地底初夜

    地底に降りていくとひんやりした緑色の世界だった。
    しばらくすると肌色だった私の体はうっすらとした緑色へと変化していった。
    太陽がない世界では朝も昼も訪れることはなかった。
    永遠の夜の中に私たちはいた。
    緑色のキュウリをかじったり緑色の枝豆を食べたりした。
    そうしてミントがたっぷり入った緑色のモヒートを飲み続けた。
    地底では一夜も明けず。
    光がないと時は過ぎず。
    それでも地上では、半年が1年になり、1年が3年になっていた。
    私の体はもう他の地底人と変わらぬ濃緑色の肌になっていた。
    不意に頭上高く遠い土の上から誰かが私の名を呼んだ。
    「ヤゴキンさーん!ヤゴキンさーん!」

    だが、私は、その声には、答えなかった。



    おパチンコについて

    超能力者はいるのかいないのか。
    清田くんはエスパーなのか何なのか。
    最近1人自室でスプーン曲げをやっている。
    手を使わずに念力だけで曲げようと30分ほど力んでいるがうまくいかない。
    メンタリストDaigoのように力学的な知識と技術を覚えればできるのだろうがそれでは意味がない。
    このままでは一生かかっても曲がらないかもしれない。
    もしかすると明日ポキっと折れるかもしれない。
    それはそうと、パチンコをパチンコと呼び捨てで呼ぶから、パチンコを蔑み自分すら蔑んでしまうのである。
    パチンコ依存症の人も、迷惑を蒙っているその家族も、そうでない方も、騙されたと思って、これからは頭に「御」をつけて、「おパチンコ」と丁寧に呼んだ方がいいのである。
    言葉一つで現実は変わるのである。
    ちなみにパワースポットという和製英語を作ったのは、エスパー清田くんなのである。
    さて、その、おパチンコだが、おパチンコに行く人のほとんどは金を稼ぎに行っていないのである。
    私もその1人であるが、勝ちに行ったつもりが深層心理では、負けに行っていることが多々あることに気づいたのである。
    よくおパチンコ依存症の知人が悔しそうな素振りで、しかし、どこか楽しげな表情で、こんなことを言ってくる。
    「ケツの毛まで抜かれたよ」
    おパチンコは止め時により勝とうと思えば誰でも勝てるのにである。
    だから私が返す言葉は、当然こうなる。
    「そうか、負けに行ったんだな」
    それでも大体のおパチンコ依存症の知人は、ピンとこないらしく、私の言葉にキョトンとする。
    当人たちは気づいていないのだろう。
    全ての依存症に共通しているのは、勝つか負けるか、成功しているか失敗しているかだけではない。
    病識があるかないかが最大の分岐点なのである。
    勝とうと思えば勝てるものを負けるのだから、負けに行っていることを知れば、もう依存症ではなくなるのである。
    おパチンコに行く理由について、色々な人が、色々言うが、どれも間違っている。
    本当のところは無になりたいだけなのである。
    おパチンコ玉を見つめ無心になり、財布からなけなしの金が消えていくことで無一文になり、日常では味わえないそのような無の境地からおぼろげな有が湧き上がり、心の底に沈んでいた思考が眼前に現れるのである。
    ああ、人生って、何もないんだな。
    向上心やら安定性やら社会性やら全て吹き飛ばし、何もないという核心だけを持ち、とぼとぼ家路へと歩いていく。
    帰り着くと、藪から棒に、ヤケ酒やらヤケ自慰やらをし、さらに核心を深めるのである。
    そうして、最後、布団に入り、眠りにつく寸前に、こう思うのだ。
    それでも、生きよう。金はなくなっても、まだ命はある。
    だからしておパチンコ依存症対策はいつも見当違いなのである。
    誰だって負けたい時がある。
    無一文になりたい時がある。
    無から有を作り出したいのは、超能力者や芸術家だけではない、一般市民だって同じなのである。
    私たちは、金の為に生きてはいない、ただ生まれたから生きているのであるからして、このように、おパチンコによって、自己を超越するという行為を、一生涯繰返すのである。
    だから、おパチンコは、これから先も、存在し続けるのである。




    地上地獄

    地底人は、この地面の下、アスファルトの下に、住んでいる。

    なぜだろう?

    地底では、大雨も台風も地震もないからだ。
    昨今の天変地異なども、ただ地上に住んでいるから関係あるだけだ。
    罪人のほとんどが過酷な土地に住まわされるように、遠い昔に流刑されて、此処にいるだけだ。

    地上は、地獄の別名だ。

    深夜考

    こうして生きているようでいて本当は生きてなんかいない。
    本当のところ人間は当の昔に此の世からいなくなっているのだ。
    もしくは本当はみな病床にでも臥していてこんな風な夢でもみているのだ。
    深夜、白昼夢、誰もが、こんなことを考えているのだ。
    人間とは何だろう。
    朝がくれば忘れるだろうが、また数ヵ月後、同じような心細い気持ちになるものだ。
    (自分が傷ついたからって、人を傷つけていいわけじゃないのだ。)

    地底前夜

    目を瞑り、耳を塞いだ。

    一切の、文字と音を、遮断した。

    大きく、深呼吸をした。

    心音と、血流に、耳を澄ました。

    およそ、10回、繰り返した。

    およそ、365日、繰返した。




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