マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    警察との会話「あなたが宇宙最後の文学者ですか」

    ブログ記事通報の詳細は『錆助通報事件の真相』を読んでもらうとして。

    錆助通報事件の担当官だというS氏は開口一番こう言った。
    「あなたが宇宙最後の文学者ですか。ともかく錆助曰くシリーズの●●●●●●で×××××をぶっ殺す!というあのブログ記事を削除して欲しい」
    「何故だ?」
    S氏はこう続ける。
    「まるで犯行予告じゃないですか。人に誤解を与えます。現に通報きてますし。今後のこともあるので警告しておきます。金輪際ぶっ殺すとかそういう危ない言葉の使用はやめて頂きたい」
    「それでは言葉狩りだよ?犯行予告か犯行予告のパロディかどうかくらい読めばわかるだろ?」
    「わかりますよ。ぶっ殺す=詩人としての引導を渡す、という意味でしょ。でも誰もが見れるのがネットなんです。最後まで読まない人も多い、言語レベルも人それぞれ、人の取り様も全く違うんですよ。森井さんのような大文学者の周りにはいないかもしれませんがね、日本語を解せない人もいるんですよ。ぶっ殺すという言葉はみんな知っているんですよ。でも意味までは読み取れない、そんな人も多いんですよ。国語教育の問題ですか。わたくしには何とも言えませんが、ともかく表現がよくないです。通報がきてるんですよ」
    「殺すとぶっ殺すの違いはわかるか?」
    「殺すより激しいのがぶっ殺すですよね?」
    「違うよ。〈ぶっ殺す〉は言語表現で〈殺す〉は動詞だ。映画やドラマみてもわかるだろ、ぶっ殺してやるよお!というチンピラは大体もう思う存分やられており最後の力を振り絞って破れかぶれで叫ぶだろ、大体殺さないし殺せない、行動を伴わない言語表現だからだよ、ぶっ殺すといえば言葉だけで済むから行動する必要性がない、だから傷だらけのチンピラは最後の力を振り絞り「ぶっ殺す」この言葉で行動しない(できない)ことを補っているんだよ。反面ただ殺すには殺意があり得るよ。何故かというと殺すと言うだけでは言葉として弱いだろ。だから行動を前提にしている、もしくは行動が必要になるのだよ。むしろ殺す可能性があるのは〈ぶっ殺す〉より〈殺す〉の方だ。だから〈ぶっ殺す〉は大丈夫。わかったかい?」
    「ええ、そういわれればそうですが、一般の人はそこまで考えませんよ。単語一つを取り出して反応する、そういう時代ですよ。誰もが文字は読めるんだから。意味はわからなくてもね」
    「しかし、ちょっとタイトル見て通報してきたような阿呆どもを一々相手してたらキリないだろ?」
    「ええ、実際キリないですよ。だからこうして一つ一つ問題を潰していくしかないんです」
    「それは警察の仕事か?きみはグリパトか?」
    「ええ、今のところそうみたいですね」
    「警察も大変だな」
    「ええ、大変なんですよ」
    「それで何の用だ?」
    「ええ、だから、あのブログをこのまま残しておくとですね、別の人がまた「ぶっ殺す」だけに反応してですね、通報なんぞしてきたら面倒ですからね、記事の削除をお願いしたいんですよ」
    「何を言っているんだ!それではまるで戦中の検閲や墨塗りではないか!きみは特高か!」
    「いえいえ、ただ今回、他にもですね、うんことかちんちんとかおまんことか錆助さん言いすぎなところもあるし」
    私は錆助を代弁し野暮を承知でS氏にこう説明した。
    「確かに、今回錆助は少し言いすぎたところもある、それは私にもわかる、でも、いいかい、九州の片隅でね、ずっと誰にも省みられない詩作を続けてきたんだ、そんな錆助の、そんな一途で純情な文学青年の、詩への、創作への、文学への、熱い情念を表現した言葉なんだよ、そういう男がだよ、年に一度開催される地元福岡での文藝即売会『福岡ポエイチ』に出店するんだよ、あんたにはわかるまいが、これまでの40年ばかりの恵まれない人生の全てをだして、詩を書くぞ!俳句を書くぞ!優れた作品集を出すぞ!とそれだけを生きる目標にしてきた男だよ、そう、一年もの間ね、ぶくぶく太るだけの家族を養いながらね、汗水たらして労働しながらね、どうにか貯金してね、印刷代を貯めてよ、仕事終わりや休日なんかも返上して、365日創作活動をしてさ、福岡ポエイチの為に生きてきたんよ、そんな時に谷川俊太郎が来るくらいでね、猫も杓子もチラシまでもがね、舞い上がってね、本来のイベントの主旨まで捻じ曲げてね、そんなことされたら、そりゃあ錆助に限らず誰だってそんな気持ちになるのじゃないかい、一年間もだよ、いや40年もの間だよ、ひたむきにやってきてね、この福岡ポエイチの為に生きてきたんだよ、そんな錆助の気持ちだよ、少しくらい荒々しい表現になったって仕方ないじゃないか、何が谷川俊太郎じゃい、となってもいいじゃんか、それで、詩人たちへ、いつまでも谷川俊太郎ではないんだ、俺たちで新しい詩を作るんだ、そんな気持ちを訴えたくなっても当然じゃんか、〈ぶっ殺す〉はそういう意気込みを表現した言葉よ、そんな錆助の一途な気持ちを応援してやってよ、一々アホ通報者の相手する必要ないよ、確かに錆助は言いすぎなところもあったよ、それは私からも謝っておくけども、でも錆助は間違ってない、誰が何と言おうとね、私は錆助を擁護したい」
    「ええ、わかります。錆助さんへの気持ちも、森井さんが宇宙最後の文学者だということも、よくわかりました。確か100年後か500年後の文学星から来られたんですよね。しかし今あなたが生きているのは現代社会です。法律もあります。あなたの方法論もわかりますよ。あなたの方が正しいのかもしれない。過去では良くて未来でも何の問題もないのかもしれません。ただ2016年のインターネット社会では許されないんですよ。わたくしは錆助さんも森井さんも犯罪者にしたくないんです。立派な文学者である二人を一方は刑務所一方は動物園の檻の中に入れるのは国家の損失ですよ」
    それから私とS氏はネットにまつわる言語問題について一時間ばかり意見交換をした。
    「今週いっぱい考えてみよう」
    「ええ、お願いします。当方としても令状とってまで強制削除や強制捜査なんかしたくないんですよ。それより何より宇宙最後の文学者を逮捕したくないんですよ。そんなことになればS家子孫末代まで残る汚点になりますよ」
    「うむ」
    S氏は警察にしてはなかなか面白い人物だった。

    まだ結論はでない。
    私はあれから数時間思案し続けている。
    ただ錆助が言った言わないの話ではないのだ。
    殺害予告とか何とかもアホらしくどうでもよいことだ。
    今回の事件はインターネットにおける言語問題や言葉狩りの現状そしてやはり文学の可能性の問題なのである。


     

    かつて僕らが忘れていた「人間」を、僕らの文学の中へ呼び戻すために、今日僕らの文学の足音が少しは乱暴に高鳴っても、致し方はあるまい――ということだけは、今ここで言い切れると思う。

    ー織田作之助『土足のままの文学』より


    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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