マイペース・マイワールド

    心持ち喧嘩せず

    さらばインターネット

    ●●●●●をぶっ殺すという一つの記事を削除してくれと警察から言われ、あれから一日ずっと考えていた。この20年間で、インターネットは、どうなってしまったのか。今から20年ほど前、1997年、立花隆氏の『インターネットはグローバルブレイン』という書物に出会った。インターネットという新たな人類の道具(ツール)に心躍らせたことを昨日のことのように思い出す。この書物には、まだ黎明期であったインターネットの、希望や可能性について書かれてあった。もし地球上にいる人類のほとんどが絶滅したとしても、インターネット(サーバー)さえ残っていれば、また人類は元の文明を取り戻せるということが書かれてあった。インターネットは人類の大いなる脳である、という主旨だった。その脳においては、リンクがシナプスであり、学術論文など先進の科学知識など誰もが閲覧可能である。リンク(シナプス)によりどこまでも広がっていく人類の知識と知恵の結晶となるだろう、ということだった。
    しかし、私が「ではアノ記事にリンクをはってフィクションですと書けばいいんじゃないか」と言うと、前述の警察官S氏は「リンクに飛ばない人がいる」と言うのだ。
    これでは単細胞生物である。多細胞生物である脳の機能を失っているのである。

    インターネットはようやく獲得したしがない個人の発言や表現の場でもあった。これまで、どのような言葉にも、私は、自らの発した言葉である以上、誇りを持ってやってきた。たった一つのコメントでもツイートでも、こだわりを持って、生きてきた。何故?のメンバーや、とある作家が、コメントやツイートを消せば、罵倒し注意した。言葉を扱う人間が自らの発した言葉を削除することは許されない。そう信じ、そう言い続けてきた。その行為は言葉を扱う人間として自らを否定することになるからだ。
    だが、今回、警察が一つの記事を消せ、と言ってきた。あれから20年、インターネットは、当初の希望とは全く違う方向に流れていったようだ。これは私にとっても、多くのインターネット黎明期にいた今では40前後の人間たちにも、多くの悲しみをもたらしたのだ。時にネットでの放言として犯罪者として逮捕されたりするのは決まって40前後の人間である。彼らを孤立させる結果になったのは、彼らが今なお黎明期のインターネットへの幻想を抱き続けていたからだろう。

    だがもうインターネットの可能性は閉ざされたのだ。

    私は、数年前『何故?8号ー夢ー』において、『無縁アパートとギミック島創世記』という小説を書いた。これはリアルとネットの話であるが、その中で、私は「ネットは酒場のようだ」と書いた。だが、ネットが酒場であったのは、もう過去の話のようだ。
    そのような空気を感じてはいたが、それでもなお私は新時代の小説を試みた。世の中の流れに抗するように。そして、いつしか国家までもが私のフィクションを事実と思うまでになった。だが、私にはよくわからない。警察と話したのだが、まるで商業出版社の編集者と話しているような感覚だった。私のブログ作品を熟読した警察がこう言うのだ。
    「この表現は変えるべきだ」「こうは直せないか」
    一体、何の話をしているのか、私の文章を何故警察に校閲されなければいけないのか。現代のインターネットとは、何なのか、戸惑うばかりだった。私の筆力があがったのだろうか。はたまた読者のレベルが下がったのか。どちらかというと後者だろう。ただはっきり言えることは、たとえ戯れの書であろうと、一介の戯作者として、自らの作品を削除することはできない。あの記事を削除することはどうしてもできないのだ。私は、様々な噓(フィクション)を描いてきたが、文学への信条には決して噓はつかないで生きてきた。事実でなくとも真実だ、というのがフィクションだ。フィクションでしか語れないことがあるのだ。だが、そんな私のブログについて、警察当局が口出しをしてくる世の中になった。挙句には、罪名は色々適用できる、逮捕するぞ、と脅してくるのだ。

    このようなネット世界になってしまった以上、この世界に、もはや私の居場所はない。

    Posted by 森井聖大 on  | 0 comments  0 trackback

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