありがとうございました。
    2016.02.13 23:23 | URL | #- [edit]

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