マイペース・マイワールド

    金持ち喧嘩せず

    国語辞典には載っていない言葉の意味について

    いよいよ、明日、警察署へ出頭することになりました。
    それで、一つ、例文として、去年の福岡ポエイチで販売し、その後電子書籍化した詩集『人間よ去れ』から、今回の事件にも関連するわかりやすい一編を掲載しておきます。
    警察の方は、あれから毎日、このブログをチェックしてくれていますから、あらかじめここに書いておくことで、限られた時間のなかでお互い有意義な時間がもてるのではないかと思った次第です。

     

    コロス

     
     殺すコロスころす
     おまえを殺す
     殺して殺して
     殺して殺して
     ころして
     コロシテヤル
     ぶっ殺してやる
     だが決して死ぬな
     おまえ殺すのが
     おれの生きがいだ



    森井聖大『人間よ去れ』より



    さて、問題です。
    この「殺す」とは一体どういう意味でしょう?
    三文字で答えよ。


    【参考書籍】




    Posted by 椰子金 on  | 4 comments  0 trackback

    4 Comments

    小倉風太 says..."No title"
    何度もすみません。明日頑張ってください。とりあえず殺人は違法で殺害予告も違法だが、生きていて下さい、しかも生きるだけじゃ駄目だ、人間だろ、生きるために食べよ、汝らが国産品の農作物を食べるために、農業従事者を、苦しめ、税金は高く、本気で日本の未来を考えながら仕事をしないと、日本国民の血税で警察官は食べているのだから、本気を出さなきゃダメだよ。という、殺人はダメだが、生かすための刀は良いという、活人剣ですね。警察めんどくさいと感じます。どうでもいいから飛ばします。


    和尚に質問ですが、南条あやという人の本、卒業式まで死にません、を、十代後半に、僕は御守りとして毎日カバンにいれていました。南条あやさんは、リストカットと、ハルシオン♪ とか書き、カラオケボックスで沢山、坑鬱剤? を飲み、18歳で亡くなりました。

    次に、水谷修、という、夜回り先生、として有名な人も、僕は好きで、一度、彼に、メールを送ったことがある。その有名な水谷修氏が、南条あやの『卒業式まで死にません』のAmazonかのレビューに、

    この本を出版しないでほしい。この本のために、何人も、若い人を喪った。

    みたいにコメントを書いている。僕としては、水谷修先生に反対だ。水谷修先生を好きだが、反対だ。

    まず書けば、親鸞が、

    善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。

    つまり、自分を善い人だと信じている人ほど、自己中心的に他人を悪人だと決めるから、そういう『よいこ』的精神が、悪人ではなかろうか。何故なら、善い、とは、悪い、を前提にしがちであり、要するに、言うぞ、『善い人には悪い人が必要である』

    いうものですが、まあそうだが、だから普通に、自分は悪いことをしていないよね、という自己主張が社会には必要だ。

    しかし、夜回り先生が、南条あやの死後に出版された彼女のブログの記事の書物、それはかなり売れたが、それを、自殺者を増やすから、出版しないで、と、懇願している。

    とても難しい。確かに、あの本は、少なくとも、僕の妹にはプレゼントしたくない。が、しかし、南条あやは書いたのだ。だから、インターネットでの文章だが、彼女は書いたのだから、紙で出版しても、よいではないか。同じではないか。インターネットと紙とは文章において違うのか。書かなきゃよかったが、書いたのだ。それが言葉だ。言わなきゃよかった、しかし、言ったのだ。言った言葉を、言わなかった言葉にしようと? 考えが、甘い。言ったのだ、それを、あの水谷修先生すら、言わなかったことにしたいと考えるらしい。

    臭いものにフタをする。人間とは糞尿をする。おまんこは臭い。ちんこも臭い。人間とは臭いものだ。内臓にうんこを持ちながら、美男美女も生きている。

    とにかく、和尚に、今は亡き南条あやの、ただ一冊の、本、『卒業式まで死にません』を、夜回り先生の言う如く、出版禁止にするべきか否か、について、質問しました。
    2016.04.28 22:08 | URL | #- [edit]
    森井聖大 says..."Re: No title"
    小倉君へ

    結論から言うと、夜回り先生の意見も、一個人の一意見にすぎないわけですから、夜回り先生がそう思うのは自由だと思いますし、また小倉君がそれに反対する意見を持つのも当然自由なわけですから、それぞれの意見があって、それで良いと思います。
    もっと言うと、夜回り先生が、そのような文言を使った背景には、自分が何を言っても出版停止にはならないことを知っているからではないか、とも思います。
    そうであるからこそ、私の先のブログのぶっ殺すではありませんが、自らの気持ちを伝えるべく、そのような激烈な表現をされたのではないかと推測します。
    言葉を文字通り読むと、一つの言葉だけを抜き出して過剰に反応したり、無茶な議論をはじめたり、と、必ず語弊が生まれます。
    相手が何を言いたいのか、要は、それだけが大事ではないでしょうか。
    夜回り先生は、出版停止と言う事で何が言いたかったのか、それを読み取ることを考えてみて下さい。
    このことも、今回の私のブログ通報事件と同じような、そんな一例ではないか、と思いました。
    2016.04.30 14:55 | URL | #- [edit]
    便所の落書き says..."No title"
    南条あやの、『卒業式まで死にません』の、Amazonの、レビュー欄を、是非、読んでみて下さい。自殺とすれすれの心域で、活字とは自由か否かを、多くの人が、考えています。  

    禁止したらそれまでです。なら、書かない。知らん、日本の言論の自由がどうなろうが、警察が言うなと言ったから、もう言わない。別に、書かなくてもいいし。嘘ばっかり書いてりゃいいか。逆に言えば、警察すなわち権力が、私を殺すのではないか。警察が、書いては駄目だよ、という文章を、それは素直な文章だが、書いたら、書いた私は、警察に殺されるのか。私は誰一人、殺したいと思わないが、文章において、警察は、一市民を社会的に追い込み、自殺においやるか? 

    役人。幕末の薩長同盟時、坂本竜馬を寺田屋で殺そうとした者たちは、江戸幕府の警察官達である。

    次に、警察官は、社会的な個人の仕事として、何を基準に動くか?

    平和の維持である。秩序の安定である。

    次に、平和、秩序の安定とは何か。

    それは、あらかじめの予防である。

    秩序への予防。それの為に、一個人の秩序を、乱し、よろしくやっている、権力者。

    実に気にくわない。小林多喜二の写真のアップは、よかった。正解です。絶対、権力を傘に、拷問を楽しんだな。当時の権力者はな。同じことをやれば、警察官だろうが何だろうが悪だな。善悪は生き物である。人間が生き物だからである。

    何が、人を殺人に追いやるか。

    警察官として、仕事してる、人も、考えよ。汝ら警察官が人を殺人に追いやっている場合もある。小説家ならそういう場合が思い出される。警察官として、家庭の幸福を守るために、どうでもいいかな?日本の警察官なら、人類の歴史を、知っていないと、どうなるか。 

    菅原道真の元に汝らは全否定される。馬鹿は公務員をするでない。馬鹿なんだから、辞めよ、辞職せよ。嫌なら、成長せよ。肩書きに守られているうちは子供である。

    僕も忙しいですが、地球の崩壊からは、人類の歴史など、あっという間で、だから焦っている、我々文学者の邪魔だけはするなよ権力者、という意味で、書きました。とりあえず足は引っ張るな。こちらは、政治家である汝らよりも、世の中をわかっている文学家である。政治家よりも文学家である。一個人に、割ってみなさい。です。30だが、歳を重ねるにつれ、『大人』が嫌いになってきます。大人とは考えず生き延びたい、しかも己の嘘の自覚がない、嘘つきである。自覚がないといけないです。人間なので。
    2016.04.30 21:33 | URL | #/hd7hqp6 [edit]
    小倉風太 says..."No title"
    上の文章は小倉風太の文章です。名前を書き忘れました。インターネットだと、名前がないと、いや、名前があっても、出版への社会的段取りがないために、どうも、怪しいですね。小倉風太とは、グループ名ではないか? なにやら集団ではないか? ともわからない。言葉の活字への介入が、一切無い。活字で発表するとは、特に、なんでも、書けば、ブログでは、人々にさらされますね。

    役人は書類を作ることが仕事だ。

    とは、師匠から教わった。

    権力とは、容易く、人間を洗脳するから、気をつけて下さい。生まれ持ったあるがままの社会性は、裁判所、と聞いて、たやすく、うわあ、と、面食らうが、育ってきた大人なら、偉そうに高台に座りより、何を裁くのか、誤審は切腹ものである。悪印象を持つとは、女性的な発想です。男性のあるがままは、悪印象というのを認めないものだ。

    現代は女性が支配している社会であり、で、警察も、あれらは社会の奴隷であることが仕事であり、そういう汚れ仕事に従事してくださる、警察という仕事には、全うな給与が必要である。と、森井聖大著『取調室』の書き出しを読み、感じました。続きが楽しみです。

    警察官は、汝らは、国家の社会性の奴隷であるという汚れ仕事であり、農業も国家の存続という汚れ仕事であり、介護職も、超高齢化社会という現実に対する汚れ仕事である。警察官として就職できたら、他人より、あわよくば、倫理観が高くなった? なら、倫理とは何かを考えていないといけない。

    一市民を、仕事として、見下すとは、悪である。警察官と政治家と役人は、必然的に、悪業でもある。他人を殺し得るのは、汝らでもある。汝らとは、権力崇拝の心である。

    考えない、あるがままの心とは、容易く、他人を悪人として、自己を、守るものである。テロリストにも正義がある。が、死にたくないという理由から、テロリストは、悪に、なっている。

    たやすく他人から悪口を言われたら、自己防衛本能で、その他人を憎むくせに、自分は善い人だと信仰している。

    神は死んだ。次に、私が神だ、と、誰もが、わたくし信者になるならば、それは、人間とは、謎なのに、たいていわかる、と、盲信するなら、とてもややこしい時代ですね。
    2016.05.02 19:46 | URL | #- [edit]

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