マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    おキヨへ

    今回のおキヨの報道を見て私は確信した。
    40歳突破論を早急に著す必要があることを!
    まずはじめに前回までのおさらいをしよう。
    40歳転機説を簡単に説明する。
    40歳転機説は40歳を契機に転機が訪れるという説だ。
    だが、それは、40歳になれば自然と変わるというものではない。
    自らが「まだ生きる、さらに進む」という一点を意識した時に訪れる能動的な転換点なのである。
    その前提にあるのは無論40歳という心身ともの衰えである。
    だが、それだけではない。
    40歳まで懸命に生きた者にしか訪れないからだ。
    そういう者の前に、極めたと思った者の前に、自らが進んできた道の前に、立ちはだかった壁。
    ここから目を逸らさず、この壁を突破すること。
    すなわち40歳転機説は、壁を意識し、突破しようと欲した時に起こるのだ。
    そうしてここから自らの内部では40歳突破論へと移行するのである。
    今回最大の要因はおキヨが40歳に訪れた転機を突破できなかったことにある。
    さらに詳しく言うと、気づき、意識したが、変えなかったことにある。
    転換することなく、助長することで、突破しようとしたことにあるのだ。
    ピアスや刺青やメジャーリーガーのようにと巨大化させた肉体改造、ここに見て取れるのは、40歳での心身の衰えを、体でのみカバーする方法だ。
    これは心を置き去りにする方法だ。
    多分おキヨが体でのみ乗り越えようとした背景には、アニキと慕ったとされる長渕剛氏の存在がある。
    皆さんも知ってのとおり、長淵氏は40歳の壁の前に立った時、それまでの華奢な体から一転バカみたいにも見える肉体改造をやっている。
    同じく壁を前にしたおキヨは、これが成功しているように思えた。
    だが、多くの人が直感として感じているように、長淵氏は決して成功していない。
    説明は要らないだろう。
    どうみても格好悪くなった。
    何だかただの筋肉バカになった。
    まるでゴリラみたいになった
    それだけである。
    そうして世間的な同じくゴリラみたいな者たちへ受け入れられただけだ。
    しかし、ゴリラ族からの人気ぶりを突破と勘違いし、その姿を見たおキヨも「これでいける」と思ったのだろう。
    この失敗は心を置き去りにしたからである。
    40歳突破に必要なのは体ではない。
    むしろ心なのである。
    あるいは気なのである。
    体だけを鍛え力を得ても心は萎んだままだ。
    そうしてダメ押しで体の成長を心の成長と思い込むのだから始末におけない。
    長淵氏を見ても明らかなように、むしろ体を鍛えることで、心が萎縮するのだ。
    心とは気だ。
    精神力だ。
    肉体の力は肉体の力でしかない。
    精神力とは関係がないのだ。
    だからこそ胆に命じよ。
    鍛えるのは心なのだ。
    精神なのだ。
    寺山修司や太宰治など肉体の非力さをカバーするように精神力を巨大化させた。
    ここで我々が気をつけなければいけないことがある。
    それは。
    あまりに肉体を軽視すると道半ばに細胞そのものが枯渇するということ。
    それでも40歳から自分まで騙すような筋肉を作ってはいけない!
    誰にもわからないほどの、自分にすらわからないような、秘かなインナーマッスルが良い。
    それは日本古武術における伸筋力だ。
    胆に命じよ、屈筋力より伸筋力だ!
    無論それ以上に心!
    ホームランを打つばかりが野球ではない。
    もう一度、野球道を極めて欲しい。
    これからの人生は、もう迷うな。
    私の道がただ一本しかないように、おまえの道もただ一本しかないのだ。
    ここまで書けばわかってもらえただろうか。
    40歳突破論とは、全ての道を消し、この自らのたった一本の道をのみ歩くことにある。
    おキヨよ、いつまでもたった一度のドラフト会議を生涯ひきずって何になるのだ。
    同じように牟礼鯨も文フリなんぞをひきずって何になるのだ。
    前を見ろ、その命を見つめろ。
    それはさておき。
    面白い動画を見つけた。
    おキヨのことを見るたびに物悲しさを感じるのは私だけではないだろう。
    だんだん鬱陶しく感じはじめた。
    こういうギャグくらいで丁度良いのだ。
    どうせ他人の話だ。
    その道を生きるのは紛れもなくおキヨだけ。
    進め、進め、自らの野球道を!


    この動画はおキヨ逮捕の前、去年の8月にアップされている。
    私はこの動画を作った者を知らない。
    ただバカバカしいがバカではないことだけはわかる。
    これが噓でも本当でもどっちでもいいのだ。
    阿呆で良い動画である。



    おキヨへ文キチ和尚より

    Posted by 森井聖大 on  | 2 comments  0 trackback

    2 Comments

    羽林風太 says...""
    尾崎豊が懐かしくなります。
    2016.02.17 19:38 | URL | #- [edit]
    深月橸舜 says..."下の名前は「まさとし」と読ませます"
    絶望し切っている者の顔は、明るい。我は、丸顔。

    生まれながらにして真の絶望者なり。
    (時は金なり、その時の「なり」はイコールの意であるが・・・)

    その自覚のゆえ、キルケゴール的に言っても真の絶望者であるのだ。

    そんなわたくしめも、街中の立体駐車場のターンテーブルの上、車上でクルリ半周ほどターンしながら、どこからか微かに聞こえてくる精霊の声を感受致しました次第であります。

    御社ホームページのコメントにもありましたように、踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損損、という・・・。

    しかし、わかりました。
    コメント失礼しました。
    2016.02.18 11:00 | URL | #/.OuxNPQ [edit]

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